紅い月が照らす紅い館。古めかしいレンガ造りの洋館の門の前に、その人物は立っていた。見下すとも睨みつけるとも取れないようなその視線に、青年は物怖じしながらも一歩前に出て話しかける。
「あの……言葉はわかりますか?」
「アラ、当タリ前ジャナイ。何カ言イ残スコトハアル?」
「えっと、できれば貴女のお名前を伺いたいと思いまして」
「私? 私ハ、レミ――アラ、何ダッタカシラ?」
小さな少女のような深海棲艦の姿をしている紅魔館の主と思しき人物。口上こそ人間のそれとさほど変わらないというのに、どこか不気味さを感じずにはいられない。
「オ前ノ“運命”、面白イワ。オ前ダケジャナクテ、ソノ周リモ」
「運命、ですか?」
「暗クテ読ミニクイ未来。ダケド、小サナ光ガ少シズツ増エテ、ヤガテ大キナ光トナル。ソノ光ハヤガテ――」
「やがて……?」
「ウ――ウウウウウウウウウウウウアアアアアァッ――」
告げられる言葉を待っていると、唐突に少女が叫びだす。頭を押さえ、何かを振り払うように左右に振るい、血涙を流し始めた。
その様子を眺めていれば、後ろから肩を掴まれて引っ張られる。引っ張った人物を見れば、早苗であった。
「危ないですよ! 何をやっているんですか!」
「いやでも、話ができるなら戦わなくても済むかも知れないし」
「いつ攻撃してくるかわかりません! 指揮官が最前線に立ってどうするんです!」
「……それでも、もうちょっとだけ」
呆れたような顔の早苗に謝りつつも、青年は少女へと向き直る。
咲夜からの話によれば、あの少女はレミリア・スカーレット。“運命を操る程度の能力”を持つ紅魔館の主で、その強さも折り紙つき。自分など、瞬きをする間にも殺されてしまうかもしれない。
だが、深海棲艦の謎に迫ることができるチャンスを、みすみす逃してしまうわけにもいかない。
「レミリアさん、聞こえていますか? レミリアさん? 教えてください、あなたはどうしてその姿になったんですか?」
「知ラナイ。人間風情ガ軽々シク口ヲ利カナイ方ガイイワ。今ノ私ハ最高ニ気分ガイイノダカラ」
「艦娘とどういう関係が、過去と何か関係があるんですか? 教えて頂けないと、僕はあなたに、今日ここで出会った意味がなくなってしまいます」
「フン、人間ノ癖ニ偉ソウネ。歴史バッカリ見テイルオ前ニハ、運命ハ変エラレナイヨ」
レミリアは眉一つ動かさず、その場から動く様子はない。
青年も内心は慌てていた。深海棲艦のことは確かに気になる。しかし、運命を操るというレミリアの口から飛び出したのは、自身の未来を読み取ったかのような言葉。
「ネェ、人間。今ノ私ハ強イワヨォ?」
「そんなの……知ってます」
「気持チイイワ。コンナニ興奮シテイルノハ久シブリ。アナタ達ハ……私ヲ楽シマセテクレル?」
「あなたが戦わないというなら、戦うつもりはありませんよ」
「戦ウタメニ来タノデショウ? 相手シテクレルワヨネ? 私ハ戦イタクテタマラナイノニ」
気のせいかもしれないが、先程より空気の淀みが徐々に増してきている。赤い霧は更に濃度を濃くし、紅魔館の赤色とも伴って視界が暗闇の黒と紅色に埋め尽くされる。
(ダメ……か)
言葉は通じる。しかし、まともな会話を行うことはできない。彼女の視界には紅魔館でメイド長を務める咲夜も入っているはずであるが、戦うことを否としない。
むしろ、どこか戦うことを望んでいるようで――。
「無駄よ、あの状態のお嬢様はずっと戦うことしか考えていないの」
「咲夜さんが相手でも?」
「ええ。だから私は魔理沙に助けを求めに行ったのよ。私では……お嬢様のお相手は荷が重すぎるから」
「そう……ですか」
紅魔館、レミリアについてよく知るであろう咲夜でさえも、戦闘を前提としているということ。つまり、どのように会話を広げようと、戦いは避けられないのだろう。
「あの、提督。よろしいですか」
「あ、えっと、鳳翔……さん」
「鳳翔で結構です。申し訳ありませんが私、夜となると戦いに参加できないんです。航空機を夜間に飛ばすことはできなくて……、昼なら魚雷を直接投下するなどできたのですが」
と、悲壮な顔で告げる鳳翔。それを聞いた青年も、突然の告白に目を見開く。強力な艦としての期待を抱いていただけに、そのショックも大きい。
「ただ、助言はさせて頂きます。あの少女は元は別の種族だったのなら、その素体は非常に強力です」
「うん、どうやら吸血鬼らしいから」
「いえ、あれは“艦”として見ることはできないんです。例えるなら……そう、基地。航空機を収容する基地です」
「……それって、まずいんじゃ」
「ただ、私と同様に航空機を夜間に運用することはできないはずです」
ならば、まだ勝機はあるのだろうか。青年も、接近戦について強力な水雷戦隊が、航空機によって一挙に窮地に追い込まれた場面を見ていたのだ。その危険性はよく理解している。
航空機を運用できないとしても、個体としてはおそらく非常に強靭だろう。だが、基地というのは一体どういうことなのだろうか。
深海棲艦の正体にある程度の予想をつけるのなら、レミリアは――
「話ガ長イワ」
神罰『幼きデーモンロード』
と、考えをまとめるより先に、レミリアによる弾幕が放たれる。瞬間、青年は早苗に抱き抱えられて戦場から距離を取り――。
やがて、戦端は開かれた。
闘符『水雷戦隊』
――軽巡『夕張』『球磨』
駆逐『吹雪』『叢雲』『漣』『電』『五月雨』
軽符『第十八戦隊』
――軽巡『天龍』『龍田』
重符『第六戦隊』
――重巡『青葉』『衣笠』『古鷹』『加古』
「全艦、誘爆に備えて魚雷発射管を投棄! 水雷戦隊は岸ギリギリで射撃します! 十八戦隊、六戦隊は砲戦を!」
放たれた弾幕は、空間に光線状のものが敷かれ、更に大小入り混じった弾幕が無数に放たれるというものであった。避けようにも光線に触れないようにしなければならないために、その回避には全艦が手間取らされる。
夕張が指示を出すのを聞きながら、漣は主砲を改めて握り締める。
青年と出会ったときに感じた記憶。それは、平和な世においては信じがたいような悲痛な経験。自身らが守った果てにあるものがこれか、と悔しさを涙に変えて。
いかなる過去を持とうとも、自分の意志で決めることは自分で決めさせなければならないし、その選択には責任を持つという自覚を持たせなければならない。
漣は彼を甘やかしたくはないが、ふと見せる寂しげな微笑みを見ると、無性に頭を撫でたくなってしまう。その気持ちを抑えることの方が、実際戦うより大変かもしれない。
今でこそ自身の持つ力と自分の役割にある程度責任を持っているようだが、もし選択を迫られた状況下で一歩間違えたら……。どうなるかなど漣には想像もつかない。
だが、青年の元に来てよかった。当初こそ自身らに偏見を持っていたようだが、今では一番に心配をしてくれている。それこそ自身の身の危険よりも先に。
(戦闘態勢の深海棲艦と真っ先に会話するなんて……無茶するにゃー、ったくもー)
漣はある程度の速力を維持しながら、岸の近くの紅魔館の門に構える深海棲艦のようなもの――基地のような深海棲艦を捉え、その様子を伺う。
陶器のように白い肌に白い髪。幼女のような体型でありながら、感じられる圧迫感と不気味さは今までの比ではない。この場から今すぐ逃げ出したいほどに怖くもあるが、そうするわけにはいかない。
青年を守るためにも。
「全艦、主砲撃ちー方始め!」
夕張の指示とともに、漣をはじめとする駆逐艦は足を止めることなく主砲を撃ち始める。夕張と球磨も砲撃を始めており、火薬と硝煙の匂いが艦隊を包んだ。
しかし――
「アラ、ソノ程度?」
あまりにも敵は頑強すぎた。砲弾が自ら意思を持つように、ありえない軌道で逸れていく。命中弾すらことごとく弾き飛ばし、直撃を受けても平気な顔をしている。ダメージを与えているようにはまるで感じられない。
「くっ、撃ち続けてください! 少しずつでも損傷を与えます!」
敵が陸上にいて魚雷が使えない今、水雷戦隊の火力は微々たるものにしかならない。それでも、水雷戦隊の本懐は前線を維持すること。ここを崩してしまっては、青年の身が危うくなってしまう。
が、やはり小型艦の砲撃だけでは無理があるのだろう。水雷戦隊の7人から砲撃を受けているにも関わらず、敵は動揺すらしていない。
その時、
「私もお手伝いします!」
奇跡『白昼の客星』
早苗が上空より弾幕を放った。細い針のようなその弾幕は円を描くように次々と放たれ、空間ごと蹂躙するように敵へと迫っていく。
砂の山に木の枝を突き立てるように、敵に向かって弾幕が次々と刺さって行く。面を制圧するように放たれたそれは、敵の背後にそびえる紅魔館という建物にまで命中していた。
「クックッ――ヤルワネ」
額に手を当て、よろめきながら煙を上げて呟く少女。その様子を見れば、少なくとも自身たちが放つ砲撃よりはるかに効果を上げているように見えなくもない。
弾幕と砲弾の違いが原因なのか、それとも弾幕の特性ゆえに、なのか。
「隙ができたぞ! 撃て龍田!」
「第六戦隊、砲撃戦を開始してください!」
少し弱った様子を見せる敵に対し、天龍と龍田の第十八戦隊、青葉率いる第六戦隊が砲撃をこれでもかと言わんばかりに撃ち込んだ。が――
「舐メナイデモライタイワ」
獄符『千本の針の山』
冷め切った声と共に、その弾幕は放たれる。敵を中央とし、そこから円を描くように無数の弾幕が放たれ、艦隊を襲う。
弾幕はてっきり攻撃してきた早苗に向けられるものだと思っていた。しかし容赦などなく、甘えなど許さず、逃げることすら叶わず。
弾幕は艦隊を覆い尽くす。
「はわわ、恥ずかしいよお……」
「な、なんでぇ……」
駆逐艦2名、電と五月雨がそれぞれ装甲を貫通されて数箇所被弾し、痛々しそうにその被弾箇所を手で押さえる。
更に、
「~っ。やっぱ、ちょっといろいろ積みすぎたのかなぁ……」
旗艦夕張も被弾し、その装甲をものともせずに弾幕は貫通する。
(ヤバイヤバイよッ! 一回の弾幕でこんなにやられるなんて!)
駆逐の装甲は弾くことすら叶わず、軽巡の装甲でさえも容易に貫通する弾幕。攻撃範囲は広く、更にここの威力まで高いとなれば、艦隊にとって厄介どころの話ではない。
陸上の敵と戦っていることが原因か。否、動かない相手からの攻撃など、むしろ同航戦よりも攻撃が予測しやすい。
単純に、あの敵が強すぎるのだろう。今まではある程度防いでいたにも関わらず、今回だけでこの被害。素体となったという人物は一体どれほど強大な力を秘めていたというのか。
だが、考えながら弾幕を回避していた漣にも、とうとう限界は来る。
まず一発、膝に命中し足を止められる。続いて2発目、右腕に命中し主砲を弾き飛ばされる。主砲の行方に気を取られていると腹部に、大腿部に、肩に、顎に命中し、思わずその場で膝をついてしまった。
朦朧とする意識、その中で漣は、自身の体を見ながら意識を離すまいと堪える。
(あ……本当にヤバイ。今大破しちゃったのに、被弾したら……)
そこへ、目前に迫る弾幕。1つどころではなく、5つの弾幕が自身を沈めようと肉迫する。
終わる――折角この身で再び蘇ったというのに、まだ何も成していないというのに、自分の命はここで終わってしまうのだろうか。
嫌だ。まだ姉妹艦と出会えてない。朧と。曙と。潮と。青年の頭だって撫でていないし、言いたいことも言えていない。
『ありがとう』なんて言葉、自分には似合わないと笑われているようで。
(うっっくぅ~、なんもいえねぇ……。動けよぉ……)
その時、誰かが自分を抱きしめるのを感じた。弾幕は命中せず、全て自身を抱きしめた人物に命中してしまった。
龍田、である。
「うふ……うふふふふふふふっ」
「龍田、さん……?」
「ちゃんと用心しない子は……あとでお仕置きよ」
自身が中破状態にも関わらず、抱きしめて自らが被弾した龍田。被害状況は自身と同様に大破してしまっており、今攻撃を受ければ二人共沈んでしまう。
弾幕が更に迫る。考える暇など与えようとせずそれは目前に到達し――
「おらあ!」
未だ被弾していない天龍が、自身の持つ刀でその弾幕を斬り捨てた。
座り込む自身と龍田の前に仁王立ちし、刀を背負いその眼光を敵へと向ける。
「龍田とチビ共に手ぇ出してんじゃねえぞ!」
そして弾幕の嵐の中を、自身らを守ろうとして一人堪える。装甲を頼らず、自らの刀で弾幕を斬り落としながら立つ姿は、まるでおとぎ話の中の英雄のように。
おぼつかない足取りで立ち上がり、生まれたての子鹿のように震えながら龍田を立ち上がらせた。
「龍田さん、私たちだけでも一旦下がろう?」
「仕方、ないわねぇ……」
弾幕に気をつけつつ、漣は龍田に肩を貸しながら後ずさりする。
「クマー。夕張は一度態勢を立て直すクマー」
「え、球磨!?」
「『夕張被弾、球磨ガ指揮ヲ執ル』と。艦隊、夕張が被弾したから球磨が指揮をとるクマー」
「うぅ……仕方ないわね、ありがと!」
球磨が飛び跳ねながら駆逐艦との連絡を密にし、夕張が半ば涙目になりながら壊れた艤装の応急処置を行うのを傍目に後退する。
「電ちゃん、大丈夫!?」
「平気なのです。まだやれるのです!」
「五月雨、下がってもいいのよ?」
「下がりません! 夕張さんもいるんですから、まだ戦います!」
「龍田と漣ちゃんが下がるのを援護するわ! 前に出なさい!」
「水雷戦隊の意地を見せるクマ!」
天龍は単独で敵に命中弾を当てようと奮闘している。それを援護するように、球磨率いる水雷戦隊が追従する。
――ああ、なんと頼もしい仲間たちだろう。あの仲間たちと共に戦えたこと、そして今も共に戦えること。それを誇りに思える自分が誇らしい。
それ故に、大破してしまった自分が情けなくなり、渋々ながらもおとなしく距離をとった。
これはただの撤退ではない。味方をより安全にするためにも、自身らが足を引っ張ることのないよう、撤退するのだ。
龍田は気を失ってしまった。その体の重みがますますのしかかるが、必死になってその体を支える。
水雷戦隊はまだ終わっていない。そしてその本領たる夜戦での実力は、まだ発揮されていない。弾幕による攻撃は驚異だが、それでも彼女たちなら必ず状況を打開してくれるだろうと、ボロボロだからこそ願う。
霞む視界と力が抜けていく身体。背負い込んだ龍田と共に倒れ行く。
意識が飛ぶ寸前。耳に聞こえたのは、泣きそうになりながらもどこか安心したような声。地面に激突すると思われた自身の体は、強く抱きしめられる。
「……ありがとう。よく無事でいてくれたね……」
空を飛びながら、咲夜は複雑怪奇な自身の心情を抑え込むように弾幕を放つ。その対象となるのは、今も昔もその身その心を捧げる相手。
レミリア・スカーレットの成れの果てであった。
「お嬢様、目を覚ましてください! お嬢様!」
「イイ度胸ネ咲夜。主ヲ見下ロシ、アマツサエ攻撃スルナンテ」
「私は今でも忠誠を誓っています! しかし私の愛するお嬢様は、そんな得体の知れない輩に体を許すような方ではありません!」
「私ハ自分ノ意思デ戦ッテイル。吸血鬼ダゾ? 戦イニ喜ビヲ見出スコトノ何ガオカシイ」
「好戦的な方ではありました、でも……それでも! 決して他者に振り回されることなく、己の意思を貫けと仰ったのは、他ならぬお嬢様ではありませんか!」
紅魔館の門の前から一歩も動かず、飛ぶことのないレミリアと、空中から弾幕を放つ咲夜。弾幕は放たれているものの、レミリアに命中せず、むしろ弾幕が自らの意志で逸れていくようにも見える。
艦娘の攻撃、そして弾幕による攻撃。いずれにおいても、攻撃がレミリアから逸れていく事実を確認している。命中するものもあるが、砲弾も弾幕もありえない軌道でレミリアを回避する。ここから考えられるのは――
(自身が被弾する運命を操っている、ようね。……流石はお嬢様)
ただでさえ頑強。にも関わらず、攻撃をある程度緩和できるのだとしたら、防御面で非常に面倒である。咲夜としては、愛する主人の戦闘センスに感涙しそうになる部分もあったが。
「ネエ咲夜。覚エテイルカシラ? アナタヲ拾ッテカラノ暮ラシ」
「忘れるわけがありません。私に光を照らしてくださったのは他ならぬお嬢様。ですから私は、その感謝を表現するために、お嬢様を元のお嬢様に戻すために……戦っているのです」
「楽シカッタワ、コノ十数年。コノ500年ポッチノ歴史ノ中デモ、毎日ガ夢ノ様ダッタ。ソレモコレモ、アナタノオ陰ヨ」
「その……お言葉は、正気に戻られてから聞きたかったです」
「私ハ正気ヨ? アナタコソ正気ニ、自分ニ正直ニナリナサイ。私ト一緒ニ気持チヨク――戦イニ溺レテシマイマショウ?」
「その運命は……受け入れられません!」
幻符『殺人ドール』
スペルカードを発動させ、大量のナイフが咲夜の周囲に浮かび上がり、一斉にレミリアに向かって放つ。レミリアの元へ殺到するナイフは、弾かれながらもその装甲を突き破り、レミリアの身体へ初めて到達する。
「レミリア、目を覚ましやがれ!」
「本当に大切なら、なぜ咲夜さんがそのせいで苦しんでいるんですか!」
空中を飛び回る早苗と魔理沙も弾幕を放ち、ナイフと共にレミリアの体を食い漁るように群がる。見ていて気分のいいものではないが、愛くるしい元の姿を見られない方が余程辛い。
煙を上げ、その姿が隠れる。だが、煙が晴れた後に現れたのは、不機嫌そうな顔で自身を睨みつけるレミリアであった。
「咲夜、一ツ面白イ事ヲ教エテアゲルワ」
「……一体なんでしょう?」
「アノ青年、アナタト同ジダケド、アナタヨリ酷イワ」
「何を――」
「アナタニハ“私”ガイタ。デモネ、アノ青年ニハ、“誰モイナカッタ”ノヨ」
「……まさか」
ナイフを握っていたものの、その手を緩める咲夜。呆然とする表情に、レミリアは続ける。
「アナタヲ拾ッタノハ運命ダッタワ。服ヲ着セ、食ベ物ヲ施シ、住ム場所ト家族ノ愛ヲ与エタ。イツシカアナタハ、私ニ感謝スルヨウニナッタワネ」
「彼にはそれがなかった、と。どうしてそれを知って……。運命、ですか?」
「彼ハ今マデ苦労ヲ重ネテキタワ。ソシテ、“コレカラ先ニ待チ受ケル運命”モマタ、今マデト同等、ソレ以上ノ苦シミヨ」
「なら、彼は一体何のために……生きて」
震える手で、ナイフを取り落としそうになる咲夜。それまで咲夜が抱いていた青年の印象は、情けないようでどこか頭は回る普通の人物だと思っていた。
しかし、蓋を開けてみればどうか。同じく拾われた身とはいえ、毎日を充実して過ごした自分と異なり、苦しみを重ねてきただけの日々。
青年に対して大した感情など持っていない。紅魔館以外の人間に興味を持ち始めたとは言え、未だどうでもいい人間はどうでもいい。
それでも、境遇を同じくした青年を。否、救われた自身と救われなかった青年とを比べれば、やるせなさが感情の中に浮き上がってくる。
「ダカラ、ネ、咲夜。彼ヲ、紅魔館ニ迎エ入レマショウ」
「お嬢……さま」
「アナタガ彼ノ運命ヲ変エレバイイ。拾ワレタ者同士、彼ニ救イノ手ヲ差シ伸ベル事デ、アナタハ何モ気ニセズ過ゴセルノデハナクテ?」
「それが……わたしにできることなので、す……カ?」
「エエ。ダカラ――私ト一緒ニ沈ミマショウ?」
(救われた者と救われなかった者、ただそれだけ。他にも孤児なんていくらでもいるノニ……)
(救われた私だケが安穏としテ暮らすことは、正しいノカシラ?)
(もウ、駄目ね。意識ガ離レてしまイそウ)
(彼ヲ引き入れルこトデ、彼ガ少しデモ救わレルナラ、)
(私は、救ワレタ者トシテ彼を導カナイトイケナイワヨね?)
(ナラ――オ嬢様ノ仰ル通リニ)
視界が赤く染まり、胸の内から沸々とした感情が湧き上がる。怒り、憎しみ、妬み、苦しみ、悲しみ。そして僅かな喜びと、同時に襲いかかる深く静かな冷たい感情。
その感情に身を委ねようとした瞬間、咲夜は背中を誰かに蹴られた。
「勝手に2人で納得しないでください!」
手を、否、脚を出したのは早苗であった。怒髪天、青筋が立ちそうなほどの激昂。そして蹴られた瞬間、咲夜は自我を少しずつ取り戻す。
「……痛いワね。何をすルのかしら?」
「私のセリフです! カミツレさんが救われなかったなんて、あなたたちがカミツレさんの何を知っているというんですか!」
人がこのような表情をしているのを初めて見た。いや、以前一度だけ、この顔を咲夜はどこかで見たことがある。
「確かにカミツレさんは孤児院育ちで、口下手で、人付き合いが苦手で、気味悪く思われて嫌われてたロリコンさんです!」
それは紅霧異変の時。博麗霊夢と霧雨魔理沙が異変の解決に乗り出して、自身やレミリアと相対した時。目の前に浮かぶ緑色の巫女は、その時の霊夢と同じ顔をしている。
「でも、私がいたから耐えられたって言ってくれたんです! それに私だって……カミツレさんがいたから――!」
『ふざけないで! 時間を操れるからって、人の時間にまで干渉しないで欲しいわ!』
『その人の過ごした時間の価値なんて、その人自身が決めることよ!』
『運命がどうしたのよ、吸血鬼にはわからないかもしれないけど、人間は運命なんて簡単に変えられるだけの力があるのよ!』
『運命運命言う前に、まずは人事を尽くしなさい!』
しばらく顔を見ていない紅白の巫女。いつだって彼女は一生懸命で、一喜一憂に忙しくて、誰よりも人生を謳歌していた。
「カミツレさんは笑ってくれたんです! 守矢神社に、神奈子様や諏訪子様に、私に……お世話になりますって! だから――」
霊夢の生き方を羨ましいとは思わない。霊夢は霊夢の性格で、霊夢なりに人生を楽しみ、生きてきたのだ。そして咲夜自身も、拾われたとはいえ、紅魔館で過ごした日々の中で、楽しみを見出して生きてきた。
救われなかった、と言った。それ自体は間違いではないのかもしれない。だが――
「カミツレさんは守矢神社が――私が守ります!」
彼は、これから救われるところだったのだろう。今まで生きてきたならば、何らかの楽しみを日々の中に見出していたはず。
青年が自身の生き方を羨ましいと思うかはわからない。だが、自身と同じように生きろと押し付けるのは余計なお世話かもしれない。
彼は彼の選択で緑色の巫女と一緒にいる。そこに何かを見出して。
ならば自分に、救われた者としてできることは、彼を見守ること。そして助けを請われた時に、初めて押し付けること。
ナイフを握り直した咲夜。その様子を見て口先を尖らせたままの早苗が、渋々と引き下がってレミリアへ視線を送る。
「お嬢様――私は」
「ヒトツ、イイカシラ。緑ノ巫女」
レミリアもまた、早苗へと視線を送る。その表情には訝しげなものが含まれており、早苗もそれを受けて、視線を逸らすまいと。
「彼ニ待チ受ケルノハ、重ク苦シイ運命ヨ? ソレヲ受ケ止メル覚悟ハアルノカシラ?」
「私たちは“守矢一家”です。家族のためなら、どんな苦難だって乗り越えます」
「死ヌカモシレナイワヨ?」
「カミツレさんを助けるためなら、私が奇跡を起こしてみせます!」
「フ、フ。フフふふふふふ……。運命を、たかだか奇跡で覆すというの?」
神術『吸血鬼幻想』
「調子に――乗るな!」
怒気を孕んだ叫び声。それと共に現れたのは、放射状に放たれる大きな弾幕とそれに付随する小さな弾幕。
夜だというのに、まるで空中だけ昼間になったかのように弾幕の光に照らされる。それは自身と、早苗も同様に感じているだろう。
「あっ……! お、お嬢、様……」
「あうっ!」
能力を使ったとしても避けられないであろう数の弾幕に囲まれ、被弾してしまう。その痛みに、飛ぶのを制御できず地面へ向けて落下する。
痛みで体を動かすことができず、咲夜はいずれ来たるであろう衝撃に備えて静かに目を瞑る。
もっとレミリアに仕えたかった。仕えて、話して、笑って、怒られて。時にはからかって、愛でて、抱きしめて。そんな当たり前で平穏で、そして幸せな人生を過ごしたかった。
だが、他ならない主人であるレミリアに死を与えられるなら、それもまた一つの結末なのかもしれない。などと、悲しみと共に御終いを受け入れて。
受け入れて、一雫の涙がこぼれて。
身体に衝撃が――走らなかった。
(……えっ?)
瞳を開くと、上空で早苗を抱える魔理沙。
顔を上げる。
自身を抱き抱えて悲痛な表情をしているのは、自身が救われなかったと決めつけていた青年であった。 019 The Embodiment of Scarlet Devil
「前に出ます! 腹括ってください!」
「任せて!」
「わかった!」
「おうよ!」
早苗、咲夜が被弾したのを見ながら、青葉は第六戦隊を率いて水際へと距離を詰めていた。
鳳翔の助言によれば、彼女は基地型の深海棲艦。夜であるために、航空機を飛ばしてこないことが唯一の幸いだろうか。
チラリと、後ろについてくる古鷹を見る。その視線に気付いたのか、古鷹は表情を引き締めて一つ頷いた。
過去の記憶。自身が最も省みるべき歴史は、ようやく清算された。ここに至るまでに、どれほど嘆き悔み、悲痛に暮れ、絶望したことだろうか。届くことのない謝罪を、何度虚空へ向けて発しただろう。
手を伸ばした先には、もう誰もいなかったというのに。
(司令官……ありがとう)
これでようやく、前へ進める。時を経て、世界を跨いでもう一度出会えたこと。古鷹に、加古に、衣笠に、そして青年に出会えたことは、この身にとって運命だったのだろう。
「水雷戦隊の皆さんは少しだけ距離をとってください!」
話を聞く限りでは、自分以外の艦は青年と記憶を共有しているという。だが、自身にそのような覚えはなく、青年の記憶も知るわけがない。
何かが頭の中で浮かびそうではあるが、金髪の少女の面影と、思考を遮る暗闇がそれを阻む。が、今必要なのは戦うことだ。それ以外を考えてミスをするなど許されない。
「目標、敵陸上基地! 方位20、弾種三式、一発! 撃ちー方始め!」
だから今は、戦いに集中する。話したいことは沢山ある。第六戦隊の面々にも、青年にも。ならば、この戦いは一刻も早く終わらせなければならないだろう。
拡散して焼夷弾をばらまく三式弾。本来は対空戦に用いる砲弾の一つであるが、過去に基地攻撃にも使用されたことがあり、大きな戦果を上げた弾種。
「レミリアお前、何したかわかってるのか! 咲夜を攻撃するなんて!」
早苗を抱えたままの魔理沙が深海棲艦へ弾幕を放った。そして同時に、拡散した三式弾が命中する。混乱した状態の深海棲艦はうめき声を上げながら、上空の魔理沙を睨みつけた。
三式弾を選択した理由は明快である。艦娘の徹甲弾による砲撃より、早苗たちの放つ弾幕の方がより効果を上げていたこと。そして、三式弾が弾幕と類似した攻撃手段であること。
弾幕を三式弾の対地射撃と見るならば、この考えにたどり着いたのは偶然ではない。そして実績がある故に、三式弾は基地型の深海棲艦に対して有効な手段であることが今判明した。
「弾種そのまま! 主砲撃ち続けてください!」
主砲から感じる反動。硝煙の匂いに塗れながら、青葉はひたすらに撃ち込んでいた。まるで花火が弾けるかのように、深海棲艦の真上で炸裂する。
それは一発だけではなく、第六戦隊の4人全員が放ったもの。容赦などなく、敵へと攻撃を浴びせる艦隊の様は、さながら獲物に飛びかかる肉食獣のように。
魔理沙でさえ顔をしかめるような怒涛の攻撃。深海棲艦を面制圧するかのごとく攻撃したために、その背後の門は粉々に粉砕されていた。
「撃ちー方やめ! 煙に紛れて接近します!」
黒煙に紛れ、第六戦隊を率いて上陸し、紅魔館に接近する。
もう二度と同じ過ちは犯さない。古鷹と和解したのは、同じことを繰り返さないという、己への戒めなのだから。
湖上の水雷戦隊には少しだけ距離を取らせ、黒煙の中には深海棲艦と第六戦隊のみ。現れた影に対応すればいいのだから、間違えようもない。
と、安心していたのも束の間であった。煙の中に影が見えたような気がして、自身の手の合図で射撃体勢をとらせた。
瞬間――
「本気デ殺スワヨ」
紅符『スカーレットマイスタ』
鳥肌が全身を襲った時には、もう遅かった。
体がボロボロになり、損害状態にある深海棲艦がその眼を開き、弾幕を放つ。大中小と大きさの異なる弾幕は、全方位に向けて大量に放出された。
黒煙を切り裂いて、紅色の弾幕が視界いっぱいに広がる。それを回避するには、第六戦隊は深海棲艦に近づきすぎていた。
「こっの、変態ヤローが!」
「あぁっ! 直撃ー……?」
小さな弾幕は装甲で弾くことができた。しかし、避けようとしていた大きな弾幕を回避することはできず、加古と衣笠が被弾し、中破。
さらに――
「あ、危ない!」
「……えっ?」
二人が被弾したことに気を取られ、視界を一瞬離してしまう。だがその際に大きな弾幕が目前に迫っていたらしく、それに気づいた古鷹が身を呈して自身を庇った。
装甲は容易に貫通し、古鷹は被弾する。痛みを堪えるように顔をしかめながらも、中破していながら自身の前に依然として立ち塞ぐ。
「まだ……沈まないよ!」
呆然と――古鷹を見つめた。こみ上げる吐き気、襲い来る動悸、過呼吸に陥りそうなほどに胸が苦しく、膝が笑うことをやめない。
「アラ、アナタノ運命。繰リ返スミタイネ! アハ――アハハハハハハッ!」
深海棲艦が高笑いし、弾幕が止まった。その一瞬で古鷹の胸ぐらに掴みかかってしまい、歯噛みしながら怒鳴り散らす。
「何をしているんですか大馬鹿! 沈んじゃったらどうするんですか!」
「私は沈まないよ。沈むほどの攻撃じゃないでしょ?」
「なら助けないでください! もう二度と目の前で沈まないでください!」
「嫌! もう傷ついて欲しくない!」
目を伏せ胸に手をあてる古鷹の表情は、怒っていながらも寂しそうである。その表情にさせたのは自分であり、わざと傷つけるような言い方をしてしまったのも自分。
胸ぐらを掴んでいた手に気づき、慌ててそれを離す。
「……第六戦隊のみんなと一緒に帰りたいんです!」
「だったら、一緒じゃないとダメだよ……」
「心配されるほど腑抜けていません!」
「傷ついていい理由にはならないよ!」
目尻に涙を浮かべた古鷹が、搾り出すように声を上げた。それを受け、ハッと気づいてしまう。
古鷹に面と向かって怒られたのはいつ以来だろうか。心配性で優しい古鷹が怒るときは、いつだって理由があった。
第六戦隊を、古鷹を守りたい。しかし古鷹は、自身が傷つくのはダメだという。古鷹にとって、自分はまだまだ頼りないのだろう。
(……そういう、ことですか。……もう大丈夫、大丈夫なんですよ、古鷹)
加古を失い古鷹を失い衣笠を失い、一人になっても戦った。倒れ行く仲間の死を悼む暇もなく、時には擬装すら施し、どれだけ傷を負おうとも戦いに身を投じていれば、やがて戦争は終わった。
古鷹に守られた心の弱さはもうどこにもない。寂しさの結晶は、いつしか強さへと昇華した。
守られるだけの自分ではない。かつての自分のような甘えは失われた。
古鷹が心配するなら、その心配の種を取り除いてやればいい。
今度は自分が古鷹を守るのだと、守られるだけの弱さはなくなったのだと示すために。
「古鷹――心配してくれてありがとうございます。なら、ますます頑張らないといけませんねぇ、ふふんっ」
「え……何を……?」
「事後の指揮権は衣笠に移譲します。中破した各艦は流れ弾に注意しながら、撤退してください。これより単独行動をとります」
ニッコリと笑みを浮かべ、加古と衣笠に視線を送る。二人は頷いて、古鷹の両腕を左右からそれぞれ抱え、引きずるように後退を始めた。
「絶対勝ってよ!」
「負けたら加古スペシャルを食らわせるからな!」
笑みを浮かべる衣笠と、親指を立てる加古。古鷹は引きずられながら自身の名を叫び、必死に手を伸ばしていた。
自身のポニーテールを解き、それを結っていた髪留めを、その伸ばされた手にそっと預ける。髪は重力に従って、肩をなぞるように下ろされた。
三人へ敬礼を送る自分は今、どんな顔をしているのだろう。だが、悪いものではないはずだ。
この人型は、どうやらしっかり笑えるらしい。表情も感情も思いのままなのだから。
「お先に失礼!」
三人に背を向け、背中に叫び声を浴びながら、深海棲艦へ向けて走り出した。主砲を携え、表情を引き締める。
その双眸――さながら狼の如く。
「来ルカ、面白イ!」
「さあ、手荒い取材に付き合ってくださいね!」
三式弾を装填した主砲を一発だけ放ち、視界を奪って急接近する。同時に、近くで待機していた水雷戦隊も次々に上陸して突入を始めた。
「面白イ、本当ニ面白イ運命ダワ」
「何が運命、何が天罰ですか、下らない。いつだって私たちが目にするのは現実しかありません」
「運命ニハ抗エナイノヨ? ツイサッキ彼女ガアナタヲ庇ッタヨウニネ」
「それで古鷹が沈みましたか? 運命さんは随分お仕事が雑ですね!」
三式弾をひたすらに撃ち続ける。その一発一発に顔を歪ませる深海棲艦。水雷戦隊と合流して、砲撃を艦隊として敢行した。
動かず、そのまま被弾し続ける深海棲艦。だが、実際に攻撃が通っているのは、自身の三式弾による砲撃のみであった。
「ソノ程度? ナラ、運命ヲ変エルコトナンテ不可能ヨ!」
深海棲艦の眼光が輝き、弾幕が放たれる。その紅い弾幕は、まるで狙いすましたかのように吹雪と叢雲へ向かった。
だが、吹雪と叢雲の前に立ち、その弾幕を自身の装甲でもって受ける。いくつか装甲を貫徹したものの、耐えられない痛みではない。
「あ、あの……」
「アンタ――」
「許してください……とは言いません! でも、もっと二人と仲良くなりたいんです!」
球磨に視線を送ると、彼女は頷いた。球磨は水雷戦隊を率いて徐々に後退を始める。同様に単独行動していた天龍も、渋々ながらそれについて行った。
「さあ、沈む運命は変わりました。あとは根比べといきましょう」
「無駄ヨ。運命ハ巡リ、結果ハ不変トナル。逃ガレラレルモノカ!」
「では、この戦いにおける貴女の運命はもう決まっています」
「……世迷言ヲ」
駆け出した。既に水平射撃が当たる位置にまで距離を詰めており、反動を堪えながらも三式弾を撃ち続ける。
「喰ライナサイ!」
粒状の弾幕がすぐ目の前で展開される。しかし、まるで弾幕が自ら避けていくように、自身には当たらない。
「奇ッ怪ナ!」
再び放たれたのは、大小混合の弾幕。装甲を貫通し、大きな弾幕が直撃するも、まるでダメージなどなかったように再び駆け出した。
再び弾幕が直撃する。しかし突き進む。大きな弾幕が直撃する。まだ走り続ける。
不死身とも呼べるような進撃ぶりに、深海棲艦は戸惑いの表情を隠しきれていない。
「ドウシテ、何故進メルノ!」
「昔から運だけは良かったんですよ。中々沈まなかったり、ギリギリで攻撃を避けたり。一人ぼっちになったのは伊達ではありません」
「来ルナ! ワカラナイ! オ前ノ運命――ドウシテ!?」
「生き延びたいわけではありませんでした。かと言って沈みたいわけでもありませんでした。それでも――それでも戦った!」
三式弾を放つ。その一撃は深海棲艦にとって大きな損傷となったらしく、既に壊滅状態。だが、尚も接近する。
「来ナイデッテ、言ッテルノ!」
「運命は一つに帰結しないと教えてあげます!」
「沈ンデ!」
「沈む場所はただ一つ、古鷹の傍だけです!」
砲撃は止まない。接近も止まらない。今この身を動かす原動力となっているのは、古鷹を傷つけられたからとか、青年に従うためなどではない。
過去の自分に別れを告げ、幻想の如き望んだ未来を生きるため――。
「あなたの姿、よく見えますねえ!」
「ナ、何ナの! オ前ハ一体、何だトイうのよ!」
「我――青葉ァ!」
深海棲艦の額に主砲を突きつけ、その引き金を引く。
耳をつんざく轟音と共に、深海棲艦はようやく地に倒れ伏したのであった。
その様子を見て、荒れ狂う鼓動と暴れる呼吸を整える。
弾幕を避けたのも、貫通した弾幕から大したダメージを受けなかったのもただの運。だが、ここまでたどり着けるという確かな自信があった。そしてそれは、この戦いにおける運命だったのかもしれない。
「勝ッタ、ト思ッタカシラ?」
「――――ッ!?」
『紅色の幻想郷』
至近距離にて、大小の弾幕が目の前で放たれる。咄嗟に距離を取るも、時既に遅し。
どれだけ戦いを生き延びようと、どれだけ運が良くとも。
“大破着底”という確定した歴史からは逃れられないらしい。
大きな弾幕を被弾し、中破してしまう。しかしいくら避けようとも、縦横無尽に敷かれた大小の弾幕が、自身を逃すまいとひしめいていた。
更に――
「不死身ハオ前ダケデハナイ!」
みるみる内に、目の前で深海棲艦の傷が治っていく。ボロボロだった肌は元の陶器のような透き通った白色に戻り、損傷も復活していく。
こんな話は聞いていない、と思うと同時に、儚くも死を覚悟した。
(昔から詰めが甘かったんですよね。古鷹、加古、衣笠、皆……司令官、ごめんなさい)
「レミリア、そろそろお終いにしよう」
恋符『マスタースパーク』
自身に気を取られていた深海棲艦は、上空から迫る脅威に気づくことはなかった。
目前に、天から光の柱が堕ちてくる。轟音と共に、大地を抉り取るように、その空間にあらゆる存在を許さないような極大の光線。
光線が止むと、その場に倒れていたのは一人の少女と一枚のカード。
しかし近づく気力すら湧かず、自身はその場に座り込んだ。脱力し、ただ地面を見つめる。
生きているという実感と、運命に抗ったという実感。
それを胸に抱きつつ、両手で顔を覆い、静かに嗚咽を漏らし……。
魔理沙から放たれた極大の光線が終わり、その場に少女が倒れているのを見て、青年は心を落ち着ける。赤い霧は、徐々に霧散し始めていた。
紅魔館から少し離れた位置で、青年は何もできずに戦いの行方を見守っていた。怪我をした早苗と咲夜も傍に控えており、鳳翔が応急手当を行っている。大破した漣と龍田は、既にカード化して青年のポケットの中である。
いつしか、青葉の記憶にかかる暗闇は消えていた。青葉の記憶、青葉の意思。それを確かに受け取った青年は、静かに目をつむる。
批判もあった。孤独に耐え難い夜もあった。それでも戦い抜いた彼女は、涙を流しながら古鷹山を背に戦いを終える。
抗い、決意し、この戦いに勝利した彼女。青年は言葉もなく、ただ目を伏して呼吸を整える。
だが、いつまでも感傷に浸っている場合ではない。戦った艦娘を、戦い抜いた彼女を迎えるのは、提督たる自身の役目なのだから。
と思い、青葉の方へ足を向けたとき――
「――オマタセ」
禁弾『過去を刻む時計』
紅魔館の全周に人が立ち入ることを許さぬように、弾幕が展開された。いくつもの十字型の光線が回転し、球状の弾幕が全方位に向けて放たれる。
その中央、弾幕を放った人物。紅魔館の屋根に腰掛ける、陶器のような白い肌とふんわりとした白い髪。レミリアと同型の深海棲艦でありながら、不気味な雰囲気はレミリアの比ではない。
「オ姉様ヲ倒シテイイ気ニナッテルノ? 死ヌワヨ?」
放たれた弾幕は紅魔館の周囲にいた艦隊を蹂躙した。青葉の元へ近づいていた水雷戦隊、および天龍をことごとく屠り、容赦なくその身を傷つけていく。
青葉はその弾幕の中でも被弾していなかった。だが、天龍が中破、吹雪、叢雲、電が大破、球磨に至っては駆逐艦を庇って最も弾幕が集中したため大破し、艦隊は最早戦闘が出来る状態にない。
油断していた。吸血鬼は姉妹だと聞いていたにも関わらず、強大な敵を倒したということだけで完全に気が抜けていた。
たった一度のスペルカードで。ただ一度の攻撃で艦隊が封殺された。この尋常ならざる事態に、青年は思わず駆け出す。
「提督、何処へ行くおつもりですか!」
「決まってる! 大破した子達を連れ戻すんだ!」
「無茶です! 提督は戦えないのですよ!」
「何もしないよりはいいよ!」
鳳翔の忠告を無視し、青年は更に駆ける。同様に上陸して救援に向かっている古鷹、加古、衣笠を追い抜き、青年は紅魔館の門の前に到着した。
呼吸を整えつつも、五月雨以外の大破してぐったりと倒れ伏している駆逐艦と球磨を、すぐさまカードへ変化させる。
いつ弾幕が放たれてもおかしくない状況にて、前線に出てきたことを天龍と夕張に怒鳴り散らされ、緊張と不安に体を震わせながらも青年は青葉の前にしゃがみ込んだ。
「青葉、立てる!?」
「し、司令官!? どうしてこんなところに?」
「そんなことはどうでもいい! どっちだ!」
「ま、まだ戦えます! 青葉はしぶといんですから!」
見る限り完全に脱力していた青葉だったが、青年の顔を見て驚嘆に染まる。だが、状況をすぐに理解したのか、主砲を持って立ち上がった。
戦いに巻き込まないようにと、青年はレミリアを背負う。銀色のセミロングと、身体に似合わぬ大きな翼、レースが施された薄いピンク色のドレスを着た少女。あれほど驚異だったというのに、その体は驚く程軽い。
そしてその場に落ちていたカードを拾う。悩んでいる暇などなく、その場に実体化させた。
「私が鳥海です、よろしくです」
現れたのは重巡洋艦、鳥海。丈の短いセーラー服に成長した体躯。縁なしメガネと肩まで伸びるロングの、真面目そうな重巡。
「ごめん、戦ってくれ!」
「え、は、はい!」
戸惑いを隠さない鳥海と、焦りを浮かべる青年。青年は既に、この状況をいかにして切り抜けるかということしか頭になかった。
大破した艦は保護した。だが、現状の最大の戦力である第六戦隊で、レミリアを相手にあれだけ苦労したのだ。もう一人を相手にするには第六戦隊は傷つきすぎたし、残る戦力も少ない。
駆逐4人、軽巡2人が大破。残ったのは駆逐1人、軽巡2人、重巡4人のいずれも中破している艦と万全の鳥海。鳳翔は夜は戦えない。
だが、戦わなければならないのだ。異変に関わった者として。守矢神社を守るためにも、艦娘を守るためにも。
「戦えない者は自己申告してほしい! 無理に戦えとは言わない!」
「それで戦わないと言うほど、青葉たちは腑抜けた訓練を受けてはいません!」
「そうだな、俺たちを甘く見てもらっちゃ困るぜ?」
「中破したってまだ砲は撃てるし、機関も絶好調だよ!」
「……わかった!」
戦力も限られている。士気も十分。ならば、選択は一つしかない。
「艦隊を再編成する! 旗艦鳥海!」
「はい!」
「命令は一つ、生きて帰ってくること! 絶対にだ!」
抜錨『三川艦隊』
――重巡『鳥海』『青葉』『衣笠』『古鷹』『加古』
軽巡『天龍』『夕張』
駆逐『五月雨』
艦隊が編成され、鳥海率いる艦隊は上陸し、紅魔館の門の中へと進んでいく。
「単縦陣を敷きます! 重巡は弾種三式、天龍、夕張、五月雨は攻撃が来たら重巡の装甲に隠れてください!」
重巡がそれぞれ主砲を構え、紅魔館の屋根の上の少女と相対した。
咲夜曰く、少女の名前はフランドール・スカーレット、愛称はフラン。吸血鬼姉妹の妹であり、その能力は――
「アナタ達ハ壊レナイノ?」
瞬間、艦隊前方の地面が爆発した。大量の土石が舞い上がるも、艦隊は怯むことなく駆けていく。
“ありとあらゆるものを破壊する程度の能力”。
万が一人などに使用された場合は考えたくもないが、今まで人に対して使用されたことはないという。
だが、深海棲艦と化している今の状況で、その言葉を信ずるべきかは悩ましい。
「目標、敵陸上基地! 重巡、各個に撃ちー方始め!」
鳥海の指示で、艦隊から三式弾が一斉に放たれる。紅魔館の屋根に座すフランは三式弾の攻撃に顔を歪めつつ、牽制代わりのような弾幕を艦隊に向けて放った。
前面に押し出ている重巡が、その装甲によって弾幕を弾く。後ろにぴったりとつく3人は、姿勢を低くして流れ弾に当たらない位置に着いた。
「フラン、レミリアは倒れたぞ! 姉の真似なんかするな!」
「魔理沙ァ、会イニ来テクレタンダ。私ネ、今トッテモ気持チイイノ……」
「おい、さっさと元の姿に戻って、咲夜に紅茶入れてもらおうぜ!」
そしてそこへ、上空の魔理沙からも弾幕が放たれる。きらめく弾幕は夜空を流星のように駆け、フラン目がけて堕ちていく。が、フランは歯を見せて笑うばかりで、一向に動こうとしない。
レミリアの時も同じであった。あの基地型の深海棲艦は、その場からほとんど動こうとしない。動かないのか、それとも動けないのか。
「砲撃を続けてください! 弾種そのまま、撃て!」
更に砲撃を続ける艦隊。既に紅魔館の玄関口まで到達し、そしてそこは水雷戦隊にとっても有効な攻撃が可能な位置。
「天龍、夕張、五月雨も砲撃開始してください! 攻撃が来たら重巡を盾にして構いません!」
艦隊の攻撃は止まない。その空間を抹消するかのような三式弾の嵐。精度を重視した軽巡と駆逐の砲撃。紅魔館の屋根は跡形もなく消し飛び、フランは紅魔館の内部へと落ちていった。
「やったか!?」
加古と衣笠がハイタッチをして喜んでいた。青年も遠目に見ていたが、間違いなく大きなダメージを与えているだろう。
例えるならば、外の世界におけるトラックが、何度も何度も激突しているかのような攻撃だ。それで無傷と言われた方がよほど怪しい。
「ねえ鳥海、どう思う?」
「私の計算では、少なくとも損害状態にまでは持ち込めたはずです」
古鷹と鳥海の問答。鳥海はズレたメガネを押し上げ、紅魔館を真っ直ぐ睨んでいた。上空にいる魔理沙も、紅魔館から上がる煙で何も見えないらしく、漂ったままである。
ところが――
禁忌『レーヴァテイン』
紅魔館の内部から、突如として現れた大きな光線状の弾幕と思しき紅い極大の光。レンガ造りの紅魔館の壁を容赦なく突き通し、そのまま艦隊をめがけて、壁ごと、横に薙ぎ払われる。
(えっ……あっ、みんなが――)
装甲がまるで紙切れのようであった。巨大な火炎の剣のようなそれは、紅魔館の壁をことごとく破壊しつつ、艦隊を襲い、蹂躙した。
辛うじて鳥海が中破に留まる。だが、他の艦は一瞬にして、瞬きをする間に大破してしまった。紅魔館の前で、鳥海以外の全員が地に倒れている。
過呼吸に陥りそうになる青年。さらに――
「カミツレさん、霧の湖に新しい深海棲艦が――!」
息を切らせながら、早苗が青年に連絡する。絶望に苛まれ、虚無感に襲われ、青年は堪らず膝をついてしまった。
(僕は何をしたら……。戦力は? 状態は? 敵の数は? 力は? さなちゃんと魔理沙ちゃんと咲夜さんと鳥海で、全員助けて全部倒して、それから――)
だが、青年の心を折る出来事がもう一つ。
「アハハハハハハハハッ、アハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
禁忌『フォーオブアカインド』
『アハハハハハハハハハハハハハハハハッ!』
崩れかけの紅魔館から現れたフラン。その姿が――4人に。吸血鬼の不死性によるものか、これまでの攻撃もほとんど回復している。
「ねえ、さなちゃん」
「は……はい」
「短い間だったけど……守矢神社で過ごせて楽しかった」
胸の中で何かが失われ行く感覚――。青年は紅魔館に向けて走る。何か聞こえただろうか、いや何も聞こえない。
カード化させられるのは自分ただ1人。大破して命の危機が迫っているのは7人。最適解を導き出すのはなんて簡単なのだろう。
ただ、突発的に動いたために、レミリアを背負ったまま走ってしまった。が、不死であるなら、最悪生きてはいられるだろうとそのまま走る。
鳥海が三式弾で無勢ながらも応戦している横へ、青年は到着する。大破した艦娘を全員カード化させ、ポケットに入っていたカードを全てまとめ、鳥海と向き合った。
「提督としての命令。必ず、生きて皆を守矢神社に送り届けること。それだけ」
「えっ――でも、提督!」
「装甲があるから君は逃げられる!」
無理矢理カードを鳥海の手に持たせ、背中を押して早苗の元へと走らせる。残った自身はフランと――8つの目と相対し、拳を握り締めた。
自分が囮となれば、少なくとも鳥海に攻撃は向かわない。これは皆に、自分を慕ってくれた艦娘に対する恩返し。目も当てられない提督だっただろうが、青年なりの形容しがたい気持ちを行動で示した結果。
故に、この選択に後悔はない。フランを倒す方法、艦娘が可能性の一つであるというなら、生かすことこそ正しい選択で間違いないだろう。
覚悟を決め、大きく息をついて。
震えが止まらない手を握り締める。
ただ、願わくば。もしも許されるのであれば――
(もう少し、みんなと一緒に……いたかったな)
フランの眼光が一斉に輝くのを見て、青年は目を瞑る。
後戻りなどできない。そして、その選択肢さえも青年は持ち合わせていなかった。
「アナタの運命、本当に酷いものね」
背中に背負っていたレミリアが、いつの間にか目を覚ましていたらしい。深海棲艦だった時の姿と性格しか知らない青年としては、急に話しかけられたことに驚いたものの、諦めにも似た境地で声を返す。
「そんなものですよ。僕が幻想郷に来る前後の運命は本当に恵まれていました。ハハハ、僕みたいなのが幸せを願っちゃったから、バチがあたったんでしょうね」
「ふうん、そうかしら? 貴方の運命は確かに醜くて面白い。……でもね、悪いことが起きるとは言ったけれど、良いことが起きないなんて一言も言ってないわよ」
「これ以上僕を幸せにするんですか?」
「少なくとも、あなたはここで途切れる運命ではないようよ――咲夜!」
瞬間、豪風が紅魔館一帯に巻き起こる。
何が起きたのかと現状を把握するより前に、いつの間にか、自身とレミリアは紅魔館の門の外へ移動していた。
そして上空。そこに君臨するのは見知った顔。
注連縄を装備し、赤い服を纏った軍神が、不機嫌そうな顔で顕現していた。
「ウチの子たちが世話になったね」
支援射撃
――御柱『メテオリックオンバシラ』
突如、空から巨大な木の柱のようなものが降ってきた。それはフランの1人を直撃して、一瞬にして原型を奪って地面へと叩きつけた。
降ってきた、などど軽い表現ではない。雨あられと降り注いだのだ。
爆音をかき鳴らしながら、フランめがけて柱が放たれる。外れたものは紅魔館へと突き刺さり、その内部を食い散らかすように破壊した。轟音を立てつつ、紅魔館は徐々にその姿を強制的に変貌させられる。
終わらない。柱は降り注ぐことをやめない。
フランを、紅魔館の全てを破壊し尽くすかのようなおびただしい数の柱が、まるで砂に木の枝を突き立てるが如く、雨あられと堕ちていく。
――やがて攻撃が終わる。後に残ったのは、最早形を残していない紅魔館の残骸と。
その入口だった場所付近にて、柱の影でうつ伏せに倒れる一人の少女であった。
「……あっ、霧の湖の敵が――あれ……咲夜さん、いつの間、に?」
「妖怪の山から援軍が現れたみたいよ。白狼天狗が空から、河童が水中から攻撃して、もう戦闘は終わったわ」
「あ、そ、そう……なんだ」
その場に、へたりと座り込む青年。座り込むなどではない、腰が抜けたのだ。
上空では神奈子が魔理沙と何やら口論しており、背中から降りたレミリアは咲夜とため息をついている。鳥海は現状を把握しきれていないのか、カードを胸元に抱きしめて周辺をキョロキョロと警戒していた。
そして、早苗。
「カミツレさんは……本当に馬鹿です」
早苗は俯いたまま座り込んだ青年の正面に立ち、頬を叩く。
ジンジンとした痛みが走るものの、その頬には早苗の優しい手が添えられた。
「馬鹿です……大馬鹿です。存在が奇跡みたいなお馬鹿さんです……」
「うん……ごめん」
「二度と……同じ真似をしないでください」
「……約束する」
「ばか……」
顔をあげて、涙をこぼしそうな表情を見せる早苗。震え、絞り出すようなその声が聞こえたかと思うと、青年の胸元に顔を寄せる。
声もなく、青年はその頭に優しく手を添えた。
上空を天狗たちが飛び回る。その中には見かけたことのある白狼天狗の少女と、文という天狗の少女の姿もあった。目を覚ました紅魔館の面々は、崩れ果てた紅魔館に声も出ないようで唖然としている。
今は何をするべきだっただろうか。艦娘をどうにか回復させて、艤装を修理して、にとりに砲弾の複製を頼んで。
紅魔館の人に壊したことを謝って、神奈子にお礼を言って、天狗や河童たちにもお礼を言って。
襲い来る眠気で考えがまとまらない。地面に倒れまいとした結果、青年は懐の早苗を無意識に抱きしめる。
空が明るくなり始める。刻は既に、朝を迎えようとしていた。
長い一日は、ようやく終わりを迎える。
着任
高雄型重巡洋艦四番艦『鳥海』
これにて第一章は終了となります、ご愛読ありがとうございました。
第二章以降も引き続きお楽しみください!
目前着任:序章:特Ⅰ型駆逐艦一番艦『吹雪』
特Ⅰ型駆逐艦五番艦『叢雲』
特Ⅱ型駆逐艦九番艦『漣』
特Ⅲ型駆逐艦四番艦『電』
白露型駆逐艦六番艦『五月雨』
天龍型軽巡洋艦一番艦『天龍』
司令長官『茅野守連』
第一章:天龍型軽巡洋艦二番艦『龍田』
夕張型軽巡洋艦『夕張』
青葉型重巡洋艦一番艦『青葉』
古鷹型重巡洋艦一番艦『古鷹』
古鷹型受巡洋艦二番艦『加古』
青葉型重巡洋艦二番艦『衣笠』
鳳翔型航空母艦『鳳翔』
球磨型軽巡洋艦一番艦『球磨』
(小说断更及作者失踪)提督が幻想郷に着任しました 第二章 灰かぶりの審判
作者:小说:水無月シルシ
视频:イコ(同一人)
为生肉小说,熟肉有谁可以翻译的可以再开一个帖子,谢谢
作者已经失踪,无法联系作者
如有侵权请联系删除,谢谢
序章 東方風神録:
https://bbs.nyasama.com/forum.php?mod=viewthread&tid=1846283
第一章 紅き狼:https://bbs.nyasama.com/forum.php?mod=viewthread&tid=1846285&extra=page%3D1
020 秘めたる鼓動
異変の夜が明けてから数時間後。朝日もその姿を完全に見せた頃。
守矢神社の浴場。霊体を癒す効能のある温泉を引いているこのお湯は、艦娘の入渠にも大変効果的である。今回の異変では多くの艦が損傷したのだから、治り次第、次の艦娘に浴場を渡さなければ、艦隊はいつまでも動けないままなのだ。
だが。
「あーねむぃ……死ぬ……疲れたぁ」
「加古ったら、死にかけのアザラシみたいな顔してて可愛い、ふふふっ」
「そ、その表現ってどうなの古鷹?」
損傷の痛みを受け入れるがままに感じた死にかけのアザラシ、もとい加古は、働く気の起きないサラリーマンのような言葉を漏らしながらグッタリしていた。共に入渠しているのは、同じく第六戦隊の古鷹、衣笠、青葉である。
現状、鎮守府の戦力として最も大きな比重を持つのが重巡洋艦、その中でも同型艦かつ連携の抜群な第六戦隊が最優先として、最初の入渠組に選ばれたのだが――
(しばらく哨戒に徹するなら、治りの早い駆逐艦先に休ませた方があたしゃいいと思うんだけどな……まいっか、提督の提案だしありがたくもらっとこ)
沸々と込み上がる別の形が頭に浮かぶのだが、それを言葉にすることはせず、代わりに顔をお湯につけてぶくぶくしていた。行儀が悪いからやめなさいと、すぐに古鷹に正されたが。
再びぐったりしようと浴槽の縁に身体を預ける。預けたところで、青葉が三人に輪から少し外れたところでぼんやりしているのが見えた。
「青葉ぁー、そんなとこで何してんの? こっち来なよ」
「…………」
「青葉? 青葉ったら!」
「ふぇぁ!? あ、ああ加古、どうしました?」
「いや、ちょっと距離を感じたからさぁ。それとも、まだ古鷹と話せそうにない?」
「ちちち違いますよ! そんなんじゃありません! 少し考え事をしていて」
と、慌てて否定する青葉。どうやら本当に呆然としていただけであったらしく、輪の中に入っては衣笠の胸に頭を預けてくつろぎ始めていた。
「あー、極楽ですよ衣笠ぁ」
「ふふふ、青葉よりは大きいからね」
「む、失礼な。青葉はまだ成長途中ですから!」
「この体って成長するの?」
ムスっとしていながらも、本心から嫌そうではない青葉。自分で胸を揉みながら唸っているのだが、十中八九その願いは叶わないだろう。
「でも、青葉はホントに頑張ったよね」
「や、やめてくださいよ古鷹。結局、青葉は運が良かっただけなんですから」
「それでも、私の自慢の妹だから!」
そう言って、古鷹は青葉の頭を正面から抱きしめた。慌てる青葉を押さえ込むように、衣笠もまた青葉を背中から抱きしめる。
揉みやんせ揉みやんせ。ここはどこの天国じゃ。
(あー、いいな。アタシもあんなのされてみたい)
などとボケーっとしながら、しばらくその光景を眺めていたのだが、耳まで真っ赤になった青葉が脱出したので、柔らか☆パラダイスは幕を閉じた。
加古はあくびを一つつくと、心に残る疑問をポツリと漏らす。
「にしても、変な提督だよなぁ。艦娘のアタシらを生かすために死のうとするなんてさ」
「きっと、兵器だと思っていないんでしょうね。そうでなければ私たちにここまでの気遣いをしてくれませんから」
「アタシは昨日着任したばっかりだけど、あの提督ってなんなのさ。どういう人なの?」
「そうは言われても、青葉も昨日着任ですし……」
「私も加古と同じ……」
「き、衣笠さんは四人の中で一番最後だったもん……」
「一番最初が吹雪で、四日前とかだっけ? 提督を否定したいわけじゃないけど、ホントに新人どころか素人なんだねぇ」
多くの艦を指揮する立場になるまでに、どれほどの勉学と実績、経験を積まなければならないか、艦娘であれば誰でも理解していることだろう。生半可な知識、知能では艦を徒らに消耗するだけであり、そこには当然想像もつかない重さの責任がのしかかる。
過去を共有しているというのなら、青年も提督という立場がどのようなものか多少なりともわかっているはずだ。いかに自身らが人の形をしているとはいえ、艦を従えるという根本は変わっていない。
「でも青葉は司令官のこと、守りたいって思いました」
しかし、青葉は迷いを伺わせることなく、そう答える。
一日で何がわかるというのか。否、一日でどれだけ理解したのか、だ。
「青葉は一時期、司令官の過去に暗闇みたいなもやもやがかかっていたので、記憶を読むことはできませんでした。その分、司令官というヒトを色眼鏡なく見ることができたと思います」
「その結果、守りたいって思ったってこと?」
「はい。あの人の笑い方、見たことありますか? にこやかなのに、とっても儚そうに笑うんですよ。でも、頼りないとは思えないんです」
「あー……、ま、器は大きそうだよねぇ」
もしも。
もしもこの幻想郷で、この艦隊が存続しようとするなら。
(既存の知識の“提督”じゃ、対応しきれないのかもねえ。アタシらもわからないことばっかりだし。そういった意味じゃお互いに成長していく必要があるってコトかな)
例えば深海棲艦との戦い。例えば幻想郷の住人との戦い。
若くて頭も柔らかい彼の方が、柔軟に対応できるようになる可能性はあるのかもしれない。
(あーあ、アタシらで色々教えてやりたいけど、根っこから教えられるだけの経歴と知識を持った艦娘がなかなかいないんだもんなあ。“提督”を一から育てようなんて、それこそ連合艦隊旗艦クラスじゃないと荷が重いよ)
加古は再びため息をついたところで、古鷹の胸に頭を預ける。その魅惑的な山に溺れると、加古は人型で良かったと心から思ったのであった。古鷹も嫌がっているわけではないらしく、お姉さん然としてそのまま加古の頭を撫で始めた。
しばし堪能、他の面々もゆったりくつろいでいたのだが、青葉がふと思い出したかのようにこう語る。
「あ、そういえば青葉、新聞を書きたいと思います」
「早苗、アンタも寝ていいんだよ?」
「いえ、気にしないでください。妖怪の山に感謝状を出すくらい、私でもできます」
「でも怪我しているだろう? それに一晩寝ていないんだ。私や諏訪子は睡眠なんてあってないようなもんだけど、早苗は違う」
「でも、神奈子様……」
「もっと私たちを頼りなさい」
「…………はい」
神奈子の部屋を後にして、早苗は重たいまぶたを擦りながらあくびを一つ漏らした。
紅魔館の異変が終わった夜明けから数時間。日も姿を現してジリジリと気温を上昇させ始めていたのだが、神社の中は比較的涼しい。今は皆眠っているためか、静まり返っているのも手伝って尚更である。重巡洋艦が入渠している浴場のみ、少し物音がする程度。
まるで、この神社に一人取り残されたように錯覚してしまう。
自分の部屋へと足を進めながら、早苗は一つため息を吐く。
(神奈子様はいつも優しいですね……)
それは決して、安心からくるものではなかった。嘆きとも異なり呆れとも違う、言うなれば虚無感に比する寂しさ。
が、これを以て神奈子を嫌いと表するのは、早とちりどころかお門違いである。むしろ神奈子や諏訪子への感情など、愛などという陳腐な妄言などでは形容できないのだ。深く深く、体の芯より溢れ出るものは、感謝という言葉では伝えきれない。
何度二柱に尽くそうと考えただろう。何度二柱に身を捧げようと誓っただろう。今この心が存在するのは、ひとえに二柱の寵愛があったから。
だから。
(私にはその優しさが、時折眩しく感じてしまうんです)
見返りを求めない、ひたむきな純情を受けて尚、何も返せない自分が。
受け入れて、受身に徹して、ただ他人の剥き出しを取り込んでしまう自分が。
何もしようとしない、何もできない、無力な自分が。
嫌いなのかもしれない。
ふと、紅美鈴が境内で拳法の稽古をしているのが目に入った。早苗は足を止めて、その様子を眼に焼き付ける。
一心不乱に拳を、脚を振るう美しい肉体。時折跳ねる汗すら、朝日を帯びてキラキラとその勇ましさを照らしていた。
(あんな異変を経験してしまうと、幻想郷に来たって実感がどんどん湧いてきます)
その力強い演舞を見届けていたのだが、途中で美鈴が気づいて手を振ってきた。早苗もそれに笑顔で手を振り返し、会釈してから再び部屋を目指す――。
いつか見た音、いつか聴いた景色。いつか感じた色。
思い出したくもない――あの瞳。
『自分の家に神様がいるとか、コイツ頭がおかしいぜ~!』
『えー早苗ちゃん、それちょっと……キモいよ』
『おい、あれ東風谷っていうんだけどさ、神が視えるとか言ってチョーシこいてんだぜ。笑っちゃうよな』
『あ、あのね東風谷さん。私、東風谷さんと仲良くしてるって周りの子に思われたくないから……もう話しかけないで』
『東風谷? あー、そんなのいたな。確かイタい奴』
『東風谷さん? 小学校と中学校は一緒だけど、あんまり知らないかな』
『東風谷さんの家の事情はよく理解していますが、この際先生はハッキリ言わせてもらいます。神様が視えるなんてこと、言葉にするのはもうやめにしませんか? 先生も東風谷さんをかばうのに疲れてきたのです』
『私は小学生の時に一度言ったきりで、それから口にしたことは……』
『いいですか? 高校生にもなればもう現実がわかっていると思います。自分は“特別”な存在ではない、“普通”の存在だからこそ努力する必要がある、と。……ああ、でも東風谷さんは――』
『天才だから、努力なんて知らないのでしょうね』
思い出すだけでも忌々しい。否、忌々しいなどという言葉では足りない。
――憎い。
きっかけは子供の家族自慢に過ぎなかった。だが、神が普通ではないと気づいた時にはもう遅い。
ふざけるな。自分の何を知っているというのだ。自分の何が気に入らないというのだ。
頭を空っぽにして過ごしているお前たちのどこがそんなに偉いというのか。
(あは、そんなことを思っていた頃もありました)
痛みなどなかった。痛みを感じる隙間などなかったから。
煩わしさも消えた。全て下らないものに見えてしまったから。
残念ながら、自身は特別な存在だ。そもそも、誰しも誰かの特別であるし、特別になろうとしないこともまた、普通ではないとして特別扱いされてしまうのだ。むしろ、特別ではない何かを教えてはくれないだろうか。この幻想郷まで追ってこられるのなら。
現実を見ていないのは誰だろう。少なくとも、自分にはよく“視えて”いる。
(……でもやっぱり、私はその“普通”が欲しかったんでしょうね)
だから。
現実を視てしまい、寵愛を受け入れるだけ受け入れた自分が。
特別を特別と知らず、自らを普通と過信して誤たってしまった自分が。
より高みを目指し、誰かに認められるために努力を片時も怠らなかった自分が。
嫌いなのだろう。
誰かって、誰だ。
自分って――誰だ。
早苗の部屋は青年の部屋の隣である。今は行き場をなくした紅魔館の者たちが雑魚寝しているはずだが、青年は無事だろうか。主に生命的な意味で。
(吸血鬼姉妹は……朝だから大人しくしているとは思いますが)
部屋を覗いてみようかとも思ったが、あれだけ必死になっていた青年がぐっすり眠っていることを考えれば、彼を起こしてしまうのは本意ではない。
誰かの為に命を賭けられること。青年の立場から選択されたその手法の是非はともかくとして、そう思えることは早苗にとってまばゆいのだ。
お互いを想い、お互いをかばい、お互いを助ける。青年と艦娘たちは、最初こそ互いをよく理解しないまま、それぞれの役割を形だけ演じているようにも思えた。
だが、この異変を終えた結果、どうだろう。歪でボロボロだった頼りない糸が、それは強固に、それは頑強に張り巡らされたのだ。
(羨ましいです。カミツレさんとあんな形で意思を交わせるなんて)
嫉妬にも似た悔しさが胸を刺す。いや、これは嫉妬なのだろう。
自分が得られたかもしれない一つの隣、一つの信頼の置き場所を、奪われたことへの。
が、艦娘を憎く思うことなどない。不甲斐ない己に釘を刺すことはあれど、青年を守るため、青年を想うが故にその場所を勝ち取った彼女たちに、どうして己の未熟さを語りかける必要があるだろう。
青年の優しさは、いつだって自分にとって猛毒だ。
かけて欲しい言葉を、かけて欲しい時にかけてくれない。決して甘やかしてくれないし、見捨ててもくれない。話に返事をくれる時も、どこか外れた天然さを含んだようなお間抜け。
何より早苗を締め付けるのは、自分を“特別”扱いすること。
きちんと目を見て話す。相手の言葉をしっかり聞く。言葉一つ一つに喜怒哀楽を示してくれる。
これを“特別”扱いと言わずしてなんと言おう。“普通”は、皆それをしないというのに。
ああ、もし願いが叶うのなら。
どうかあの青年と、心から分かり合える日が来ないものだろうか。
どうかあの青年が、心の内をさらけ出してくれる日が来ないものだろうか。
(カミツレさんには私だけ見ていて欲しかったです……なんて、ね)
それが叶わないことなど知っている。青年はいつも自分を助けてくれて、どんな時も自分を見てくれて、ありのままの自分を受け入れてくれる。
それだけで十分。彼はずっと、早苗のヒーローなのだから。
だから。
彼をずっと好きでいられる自分のことが。
早苗は大好きなのだ。
だから――
彼以外など知ったことではない。
自身の部屋に入ると、早苗は障子を静かに閉めた。
早苗の視点は本来もっと先で書く予定でしたが、ここまで付き合って頂いた皆様には少しだけ。
それより第六戦隊の乳についてもっと書きたかったゾ 021 追い出されて
目が覚めたときは朝だった。清々しい空気と腕にかかる重みで目を覚まし、青年はゆっくりと体を起こす。
(……あれ?)
しかし、腕の重みで起き上がることができない。一体どうしたのだろうかと疑問を抱きつつ、瞳を自身の腕へと向ける。
そこにいたのは。
館を破壊され、泣く泣く守矢神社に泊まり込むことになった吸血鬼――レミリア・スカーレットの可愛らしい寝顔であった。
青年の方を向いて、すぅすぅと静かな寝息を立てるレミリア。まるで幼子が親に甘えるように、小さな手は青年の服を掴んで離さず、頭を青年の胸へと擦りつけるような寝相。
呼吸と共に揺れる小さな唇は、その幼い姿からは想像できないほど色めかしいが。
(そうかそうか、寝床どころか家がないんだもんなあって……ちょっと待てぃ)
納得する余裕などない。なぜ自身の部屋にレミリアがいるのか、それどころか、自分は一体いつ守矢神社に帰ってきたのだろう。
「うわ……えっ、ちょっと……」
部屋を見渡せば、部屋の隅で本を読んでいるパチュリー・ノーレッジ、レミリアに抱きついて眠っているフランドール・スカーレットと、紅魔館の面々が揃っていた。部屋の外、境内には紅美鈴の姿もある。
(この人たちが守矢神社に来ることになったのは覚えてるけど、それから、それから……何があったんだっけ?)
ところどころ記憶が抜け落ちており、どうにも思い出すことができない。
だが、例えこの状況を誰かに見られたところで、青年には言い訳によって切り抜けるだけの余裕が――
「お嬢様、朝食の用意が――あら、いい度胸じゃない」
あるわけがなかった。
障子を開けて部屋に入ってきたのは十六夜咲夜。部屋の惨状を見て一瞬硬直するも、「ああ」と一言だけこぼしてからその瞳には殺意が宿った。
体勢を変えることもできず、寝転んでレミリアを腕の中に抱えたままであるが、青年は困り顔で冷や汗を垂らす。
「え、えっと、咲夜、さん。何か勘違いをしているんじゃ」
「言い残すことは?」
ピキピキと音を立てて、咲夜のこめかみに青筋が立つ。何とか言い訳、というよりは無罪の事実の証明をしようと慌てていると、腕の中で眠っていたレミリアが目を覚ました。
「全くもう……うるさいわね。何なのよ?」
「レ、レミリアさん、丁度良かった。あなたからも一言お願いします!」
「あら、あなた……」
目を見開き、口元に手を当てて驚くレミリア。
この様子ならレミリアも勘違いなどしないだろう。部屋が狭いが故に起きた事故であり、お互いに悪気もない。そうと決まればレミリアにも庇ってもらいたいものであるのだが。
「お前は確かカミツレ。ゆうべは……その、激しかったわね」
「…………へ?」
「私だけじゃなく、フランまで組み伏せるとは思わなかったわ。私も……あんなに昂ったのは久しぶりよ」
額に手を当て、少し頬を染めながら。ほぅ、と腕の中でため息をつく彼女の頭を撫でたくなるような庇護欲に駆られるも、みるみるうちに静かな怒りに染まる咲夜の表情を無視することなどできなかった。
「あ、あの、レミリアさん。何を……」
「とぼけるつもり? あんなに私のことをいじめたくせに」
ぷい、と顔を背けるレミリア。その興奮した様子の視線は、顔を隠すように俯くことでそらされた。もしかしたら、傍からみれば、イチャイチャしているカップルのように見えるのだろうか。
と、いったところで、咲夜が青年の背中にナイフを突きつける。
「お嬢様と妹様に手を出した挙句、知らぬ存ぜぬで突き通すつもり?」
「い、いや、本当に知らないんですよ!」
「問答――無用!」
「酷い目に遭いました。正直異変の時より死を覚悟しましたよ」
「すまんな。部屋が足りないから、カミツレのところに入れることになったんだ。ちゃんと許可はとったんだぞ?」
「えっ、僕は覚えていませんが?」
「いや、お前は寝てたから早苗に」
「なんで!?」
咲夜のナイフが背中越しに青年の肺を捉える直前。神奈子が部屋へと入ってきたため、なんとか青年は生をこの世に留めることができた。
とはいえ、自分の知らぬところで交わされた約束事に対し、青年は頬を膨らませるよりほかない。
場所は神奈子の部屋。共に部屋に座する諏訪子は冷たい麦茶をがぶ飲みしており、「ぷはー☆」と満足そうである。
「あーっと、今後はどうするんです?」
「どうにもこうにも、守矢神社としてはまず妖怪の山に礼を言わねばならないな。これは私の方でやっておくから気にすることはないさ」
紅魔館から発生した異変に際し、神奈子は調査を終えてから数合わせのために妖怪の山に助太刀を要請した。妖怪の山との交流は既に射命丸文との交渉によって成されていたために、滞りなく話が進んだ。
守矢神社の結界は侵入者を排除するためのものから感知するためのものへと貼り直されている。神奈子と諏訪子が、妖怪の山の者に対しある程度敬意を払っている証拠とでもいえよう。
最も、天狗や河童たちからすれば、早々に恩を売る機会がやってきたぐらいに思っている可能性はもちろんあるが。
「神奈子さんが粉々にした紅魔館はどうしましょう……?」
「それは私がやっておくよ。私の能力なら煉瓦ぐらい作れるし」
と、諏訪子がゴロゴロと転がりながら手を挙げて返事をする。
諏訪子の能力とは、“坤を創造する程度の能力”。岩石・土・水・植物・マグマなど、大地に関する物体を無から創造・操作することが可能である。
紅魔館は基本煉瓦造り。流石に紅魔館そのものを復活させることは難しいが、紅魔館に限りなく近いものを作ることは容易であるという。
話を聞き、神奈子の能力といい諏訪子の能力といい、凄まじいの一言に尽きる。どうして自身の周りには普通の人間がいないのだろうか。
と考えるも、紫に名付けられた“艦娘を指揮する程度の能力”もまた、考えようによっては大きな力となってしまうが。
「それと、皆のことなんですが……」
「そう……だな。こればかりは私たちも頭を悩ませている。カミツレの判断で最大戦力である重巡四人を風呂に入らせているが、それだけでも半日はかかりそうだ」
「半日って……。体が大きいとその分治療に時間がかかるんですか?」
「あ、ううん。多分、霊体の力の大きさの違いだと思う。駆逐艦より軽巡洋艦、軽巡洋艦より重巡洋艦の方が魂の力が強いみたいだからさー」
「鳳翔だけ全くの無事。鳥海が中破で、あとは全員大破か。こっぴどくやられてしまったな」
「あ、そういえばまだもう一人いますよ。フランドールさんが倒れていた所に一枚落ちていたようなので」
と、青年は懐からカードを取り出した。
白露型駆逐艦四番艦『夕立』
かつて第三次ソロモン海戦にて大立ち回りを演じ、鉄底海峡に沈んだ駆逐艦。敵味方入り乱れる大海戦の中で、まさしく獅子奮迅の活躍を見せた艦である。
(頼もしそうだ……キツい性格じゃなきゃいいけど)
しばらくは鳳翔とこの子で警備をするしかないのだろうか、と思っていたのだが、神奈子と諏訪子がそれぞれ思い出したように懐から何かを取り出した。
「あ、今更だが、妖怪の山からカード預かっているぞ。最後に押し寄せてきた深海棲艦を倒したら浮いてたんだと」
「そういえば私も電ちゃんから預かってるよ。霧の湖の戦闘で手に入れたから、カミツレ君に渡して欲しいってさ」
二人からカードを預かると、青年は逡巡しながらもその艦娘たちをしかと受け止める。
今手元には、自分の知らない新たな歴史が加わった。それをどのように紡いでいくかは、自分の手にかかっている。
それだけの覚悟を、今の自分は持っているのだろうか。
彼女たちの信頼に値する何かを、彼女たちへ向けられるのだろうか。
「……怪我してる子達、流石にこのままというわけにはいきません。でも、入渠は一度に4人が限界ですね」
「そればかりは時間が経つのを待つしかあるまい。艦娘には我慢を強いることになるが……」
辛そうな面持ちの神奈子の言葉に、青年は打つ手がないことを知る。
(早速これだ。もう少し皆のために何かしてあげられないのか……自分が情けない)
何が司令官だ。何が提督だ。
彼女たちの足を引っ張って、彼女たちの好意を受け止めきれなくて。
目の前で傷ついていく艦娘を見ていることしか出来なかった自分に、そんなものを名乗る資格なんてない。
「失礼するわ……って、お揃いで顔を歪ませてどうしたのかしら?」
「……あ、咲夜さん。その、艦娘の皆の怪我を、どうにか早く治療する方法はないかと思いまして」
「ああ、そんなこと? それなら早く相談してくれればよかったのに」
咲夜の思わせぶりな発言に、青年は飛びつくように目を見開く。その勢いに咲夜はのけぞるようにして顔をしかめたが、一つ咳をつくと人差し指を立てて口を開いた。
「永遠亭に行きなさい、万能の医者がいるわ」
「お出かけですか、カミツレさん?」
「あ、紅さん」
「美鈴で結構ですよ」
自室に帰ると、レミリアとフランはまだ眠っており、パチュリーは本を読んでいた。美鈴は境内での鍛錬を終えたのか、部屋の中で瞑想をしていたようである。
彼女たちは現在、神社の外に出ることを許されていない。特に、スカーレット姉妹は吸血鬼としての不死性を有している。その不死性から、深海棲艦として再び復活する可能性が拭いきれたわけではないのだ。
「どちらまで?」
「ちょっと永遠亭まで。今日は帰りませんので、部屋は自由に使ってください」
「わかりました。紅魔館無き今、私はここの部屋を死守したいと思います!」
と、冗談めかしてニコリと笑う美鈴。青年もクスリと笑い、損傷した艦娘のカードを揃えて大切に置いた。
「おや、艦娘さんは連れて行かないのですか?」
「諏訪子さんと約束しましたから。無傷の子は既に哨戒のローテーションを組んでいます」
「んん? カミツレさんは戦えないと聞いていますが……」
「まあ、仮に野宿になるとしても、火を焚いていれば大丈夫でしょう」
頭大丈夫かコイツ、などとは流石に思っていないだろうが、美鈴の驚き具合はなかなかのものである。
そう。咲夜から永遠亭の話を聞いたあとに、青年は諏訪子から一つの叱りを受けたのだ。
『カミツレ君。そういえば、紅魔館で自分から死のうとしたらしいね?』
『死のうとしたって……。えっと、はい。でもあの時は仕方なく――』
『早苗も泣かせたし。ここで一緒に暮らしたくないの?』
『そういう……わけでは』
『今日はウチには泊めないから。どうして私が怒っているか、頭を冷やして考えなさい』
『……ごめんなさい』
これで理由がわからないほど、青年も鈍くはない。
だが。
それでも守りたいものがあった。
命をかけてでも大切にしようと決意したものが。
運命――否。この宿命を全うしようと己に誓わせたものが。
それまでは、露とも知らなかったというのに。
反対したのは神奈子。妖怪の溢れる幻想郷に放り出すのは危険すぎる、艦娘が海岸の防衛に当たる以上、青年の護衛はつけられないから実質一人になる、という主張である。
しかしそれも、
『神奈子の到着が遅かったからそんな事態になったんだよ?』
『ぐ……しかしそれは』
『力が落ちてることを理由になんかさせないから。それとも神奈子。“その程度”なの?』
『……いいだろう。非常に癪だが、確かに私にも至らない部分はあった。お前の意見を認める』
という、青年からすればまるでわけのわからない会話によって。一日だけ守矢神社を離れることになってしまった。
艦娘には、役に立たない自身と違って哨戒という役割があるのだが、怪我をしている艦以外の全員が動かなければ数が足りない。
一部の艦娘、というより異変に参加して大破した艦の何人かがそれでもついていくと言って聞かなかったのだが、当然そんなことを許すはずもなく半ば強制的にカード化させた。
あまり望ましい選択ではなかったと理解はしている。だからこそ、区切りを付けたいという意味で一人になることを受け入れた。
永遠亭に行かなければならないのは、勿論艦娘の上司たる自身の責任。青年が自ら行かねば、誠意もなにもあったものではない。
(大丈夫だ。行きは道案内に咲夜さんもいるし、夜は永遠亭で一晩だけ泊めてもらおう。ダメそうなら本当に野宿だ)
「まあ、そういうことですのでよろしくお願いします。さなちゃんは今寝てるみたいなので、起きたらそう伝えてください」
「は、はあ……?」
そうして、青年は部屋をあとにする。
幻想郷で、初めて独りで過ごす夜は怖いのだろうか。
だが、もし寂しいと感じるようなことがあるなら、それは自分にとって一つの前進なのかもしれない。
「咲夜さん。本当にこの道であっているんですか?」
「…………」
「あの、咲夜ちゃん?」
「年下をちゃん付けで呼ぶのやめなさい。魔理沙も嫌がっていたでしょう。今集中しているから、少し静かにしてもらえないかしら?」
「え、年下だったんですか?」
「老け顔と言いたいの?」
通称、“迷いの竹林”を歩く青年と咲夜。咲夜は案内役を買って出たため青年についていくこととなったのだが、先ほどからその足取りが曖昧である。まるで迷ってしまったかのように。
鬱蒼と茂る竹林の中、それでいて空気はシンと静まり返っており、まるで何か神聖な空間に足を踏み入れたかのような感覚。肌がピリピリとして、どことなく青年は居心地の悪さを覚えた。
「ああ、一つ聞きたいことがあったの」
「なんでしょう?」
「あなた、紅魔館に住むつもりは?」
振り返り、咲夜の口から語られたのは青年も呆気にとられるような言葉。一瞬何を言っているのかと理解できなかったが、咲夜はそのまま続けた。
「私も孤児だった身として、あなたの痛みがわからないわけではないわ。私はお嬢様に拾われて幸せになった。あなたにも、その機会を拾って欲しい」
「……えー、咲夜さんは似た境遇の僕を紅魔館に引き入れたい、ということですか?」
このタイミングで「紅魔館はもうありませんよ」なんて空気の読めない発言をするほど、青年も子供ではない。
咲夜のその提案。魂胆を探るべく言葉を選んでいるのだが――。
「ええ、お嬢様に許可は頂いているわ。霧の湖に隣接していて、海へ続く川もあるから、艦娘さんたちも動きやすいでしょう?」
「なるほど。それは確かに一理あります」
「あまり乗り気じゃなさそうね?」
「守矢神社で過ごすのが楽しいですから」
「なら、神社で過ごす以上の幸せを約束するわ」
「そういう話では……ないんです」
読めない。
自分を引き込もうとしていることはわかる。海への影響力を持つ艦娘を手に入れることは、紅魔館にとって大きなメリットをもたらすだろう。そして、手元に置くならば、指揮官である青年を取り込むのが最良であることも。
しかし、それ以外の思いやりを。狡猾さよりも、むしろ自身へと差し伸べられる優しさを与えてくれる選択肢。それを前面に押し出している理由がまるでわからない。
わからないフリをしなければ、きっと自分は揺れてしまうだろうから。
そんなことはお見通しなのか、それとも最初から色よい返事をもらえないとわかっていたからなのか。やっぱり、といった風に咲夜は小さく苦笑した。
「でしょうね。話すだけ話しておこうと思っただけよ。でも気が変わったら、いつでも紅魔館に来てくれていいわ」
「お気遣いは嬉しいです。今度遊びに行かせてもらいますよ」
「ふふふ、それもいいわね。来た時は精一杯もてなしてあげる。紅魔館にとって恩人ですもの」
クスクスと笑う咲夜。まるで青年の答えを見越していたかのように、その表情には曇りはない。
が、ふと顔を上げたかと思えば、青年に向き直り、その顔を引き締める。
「そういえば、お礼を言っていなかったわね」
「お礼、ですか?」
「紅魔館を助けて欲しいというお願いを聞いてくれたこと、紅魔館の異変を解決してくれたこと、空中から落ちていく私を助けてくれたこと。全部引っくるめてよ」
「僕は……。僕らは、やるべきことをしたまでです」
「命をかけるほどのこと? あの時あの場であなたが死んで、一体どれだけの価値があったというのかしら? 私を受け止めたのだって、かなりの衝撃があったでしょう?」
「手厳しいですね。でも、それでも――」
「それでも?」
「僕……たちは、大事な人と離れることの痛みを知っていたから、どうにかしたかっただけなんです」
「……ありがとう」
そう言って、柔らかい笑みを浮かべる咲夜。あどけなく、本心からの言葉であるかのように笑うその表情に、青年は照れくさくなり目を逸らす。
「今日、夜はどうやって越すつもり?」
「どうって……永遠亭に泊めてもらおうと思ってます。泊めてもらえなければ野宿でしょうね」
「永遠亭に? ……いえ、それはやめておきなさい」
「え、どうしてです?」
「詳しくは言えないわ」
咲夜は少しだけ両眼を鋭くさせたかと思うと、ポケットから何かを取り出す。よくよく見れば、それは幻想郷で使われているであろう硬貨であった。
「永遠亭で用事が済んだら、人里までは案内してあげる。だから、そこで宿をとりなさい」
「ダメです、受け取れません。お金の施しなんて、僕は一番嫌いです」
「そう言うと思ったわ。だから、そのお金はあなたに“貸して”あげる。ちゃんと返しに来なさい。“使おうと使わまいと”、ね」
「……では、確かにお借りしました」
青年にお金を貸し付けてまで永遠亭に泊まらせないという咲夜が、何を考えているのかなどわかるはずもない。
だが青年は、そこに何らかのメッセージが隠されているようにも思えて、大人しくその硬貨を受け取ったのである。
満足そうに頷いた咲夜は気を取り直したのか、力強く足を踏み出した。
「さあ、早く永遠亭に行きましょう。私も神社に戻ってお嬢様と妹様の給仕をしないといけないの」
「あの……咲夜さん!」
「何かしら?」
「そっちは、今歩いてきた方向です」
「……よく気がついたわね。そう、今のはあなたを試したのよ」
その後、咲夜の案内の元、2時間かけて永遠亭に到着することとなる。
青年と咲夜は、ようやく永遠亭の前に到着した。竹林の中、開けた場所に鎮座する少し大きめの屋敷は少し古い造りではあるが、くたびれた様子はまるでない。
その屋敷の囲いの前、一人の少女が箒で地を掃いていた。
「うん? 咲夜さんじゃないですか」
「こんにちは、うどんげ。永琳はいるかしら?」
「師匠なら書斎にいますよ。……そちらの方は?」
「守矢神社は知っているわね?」
「はい。数日前に妖怪の山にやってきた神社ですよね?」
「ええ。彼は神社の関係者の一人なのよ」
薄い紫色の長髪に赤い瞳。伸ばされた背筋に、学生の様なブレザーの格好。最も彼女を特徴づけるのは、およそ人間には生えているわけもない、頭部から生えた長い兎の耳であった。実際に生えているのか、つけ耳なのかはともかくとして、少なくとも青年はこの少女のことを、兎を見るたびに思い出してしまうだろう。
咲夜から軽く説明を受けた少女は向き直り、ジロジロと眺めるように青年を見てからおずおずと口を開いた。
「あの、魔理沙が話していたんですが、もしかして茅野守連さんですか?」
「え……? あ、ええ、そうです」
「ああ、わかりました。師匠には私から話しておきます。どうぞ、遠慮なくお入りください」
「ど、どういうこと? というより君は?」
「私は鈴仙といいます。さあ、立ち話もなんですから」
そう言って、鈴仙は青年の背中を押して永遠亭の中に招こうとする。
突然押されることに青年も驚いたが、どうせ目的の場所は永遠亭である。戸惑いながらも、青年は足を進めることにした。
歩く中で、後ろから、
「……困ったことになりそうね」
と、ため息が聞こえたような気がした。
が、艦娘を救いたいが一心でいた青年は、他に考えることなどなかったのである。
また、ちょうどその頃。
「カ、カカカカミツレさんを一日追い出した!? なんてことしてるんですか!」
「あ、いやその……早苗? カミツレ君には頭を冷やしてもらおうと――」
「私がビンタしちゃったんだから、あの話はそれでおしまいなんですよ! 諏訪子様も神奈子様も嫌いです! 今日の晩ご飯はお二人だけたくあんですから!」
守矢神社では、怒号と呼ぶに相応しい叫び声と、神々の嘆きの声が響き渡ったという。
着任
白露型駆逐艦四番艦『夕立』
目前着任:序章:特Ⅰ型駆逐艦一番艦『吹雪』
特Ⅰ型駆逐艦五番艦『叢雲』
特Ⅱ型駆逐艦九番艦『漣』
特Ⅲ型駆逐艦四番艦『電』
白露型駆逐艦六番艦『五月雨』
天龍型軽巡洋艦一番艦『天龍』
司令長官『茅野守連』
第一章:天龍型軽巡洋艦二番艦『龍田』
夕張型軽巡洋艦『夕張』
青葉型重巡洋艦一番艦『青葉』
古鷹型重巡洋艦一番艦『古鷹』
古鷹型受巡洋艦二番艦『加古』
青葉型重巡洋艦二番艦『衣笠』
鳳翔型航空母艦『鳳翔』
球磨型軽巡洋艦一番艦『球磨』 022 難攻不落の心
「私が永遠亭の診療所を開いている、八意永琳よ」
「あ、えっと、か、茅野守連といいます。よろしくお願いします」
畳の部屋に通された青年は、5分ほど正座して待っていた。が、早々に足を痺れさせてしまったためにその場に崩れ、咲夜に面白半分に足をツンツンといじられていた。
そんな所へ、永琳と呼ばれる医者が鈴仙を伴ってやってくる。そのままお互いに自己紹介をしてしまった青年の心境は推して測るべし。
姿勢を正し、お互いに対面して座る。再び正座しようとしたのだが、崩して構わないと永琳は話す。
鈴仙は掃除の続きをする為にその場から離れた。よってこの場には、対面して座る青年と永琳、壁に寄りかかる咲夜の3人となる。
が、この永琳という女性、青年の目には眩しすぎた。しめ縄のように太く結わえた銀髪に、女性ながらも精悍な顔つき。赤と紺のツートンカラーの服をまとっているが、小さくはない胸元がその存在を主張していた。ぷるんとした唇も、整えられた長い睫毛も、光り輝いてすら見える白い肌も、全てが全てこの世のものではない様な美しさを備えている。
この凛々しくも美しい女性と正面から向き合うというのに、青年はまだまだ貧弱な精神しか持ち合わせていない。
「噂はかねがね。聞きたいことは色々あるけれど、先に茅野さんの用件から聞かせて頂戴」
「わ、わかりました。では、単刀直入に伺います」
意を決して永琳の瞳を見つめ、青年は口を開く。
「肉体を持つ幽霊の傷を癒す薬を探しています……できれば沢山」
「……不思議な薬ね」
永琳はスッと視線を鋭くさせたかと思うと、一度瞼を閉じる。そして、静かに瞳を開いては、その口から言葉を連ねていく。
「とりあえず答えとしては、薬はあるわ」
「ほ、本当ですか!?」
「ただし、3つ条件がある」
立ち上がりかける青年を、永琳は手で制した。そしてその手を握り、人差し指を立てる。
「一つ。そもそもそんな薬を使う人がいないから、試作として作っただけのものしか在庫がないわ。今回渡せるのは5回分、5つよ」
「5つ……いえ、十分です。是非とも頂きたいです」
その返答に、永琳は僅かに薄目になるも、中指を続けて立てる。
「二つ。材料は珍しいものが多いから、これから作るにしても一日に作ることのできる量は限られるわ。一日に一つがいいところでしょうね」
「……万が一の事態もあるので、作って頂けるなら非常に助かります」
「わかったわ」と、小さく頷く永琳。
この永琳という女性。先程から青年が持ちかけようとしていた話を全て先読みしているかのように話す。まるで、青年に積極的に協力しようとしているかのように、である。
だが、最後の発言で、青年もその理由がわかったような気がした。
「三つ。経過観察の必要があるから、あなたたちには永遠亭に住んでもらうことになるわ。軍艦の魂の具現化――これを危険と思わないわけがないでしょう?」
その真意――いや、隠そうともしていない。つまり永琳は、艦娘たちを自分たちの手中に収めたいのだろう。
軍隊のない幻想郷。幻想郷においては弾幕ごっこで勝負を決めるとは言え、統率のとれた集団は善し悪しを別として危険なものと判断されてもおかしくはない。
だから、自分たちの監視下に置く。紅魔館の異変も、形が違えば単純に紅魔館対艦娘という戦争になっていたのだから。
だが、軍艦、それ以前に軍という概念は幻想郷においてほとんど存在しないはずである。この永琳という医者は、どこでそのような知識を手に入れたのだろうか。
考えるも考えるも、青年の頭にはアタリがつくような答えは見つからなかった。
「それは……お断りしたいです」
しかし、受け入れることもできなかった。青年は拳を握り締め、生唾を飲み込みながら答える。
答えた瞬間、青年は冷や汗を垂らす。表情こそ変わりはしないのだが、永琳の雰囲気が目に見えて攻撃的なものへと変貌したのだ。
まるで空気が揺れているようで。
(ああ……今更だけど、改めて思い知らされたっていうか……)
自分は、艦娘は――この幻想郷において和を乱すファクターであるらしい。
「薬、『高速修復材』というのだけれど、3つ目の条件を飲み込めないようなら渡すことはできないわ」
「そこは……どうにかできませんか?」
「力を持った新参の神社と、特殊な干渉力を持つ海軍。どこを信用しろというのかしら? 幻想郷の支配でもするつもり?」
更に視線を鋭く尖らせる永琳。
「軍というのは、世界を変えてしまうぐらい大きな力よ。しかもあなたたちは、幻想郷で扱いきれない、不思議に包まれたままの海に対する唯一の手段。既にどれだけ揺るぎない立場に置かれているのか理解していて?」
「……僕は」
幻想郷に来て、守矢神社はまだ数日の新参もいいところである。ところが、その新参勢力が擁する個人と付随する力が、発生した異変を半日で解決したとなればどうだろうか。
そして、誰もが手出しできない海にすら対応できるとなればどうだろうか。
頼もしい、面白くない、様々な感情が生まれるだろう。しかし、最も考慮すべきは、危険だ、あるいはその個人を引き入れれば幻想郷において大きな力になる、といった思考に至ることではないだろうか。
少なくとも、八意永琳という永遠亭の主は、それに近い懸念を抱えているようだ。
「八雲紫さんにも信用を頂いています。それではダメですか?」
「あの妖怪は信用するには人柄がダメね」
「……ですよね」
「名前を出した貴方が納得してどうするの……」
紫の名前ならどうにかなる、と思っていた。しかし、どうにも紫の評価は人によって意見が分かれるらしい。
どうすればいいのだろうか。『高速修復材』という薬を手に入れた上で、守矢神社で暮らし続ける方法はないのだろうか。
信用が足りないのだ。永琳を納得させるだけの、艦娘と自分に対する信用が。
ないものは――築くしかない。
「八意先生。あなたが僕らの存在を危うく考えていることはよくわかりました。でも、僕にも守矢神社を離れたくない理由があります」
「永遠亭に住まなければ薬は渡さない」
おそらくこれは殺気。先程から全身が凍りつきそうなほどに萎縮しているのは、目前に座る永琳が睨みつけているから。
少しでも気に入らない返事をすれば、殺されるまではなくとも痛い思いぐらいはするだろう。
「聞いてください。僕は艦娘を統括する立場にあります。命令は僕が出します。僕を抑えれば、艦娘は無効化できるも同然です」
「あなたを拘束すれば手っ取り早いってことかしら?」
「それは待ってください。仮に艦娘が何か幻想郷にとって良からぬことをしてしまった場合は、僕を殺してもらって構いません。僕を殺せば、少なくとも命令系統はなくなります。それで納得してもらえませんか?」
瞬き一つせず、青年を睨みつける永琳。咲夜が何か言おうとしていたようだが、永琳はそれすらも制して青年から目を逸らそうとしない。
「確かに、軍では指揮官を潰すのは有効な手段ね。でも、実際に戦闘能力を有するのは艦娘でしょう? その約束に意味はないわ」
「しかし、僕らに幻想郷を乱すつもりはありません。守矢神社もです。信用できないのは分かっていますが、僕らの意思を無視するのは――」
「だから、原因のあなたに話を持ちかけているのよ、提督さん」
全く表情の変わらない永琳。これほどの恐怖、人生の中でも感じることはそう多くはないだろう。
的確に意見を潰す。それでいて何を考えているかを読み取らせない。
青年にとって、あまり相手にしたくはない性格である。
「霊夢さんを探す手がかりが、海にあるかもしれないんです。そして、それができるのは僕らだけ」
「永遠亭に住みながらでも出来ることよ」
「……守矢神社を離れたくありません」
「危険だから永遠亭で管理すると言っているの」
「なら、僕をすぐに殺せるような対処をするだけで簡単です。何かあれば、僕を殺せば艦娘の戦力は無効化できるも同然ですから」
「殺したら無効化できるって、いつ確認したのかしら?」
「……っ、それは……」
永琳から瞳を逸らし、青年はその場に俯く。
(……わからない。信用って難しいな)
今まで人との接触を拒み続けてきた罰、だろう。そして、立場を理解せず流されることに甘え続けてきた罰。
誇れるものなど何もない。そんな自分が信用を得るために、できることはただ一つ――。
立ち上がって咲夜に向き直り、僅かに逡巡した後に青年は話す。
「咲夜さん。ナイフ、貸してください」
少しばかり瞳が鋭くなっている咲夜。が、何かをいう訳でもなく、太ももからナイフを一本取り出すと、無言で青年に渡した。
その刃を眺めれば、自身の顔が映る。
(……まだこんな顔してたのか)
そして、ナイフの柄を右手で握り直す青年。立ち上がったまま座った永琳に向き合うと、表情こそ崩さないものの永琳はその殺気を強める。
「八意先生。ひとまず、僕がどれだけ本気かはお見せしたいと思います」
「ふうん……どうするのかしら?」
「こう、するんです――!」
言葉とともに、青年はナイフを逆手に持ち替え勢いよく振り下ろした。ナイフの目指す先は、青年の左の肩口――。
(惜しくは……ない!)
腕一本をもって、信用を形にしようとした青年。そして、そのナイフは服を破り皮膚を抉って骨に到達――。
するより先に、青年は畳の上に投げ出されていた。
気が付けば視界の先には天井。打ち付けたらしい背中には鈍痛が走り、気がついてから痛みが襲ってくる。
何が起きたのだろうか。視線を動かせば、傍には咲夜が静かに立つ。
「私のナイフに何をするのかしら? あなたの汚い血で汚さないで欲しいわ。永琳に襲いかかりでもすればまだ面白かったのに」
「な、投げ飛ばされた……? というより、八意先生に襲いかかるわけないじゃないですか。皆の薬を作ってくれるっていうのに……」
仰向けに投げ出されたまま、青年は大きなため息を一つ。ナイフは既に咲夜が回収したようで、その手には青年が握っていたはずのナイフがあった。
起き上がれば永琳の顔。ふと気づけば、その顔は優しい微笑みに変わっており、慈愛にあふれたその表情は形容するに女神のようであると青年は胸を鳴らす。
永琳は、起き上がった青年の左手を両手でゆっくりと包み込み、笑顔はそのままに真剣な眼差しで唇を震わせる。
「朝方に魔理沙が来たけれど……彼女の言った通りの人なのね、あなた。まるで人を信用していないわ。人を信じることのできない人を、どうして信じられると思うの?」
「……え、えっと、魔理沙ちゃんそんなことを?」
「“信じてください”、“手伝ってください”、“助けてください”。どうしてこんな簡単な言葉を言えないのかしら」
「そ、それは、少しでも状況をよく知ってもらおうと思って……」
「知ってもらうためなら、茅野さんは腕を切り落とすのね。でも、あんなナイフじゃ腕なんか落ちないわよ?」
言葉に詰まる青年。何とか言い訳を考えようとしたものの、呆れたような表情をもって永琳はため息をつく。
そして、咲夜からも口撃される。
「紅魔館の異変が終わったとき、早苗がなんて言ったか私は覚えているわよ? 『二度と同じ真似をしないでください』って言葉に、貴方頷いていたわよね?」
「うぐっ……はい。あ、あの、黙っていてもらえません……?」
「あら? なら貸し一つにしておくわね。それで、あなたはまた早苗を悲しませるのかしら?」
「死なないならセーフかな、と思――」
「とんでもない阿呆なのねあなた。今のは私でも怒るわよ?」
酷くイライラした様子の咲夜。そして、何か琴線にふれる部分があったのだろう。永琳もまた、青年に対して女神のような表情から鬼の様な微笑みに変わっていた。
その顔は、先程までよりよっぽど恐怖を感じさせるものである。
「自分の体を大事にできない人が他人の心配? 私は茅野さんに座布団を何枚差し上げればいいのかしら?」
「い、いえ、僕は至極真面目に……」
「あなただけ永遠亭で預かって、専用の精神矯正プログラムを組んでもいいのよ?」
「ひえー!? そ、それはちょっと……え、ということは?」
永琳はもう一つため息をつき、青年に対して向き直る。
「別に神社にいればいいじゃない。というより、ウチみたいな小さな診療所じゃ、艦娘さんたちを全員収容なんてできる訳ないわ」
頬に手をあて、ニコニコと笑みを浮かべる永琳。先程までの雰囲気はどこへ行ったのか、今はもう完全にただの優しそうな女医である。
「魔理沙からどういう人か聞いていたから、少しだけからかっちゃったわ。どういう考え方なのかわかったから面白かったわよ」
「な、なるほど?」
「安心して。高速修復材は渡すし、一日一つだけど作ってあげる」
「た、助かりますが……」
「怖かったかしら? 意外とお茶目でしょう?」
人の肩を切り落とす寸前まで追い詰めてそれをお茶目の一言で済ませる精神力は、見習うべきなのかもしれない。
「お値段の方だけれど、今回は茅野さんの大立ち回りに免じてツケにしておいてあげるわ。まあ、それほど貰う気もないから、気が向いたときにでも払って頂戴」
「え、ええ、ありがとうございます……」
「今日は神社を一日追い出されたそうね? 良かったら泊まっていってもいいのよ?」
「本当ですか!? あれ、追い出されたって僕言いまし――」
笑顔で矢継ぎ早に言葉を連ねる永琳。だが、その話が出たときには、咲夜が青年の襟を掴んで引きずっていた。
「ちょ、苦し!」
「さあ、用事も終わったんだから早く帰りましょう」
そのまま襟を引っ張られ、青年は部屋の外へと出て行く。咲夜に無理矢理連れられるが、青年は一言だけ永琳に向かって口を開く。
「あ、あの、高速修復材のこと、ありがとうございます!」
「ふふ、いい子ね。よく出来ました。薬はうどんげが準備しているから、あの子から受け取りなさい」
そして、青年は部屋を後にした。部屋を出るその際、
「失敗したわねえ。まあ、組み入れるのはまた今度にしましょうか」
と、聞こえたのは、おそらく気のせいだったのだろうと信じて。
「では、こちらが高速修復材です」
「……バケツ?」
「ええ、容器はバケツです。フタもあるのでこぼれる心配はありません」
「あ、そ、そう……」
薬と聞くからにはもっと怪しげな瓶に入っているものかと思っていた青年。如何せん医者にかかった経験も皆無と言っていい為、この薬の出され方は予想外であった。
もしかしたら、幻想郷の薬はバケツで出すのが普通なのだろうか。
「ちょっとおうどん、バケツで出すなんてどういうつもり?」
「仕方ないんですよお。一定量ないと効果が出ませんし、保存する容器にもいいサイズのがないですし……」
「全く、仕方ないわね……」
「使用方法としては、身体にぶっかければいいみたいです。ただ、バケツ一つにつき一人分しか効果はないそうですのでご注意を」
ブツブツと文句を言う咲夜と、それをなだめる鈴仙。
そんなところへ、飛び跳ねるようにしてもう一人、こちらも兎耳を生やした小さな少女がやってきた。
「あれ、鈴仙。お客さんかい? 紅魔館のメイドと……誰かな?」
幼い体躯を包む薄桃色のワンピースに、兎の垂れ耳。黒のショートカットの短髪にキョトンとしたその幼っぽさは、鈴仙に比べてより小動物らしさ、兎らしさが表れているといえるかもしれない。
「こんにちは。妖怪の山に越してきた守矢神社の茅野守連です」
「因幡てゐだよ。そういえば耳にしたねー。へー、ふーん、ほーん?」
「え、ど、どうしました?」
「いやいや、何でもないよ」
と、てゐは青年をジロジロとその姿を全身眺めたかと思うと口元に手を当てて小さく笑い、くるりと回って鈴仙の方を向いた。
「鈴仙、彼らはこの後どこへ行くつもりだい?」
「人里に行くらしいわよ?」
と、いう鈴仙からの返答に、てゐは大きく頷き、青年の方へ振り返って瞳を輝かせた。
「ならお兄さん、竹林の外、うんにゃ人里まで案内してあげるよ」
「え、本当ですか? 助かります」
「なあに、30分もあれば抜けられるからね、お安い御用さ」
「30分……?」
と、青年は咲夜の方を振り向くも、咲夜はあさっての方角を向いて地面の石ころを蹴り飛ばしていた。
「と、とりあえずお願いします」
「日も暮れてくるから、早め早めに連れて行ってあげるよ。じゃあ、行こうか」
突如現れたてゐという少女に青年は流されるままであったが、バケツを持って先を歩く彼女についていく。咲夜も一つだけバケツを持って、それに続いた。
道行く道の中で、てゐが時々青年に向き直りカラカラと笑っていた。しかしその理由がよくわからないままに、青年はあとに続くしかなかったのであった。
「じゃあ、ここまでくればいいよね?」
「ええ、助かりました。ここまですんなりと竹林を抜けられるなんて」
「…………」
「咲夜さん、そんなに拗ねなくても……」
竹林を抜け、更には人里にまで案内してもらった青年と咲夜。てゐは飄々としながら元気に駆け回って案内を進めていたが、対する咲夜は不機嫌そうに唇を尖らせていた。
「なら、帰るとするかね。ああそうだ、君に一つプレゼント」
「はい? 僕、ですか?」
「うん。ほら、ぎゅーっと」
「ファッ!?」
てゐはニヤリとした表情で目の前に立ち、上目遣いでいたずらっぽい笑みを浮かべたかと思えば、なんと青年に抱きついてきたのである。
突然の行為に慌てに慌てる青年。が、てゐは飄々とした様子ですぐに身体を離し、小首を傾げながら口角を上げる。
「ちょっと見てられなかったからね。君、これから数時間以内に、ささやかだけどちょっとした幸運が訪れるよ」
「へ? こ、幸運? 一体何を――」
「それだけ。じゃあ、また機会があれば会おうじゃないか」
そして、てゐは青年と咲夜の間をすり抜けるようにし、その足を迷いの竹林へと向けた。投げかけられた言葉に対して困惑するしかない青年は、首を捻りながらその背中を見送ったのである。
「慌ただしい兎ね」
「でも助かったじゃないですか。もう夕方ですし、遅くならずにすみました」
「皮肉のつもり?」
「あ、いえ。さ、咲夜さんが帰るときに明るい方がいいと思って……」
「ふうん……?」
少しばかり顔をしかめる咲夜。青年としても竹林で迷った咲夜を責めるつもりは毛頭ないのだが、顔をほんのりと赤くしているところを見るに、怒っているのかもしれない。
しかしともかく、これで人里には到着した。今後の予定を決めなければならない。
「とりあえず、一度ここでお別れです。野宿するにしても、とりあえず人里の周辺にはいようと思います」
「そうね。ここには妖怪退治のできる人間もいるから、何かあれば頼るといいわ。で、お金を渡したのに本当に野宿するの?」
「今すぐにでもお金を返したいぐらい、お金の貸し借りは嫌ですからね……。それに、現状僕にはお金を稼ぐ手段がありませんし」
「……まあ、その考えに口を挟むつもりはないわ。なら、とりあえず明日の朝に守矢神社から迎えに来るけれど、合流場所は人里でいいのね?」
「はい、お願いします。高速修復材は必ず届けてください」
「もちろんよ。それじゃあ、ちゃんと生きていなさいよ?」
「お腹がすいたら虫でもとって食べますよ。お気をつけて」
何度か振り返りながら、咲夜は体を浮かせてバケツを持ち、守矢神社の方角へと飛んでいった。
ちなみに、咲夜は飛べるが、青年と一緒に飛ぶのは嫌であると断られている。が、その感覚は当然である。早苗がすんなりとお姫様抱っこをしたことの方が余程驚くべきことなのだから。
(さて、それじゃあ一応宿を探してみようかな)
古めかしく感じられる木造の家屋が立て並ぶ人里。小さな子供が駆け回り、往き交う人々は笑顔を浮かべて暮らす町。
笑顔のようでいて少しばかり寂しそうに、青年は歩き出した。
一時間ばかり歩いた頃。宿はいくつか見つけたのだが、足を踏み入れることをためらっていた青年。やはり野宿をするしかないか、と思っていたのだが、ふとある人物に視線を奪われる。
(泣いてる……子供?)
「おかあさああああああああん!」
小さな女の子であった。道端で叫んでは涙を流し、嗚咽を漏らしながら目元を何度もこすっている少女。
(母親、か……)
物思いに耽りたい気分は自身でも重々に承知していた。母親という単語に、何も感じないほど青年は不感症なわけではないし、そんな環境で暮らしてもいない。
だが今はそんなことより、少女を泣き止ませることの方が先だろう。
少女に近づき、青年は目線を合わせるためにその場に膝をつく。
「お母さんとはぐれちゃった? お兄さんも一緒に探してあげよっか?」
「ひぐっ、うっく……おかあさん……」
「お母さんも君のこと探してるよ。だから泣きやもう、ね?」
「……うん」
「いい子だね」と微笑み、青年は少女を肩車した。突然抱き上げられたことに少女は驚いたようだが、目元をこすると辺りを見回し始める。
「どう、高いでしょ? そこから君のお母さんは見えるかな?」
「ううん、いない……」
「そっか。じゃあ、お母さんに聞こえるように、力いっぱい叫ぼうね」
「うん!」
青年は足を進め、人里の中を歩き回る。少女は青年の頭の上で、必死に母親を求め叫んでいた。
5分ほど経った頃だろう。人波をかき分けて、一人の女性が現れた。
「お、おい! ちよ! ちよじゃないか! どうしたんだ一体?」
「この子のお母さんですか?」
「誰がお母さんだ! 私はまだ独身だ! ちよは私の教え子だよ!」
腰まで届く青のメッシュの入った銀髪の上に、リボンが結ばれた帽子を載せている。胸元の大きく開いた青いドレスのような服を着ており、女性らしい体つきがその服装からも見て取れた。
「それで、お前は一体何をしているんだ?」
「この子が母親を探しているので、手伝っているんですよ」
「そう……か。いや、すまない。幼女を誘拐する不審者もいるものだから」
胸を撫で下ろし、女性は一つ息をつく。一方で、幻想郷でも不審者はいるんだなーと、青年はよくわからない納得をするのであった。
「けーねせんせー、こんばんはー!」
「ああ、ちよ。もう大丈夫だ。お前の母親は先ほど見かけたからな。お前を探していたぞ」
「ホントー!? よかったー……」
青年の頭の上で、少女は花開くように笑みを浮かべた。
10分後、女性も一緒になって探していると、少女が母親に気づく。無事に合流し、母親には何度もお礼を言われる中で、青年は照れながらも少女に別れを告げた。
一つ息をついたところで、女性は青年に対して振り返る。
「君のおかげで助かった。あの子の教師として、礼を言わせてくれ」
「僕は……見ていられなかっただけですよ」
「そうか。そういえば、挨拶が遅れたな。私は上白沢慧音。この人里で、寺子屋の先生をしている」
「茅野守連です。妖怪の山に引っ越してきた守矢神社に住んでいます」
「ほほうお前が……? 知っているぞ。少しばかり有名だからな」
と、慧音という女性は目を光らせ、何かを探るように青年をジロジロと見つめる。その視線は少しばかりこそばゆかったが、青年も苦笑しながら言葉を返した。
「まあ、来て早々に色々やってしまっていますからね……」
「妖怪の山との同盟、塩の製造の護衛、紅魔館の粉砕。あの鴉天狗じゃなくても知りたがるような話ばかりだ」
「ははは……お恥ずかしい」
「恥ずべき話ばかりではないさ。それで、今日はどうして人里に?」
「実は、今日だけ追い出されてしまって、人里で宿をとるか周辺で野宿をするか悩んでいたところだったんです。それであの子を見かけて」
「ふむ……? そういうことならわかった」
と、慧音は自身の胸をドンと叩いた。そのたわわな果実が一緒に揺れるも、そんなことを気にせずに青年は慧音の発言に首をひねる。
「え、どうかしましたか?」
「いや、教え子を助けてくれたお礼だ。私の所に泊まるといい。私以外は誰もいないから気にするな」
「い、いやいや、ちょっと待ってください。たかだかその程度でお世話になるわけにはいかないですよ!」
「待てよ、今夜は満月か……まあいいだろう。よしカミツレ、私の家に来い」
「おかしいですよそんなの! もし僕があなたを襲う暴漢だったらどうするんですか!」
「男だというだけじゃあ私は倒せないさ。それに――」
君“たち”の歴史は非常に面白そうだ、と。
瞬きを繰り返し、発言の意味を飲み込もうとするのだが。
「歴……史? ……何を知っているんですか?」
「いや、今は断片的にしかわからないよ。だが、今夜は満月。君たちの歴史、それにあの海の歴史もわかるかもしれない。面白そうだと思ってね」
「……何を」
「まあ、付いてくるといい。私なら妖怪が襲ってきても守ってやれるからな。何を迷うことがあるんだ?」
その意味は、やはりわからない。
確かに、青年にとってはお金を使わなくて済むし、宿も確保できるし、その上妖怪に襲われる可能性も減る。悪いことなどない。
だが、青年の持つ倫理感、そして慧音の語る謎への疑問が、それを押し止めようとする。
「無理にとは言わないさ。ただし、一つ。カミツレ、君は幻想郷に来て日が浅いと思うが、この幻想郷の人里の暮らしを知っているか?」
「……いえ、知りません」
「神社の者だと言ったな? 人間の信者を獲得するなら、この人里が最も適しているだろう。ここの人の暮らしを知っておくのも悪くはないと思うぞ」
なるほど、と青年は関心した。慧音が何を企んでいるかはともかくとして、確かに守矢神社はまだ幻想郷にとって新興宗教もいいところ。あらかじめどのような人が居るかを観察しておくことは、守矢神社にとって悪いことではない。
青年は与えられてばかり。ならば、神社のためにできることは、積極的にやっていかなければ申し訳が多々ないだろう。
(てゐさんの言ってた幸運って……このことなのかな?)
「……わかりました。今回はお言葉に甘えさせてもらいます。本当にありがとうございます」
「気持ち悪いぐらい綺麗な手のひら返しだな。まあいいさ」
慧音は苦笑し、歩き始めた。青年もそれを追い、隣を歩く。
咲夜は無事に神社についただろうか、高速修復材は届けられただろうか、艦娘の皆はまだ耐えられるだろうか。様々な思考が、頭に浮かび上がっては消えていく。
諏訪子の真意、永琳の真意、慧音の真意。疑問は疑問のまま心に留まり、解決されることはなく。
幻想郷に来て初めて、守矢神社で過ごさない夜がやってくる。 023 いつかの温度
世の中というものは存外上手く出来ている。誰かにツキが回ればその分誰かが損をするし、仮に損をしたとしても、次に回ってくるのは幸運だ。
自分が苦しい思いをしている分、他の人が幸せになる。そんな思いを抱けるものなら、皆喜んで幸せの順番待ちをするだろう。
しかし、現実はそう単純じゃない。ひたすら幸運に浸り続ける者もいれば、不運に苛まれ続ける者もいる。ずっと何もない毎日を過ごす者だって存在する。
もし仮に。そんな状況をそれぞれの日常として受け入れたなら。自分はこれでいいのだ、自分にはこれが当たり前なのだと刷り込まれてしまったなら。
あるいは、今を変えてみせようという精神すら持ち合わせられなくなったなら。
それはある種、万人いずれにとっても幸せであるのかもしれない。
たとえ、それが麻痺と気づこうと。
慧音の家に到着した青年は、和室に通された。木や畳から香る素材の香りが穏やかな気持ちにさせ、青年にひとまずのやすらぎを与えてくれた。
「部屋はここを使ってくれ、好きに使ってくれて構わない」
「はい、ありがとうございます」
「気にするな、生徒の恩人だからな。無下にした方が罰当たりというものさ。私は夕餉の用意をするとしよう」
慧音は小さく笑みをこぼし、障子を閉めて部屋を後にした。残された青年は、守矢神社とは違う他人の家ということもあり落ち着かず、正座してひたすら固まっている。
(ここがあの女のハウスか……。あ、そういえば――)
咲夜が届けているであろう高速修復材。青年が気にかかったことの一つに、艦娘をカードのままで置いてきてしまったことがある。
カードから人型へ実体化させるのは青年にしかできない。重巡四人がそろそろ完治しているはずだが、他の被害を受けた艦はカードのままである。あれでは浴場に入ることはできない。
(……まずい。急いで神社に戻らないと――!)
「慧音、こんばんは。お邪魔するよ」
と、拳を握り立ち上がった青年と、障子を開けて現れた女性との視線が交差する。
白い長髪に真紅の瞳。赤い大きなリボンと毛先をまとめる小さなリボンを身に付け、指貫袴をサスペンダーで吊っている。寂しさと威圧とがその雰囲気から感じられ、青年はゆっくりと拳を下ろして相対した。
「……えっと、お前誰?」
「あ、茅野守連といいます……」
「あ、ああ。私は藤原妹紅だ……」
お互いに気まずい態度が目に見えており、それ故に言葉を発することがためらわれる。
が、青年も状況が状況である。一刻も早く神社に戻らねば、艦娘が苦しむ時間がそれだけ増えてしまう。
「すいません、僕はこれで失礼します!」
「うわ、なんだお前いきなり! 慧音来てくれ、慧音!」
少し急ぐようにして、青年は妹紅と名乗った女性の肩を押しのけて通る。が、妹紅は突然のことに驚いたのかその腕を掴み、慧音の名を呼んだ。
更に、肩の関節を締められる青年。為すすべもなく、床に組み伏せられる。
「さてはお前泥棒だな? 何を盗んだんだ!」
「え、ど、どいて! 神社に行かないと!」
「神社? 博麗神社は人を使って泥棒稼業に手を染めるほど困窮してたのか……。いや、それより盗んだものを出せ!」
「だから、泥棒じゃないって!」
「泥棒は皆そう言うんだ。出さないなら身ぐるみ剥がさせてもらうぞ!」
組み伏せられた青年の背中に、妹紅が馬乗りになる。片手で腕を締め上げたまま、妹紅は青年の身体に手を這わせた。
「軽いな。本当に男かお前?」
「正真正銘男だよ! どいてったら!」
しかし、妹紅はその手を止めない。
「ここもない、ここにもない、か。となるといよいよ服の中を……」
「え、ちょっと、そこは……ぁんっ」
「なんだその反応は、生娘でもあるまいに。んん? 肌が柔らかいなお前。気持ちいいからもうちょっとだけ」
「ん……んんっ!」
「なんだその目は、泥棒のくせに」
「絶対に……冤罪になんて負けない!」
「そう言う奴は大抵すぐに負けるな。……んん? おいお前、ちょっと服を脱がすぞ」
「服!? 何する気だよこの痴女!」
服の下を見られたくない一心で青年は抵抗するも、自由になる隙を与えられないまま服を脱がされる――直前で、障子が開いた。
「なんだ妹紅。慌てるなんて珍しいな。一体どうし……」
「ああ慧音、泥棒を捕まえたぞ。なかなか肌が柔らかい奴で――」
「何をしている妹紅! 私の客人だぞ!」
鬼のような形相で妹紅をどかせ、青年を起こす慧音。「大丈夫か、すまなかったな」と声をかけられるも、青年としては服の下を見られなかったことに一安心。
が、どうやらすぐさま帰るというわけにもいかなくなったようで、青年は一人溜息をつくのであった。
「それで、妹紅は結局何がしたかったんだ?」
「カミツレとやらが私を見てすぐに逃げようとしたから、泥棒だと思って捕まえた」
「捕まえたのはいい。だが、その後の行動は泥棒にすべきことではないな。泥棒の肌を堪能してどうする。私はお前がカミツレを襲ったのだとばかり思っていたぞ。服まで脱がせようとするし」
「いや、肌はともかく私の好みじゃない」
「そういう話じゃないのはわかっているな?」
「……だからさっきから謝ってるって」
「そもそも妹紅はいつもだな――」
「わかった、わかったから食事中はやめよう、な?」
慧音が夕飯を用意し、一番広いのが青年の部屋であったために青年の部屋で三人で夕食をとる次第となった。
慧音の用意した夕食が非常に美味であったために、それを褒めちぎりながら青年は徐々に機嫌を直していく。
「上白沢さん、神社に戻ってもいいですか?」
「慧音でいい。今からは少し難しいな。妖怪共が活動を始めるだろうし、満月だから私は今日この家から出るわけには行かない。妹紅は……」
「慧音と一緒にいるよ」
「と、いうわけだ。事情は知らない。送ってやりたいのは山々だが、生憎と……な」
「……いえ、無理を言いました。忘れてください」
満月が何を示しているのかは青年の知るところではないが、あくまで厚意で泊めてもらっている以上、無理は言えない。妹紅という女性ならば交渉すれば何とかなるかもしれないが、青年はその思考に至らなかった。
「神社に戻りたいほど私の家が嫌なのか……」
「ああ、いえ、そうではなく……」
「カミツレ、私が悪かった。私も慧音に恥はかかせたくない」
「……わかりました。今日は泊まらせていただきますから」
といったところで、妹紅の泥棒認定セクハラ事件は幕を閉じた。青年とて、第一印象を拭いきれない妹紅はともかくとして、慧音に迷惑をかけたいわけではないのだから。
食事を終え、しばし歓談と洒落込む三人。
「外の世界から。そんで今日は神社を追い出されて、ねえ」
「艦娘たちを大事にすることだな。カミツレにとっては幻想郷で小さくない影響力を持つ力だ」
「……そう、ですよねやっぱり」
「なんだ不安か? そうだな……今回の失態もある。いざという時はこの藤原妹紅、不死鳥のごとくお前を助けることを約束してやる」
「ありがとう……ございます。お二人も、何かあれば守矢神社に来てください。微力ながら、僕に手伝えることがあれば必ず」
「それは本心か?」
「え? え、ええ」
慧音がお茶を淹れつつ、青年の瞳を見る。それは、酷く訝しんでいながら、どこか悲しそうな眼差し。
いつか見た覚えのある視線。誰だったかは覚えていないが、それは自身の身をとても案じていたことだけは覚えている。
「強がらなくていい。幻想郷に来て間もない。そして、夜となりつつある今、私には貴兄の歴史が見えつつある」
「過去が……見える?」
「神社の暮らしは楽しいか?」
「ええ……とても」
「大事にするといい。それでも尚癒されなければ、本当に私のところに来て構わない。存分に甘えるといいさ」
「…………」
その言葉で、青年は思い出した。
いつの日だったか、早苗と出会うよりほんの少し前の、当時少年だった青年が守矢神社へ遊びに行った時のことだ。神社の木陰で一人泣き、死ぬことすら考えていた頃。
『いつも来てくれているのに、願いを叶えられなくてすまない』
『辛い時はここへ来ていい。うんと泣くがいいさ』
泣き疲れて眠った青年の夢の中に、それはそれは美しい女神が現れたのだ。その時の女神は今の慧音と全く同じ表情をしていた。それから少し経って、早苗と出会ったのである。
神社での記憶は早苗との出来事の方がインパクトが大きいため、出会ってからの出来事しかほとんど覚えていない。それでも、確かにそのような不思議な経験があったのはうっすらとだが覚えている。
「どうした、泣きそうか?」
「ああいえ……そういうわけではありません」
「そうか、強がらなくていいからな。うちの生徒にも君とよく似てひねくれた子がいるよ。ふふふ、君ほどひどくはないが」
「お褒めに預かり光栄です」
「全く、呆れた奴だ。慧音、お茶のおかわりがほしい」
「はいはい」
「では、僕も頂きます」
「ふふふ、構わないよ」
記憶違いではなかったと信じよう。そして、今はこの安らぎの空間を享受しよう。守矢神社以外でも、自身は受け入れられる場所があるらしいのだから。
少し経った頃。風呂を借りてから布団を敷き、就寝の準備は整った。そんな時、妹紅が部屋にやってきて、壁に寄りかかりながら話す。
「カミツレ、ちょっといいか」
「なんです、妹紅さん」
「ここの隣の部屋が慧音の部屋なんだが……何があっても、何が聞こえても絶対に覗いたらいけない。それだけ頭に入れておいてくれ」
「えっと? 何かあるんですか?」
「まあ……お前は気にしないでくれ」
「あー……はい。わかりました」
そして、妹紅は一つ頷いてから部屋から去っていく。青年は閉じた障子をしばらく見つめてから、布団の中へもぞもぞと導かれる。
(あの二人、やけに仲がいいと思ったらそういう……)
これ以上聞いてくれるなと言わんばかりに、妹紅は語ることを渋っていた。加えて、何が聞こえても気にするなという忠告。
青年も人の恋愛事情にまで口を出すつもりはない。そういう人がいることは知っているし、別にそれを悪いとは言わない。
だが、何も客人が来ている時にしなくてもいいのではないか、とは考えてしまう。
冗談はさておき。
(人に話したくないことなら……聞く必要はないよね)
誰に向けて思った言葉かはわからないが、青年は瞼を閉じる。
一晩を安全に過ごさせてくれる、出会って数時間に満たない人物。感じる恩義は小さくないものであるし、何より慧音も妹紅も優しい。
だが、わきまえる部分はわきまえねばならない。踏み入ってはならない場所というのは、誰でも持っているのだから。
(明日は早めに出よう)
今日も今日とて、夜は更けていく。
かと思われた。
「――っ、――――!」
「――――」
(……なんだろう、苦しそう――?)
寝入って数時間も経った頃。隣の部屋、慧音のいる部屋からうめき声のような、唸るような声と怒鳴るような声が聞こえた。少なくともそれだけで、就寝前に考えていたような甘い関係ではないことぐらいわかる。
「――ろ、やめろ、なんだこれは」
「しっかり――ろ! おい!」
どうやら声の主は慧音であるらしい。そして、怒鳴るというより心配するような声は妹紅。
一体何が起きているのか。自分の知らないところで何が起きているのだろうか。
布団を抜け出して様子を確かめに行きたい衝動に駆られる。だが、妹紅との約束があるのだ。何があっても覗いてはいけない、と。
聞こえる声はほとんど筒抜けといってもいい。昔ながらの日本の家、と表現できる慧音の家では、壁に音漏れの処理など施されてはいない。
「カミツレ……死に……」
「しっかりしろ慧音! いつもの満月よりおかしいぞ!」
「艦娘……そうか、これが……」
「慧音! おい、慧音!」
今までの慧音の発言。何も聞かされてはいないが、青年の読みとしては、恐らく慧音には過去の記憶、歴史が見えるのかもしれない。そしてそれは、艦娘に対してのみの限定的な能力であるカミツレより優れたもの。
だが、強調された満月という言葉。これらを複合すれば、慧音は満月の日にのみ、何らかの能力が働いて歴史を見ることができるのではないか、と青年は考えるのだ。
しかし、辛そうな声を出す慧音に何もできないというのは少々歯がゆくもあった。だが、どうしても青年には動く勇気は湧いてこない。
出会って一日とはいえ、まるで鶴の恩返しのように、覗いてしまえば関係が壊れてしまうような気がして。
「……くそ」
自身でも珍しい感情の吐露。無力な自身に苛立ち、眉を寄せるも何が変わるわけではない。
だから今自分にできることは、全てを聞かなかったことにするという、現実逃避にも似た慧音を見捨てるという選択しかなかった。
翌朝。早朝に目が覚めた、というよりは眠れずに一夜を過ごした青年だが、朝食をとる頃にはひとまず体調を落ち着けていた。
「昨日はよく眠れたか?」
「ええ、気が付いたら朝でした。安心して眠れましたから」
「ふふ、そうか。すまなかったな」
とはいえ、目の下の隈は隠しきれていなかったのだが。情けないことに、慧音にもなけなしの気遣いは気づかれていたらしい。
そして、町へ。昨日別れた場所へ移動し、守矢神社からの迎えを待つことにする。
「いや、なかなか楽しかったよ。良かったらまた遊びに来てくれ」
「こちらこそ、お世話になりました。見ず知らずの男にここまでして頂けるなんて、思ってもいませんでしたから」
「生徒の礼さ。良かったら、今度来るときは外の世界の話を、寺子屋の子供たちに聞かせてやってほしい。皆喜ぶだろう」
「……僕に話せることはあまりないですけどね」
わずかに逡巡した後に、肯定的に青年は答えた。それを聞き、慧音も顔を綻ばせる。
「お節介ついでに、カミツレ。君が今疑問に思っていることを一つだけ、何でもいいから自由に質問していいぞ。完璧な回答を用意しよう」
「言葉の意図がわかりませんが、仮に僕が不躾な質問をしたらどうするつもりです?」
「まあ……答えてやらんこともないが、賢そうな君ならその後どうなるかわかるだろう?」
慧音の瞳が僅かに刃物のごとき鋭さを持ったような気がして、青年は苦笑する。元よりそのような質問をするつもりはもちろんないが。
というより、慧音は恐らく、青年が慧音の能力について感づいていると認識した上で話しているのだろう。隠すつもりはないらしい。
「でしたら、“幻想郷に現れた海の歴史”について、お願いします」
「あー……いや、すまない。あの海は例外なんだ。どうやら幻想郷の理から外れているようで、私にはあの海のことはわからない」
「……なるほど、わかりました。ありがとうございます」
「それでいいのか? 不十分な解答しかできなかったんだ。もう一つぐらい構わないぞ?」
「十分です。後は自分でどうにかしてみます」
怪訝そうな慧音ではあったが、青年としてもそれ以外は特に聞きたいことはない。自身らでさえ、海について現状で集まっている情報が少ないのだ。
たとえ歴史がわからずとも、幻想郷の理から離れているという事実。それだけで、一つ真実に近づけたというものだろう。
慧音の隣に立つ妹紅は腰に手を当て、朝日を見てぼんやりとしていた。何を思っているかは自身の知るところではないが、ポケットから出したものを、妹紅に無理矢理握らせる。
「ん? おいカミツレ、何のつもりだ。私はそんな安い女じゃないぞ」
「何の話ですか……。これ、宿代です。後で慧音さんに渡しておいてください」
「慧音はいらんと言ったんだろう? やめておけ」
「そうはいきません。お世話になったのは事実ですから」
「……仕方ない奴だ。わかった、渡しておく」
ギロリとにらみつけるようなその視線にたじたじであったが、妹紅が受け取ったのを見て、青年も安堵の息をつく。
やがて、咲夜がやってきた。三人が集まっているところを見て少しばかり目を見開いて驚いていたようだが、一つ息をついて眉尻を下げる。
「あら、どうやら世話になったみたいね」
「何、気にすることはない。それより咲夜、君が迎えに来たということは」
「ええ、今守矢神社にお世話になっているのよ」
「ふむ、合点がいったよ」
「私も色々と聞きたいけれど、また今度にするわ、慧音。妹紅も」
「ああ、気を付けて帰るといい」
慧音と咲夜が互いに視線を交わしたまま言葉を交わす。それだけで良かったのか、慧音と妹紅はそれから青年に対して微笑みかけ、去って行った。
「さて、帰るわよ」
「お金、必ず返します。返した時は……また借りますから」
「ええ、そうして頂戴」
咲夜が柔らかな表情になり、守矢神社へと向かって歩き出す。
青年もまた、去りゆく慧音と妹紅の背中を一度振り返ってから、咲夜の後を追った。 024 鎮守府は生えるもの
守矢神社へと戻った青年と咲夜。咲夜はレミリアの世話があるといってそのままどこかへ行き、青年は一人になってしまった。
一日離れただけであるのに、どうして懐かしく感じてしまうのだろうか。太陽が照りつける境内も、木の葉が重なる音も、全て遠い昔から知っているようで。
子供の時に神社へ来た、という意味ではなく。
もっと、昔。
足を止めて境内を眺めていると、突然背中に強い衝撃を受ける。
「カミツレさん! おかえりなさい!」
「うわっ!? さなちゃんかあ、びっくりした」
「一日ぶりのカミツレさんです……。ふふふ、無事で安心しました」
背中に感じられるほよほよとした柔らかさを考えないようにしながら、青年は抱き着いてきた早苗の腕をほどいて向き直る。目の前には、覗きこむような上目づかいで自身を見つめる早苗が太陽のように微笑む。
「心配……かけたのかな?」
「当たり前です。私たちの力の及ばない場所にいたわけですから。その、神奈子様と諏訪子様のせいで……ごめんなさい」
「頭は冷えたよ。それに、ここが一番安心する」
「……やけに素直ですね。嬉しいですけど、なんだか気持ち悪いです」
「え、ひどくない」
「冗談ですよ」とクスクス笑う早苗に対し、苦笑しながら青年は頬をかく。
一日離れて気づいた。自身の持つ力の責任と、それを何のためらいもなく受け入れた守矢神社の潔さ、思慮の深さに。
それにとことん甘えてしまっている、自身の弱さにも。
「司令官」
ああ、彼女たちにも迷惑をかけてしまった。艦娘の皆は、かけがえなく慕ってくれているというのに。
新たに着任した駆逐艦の子達も、自身を出迎えてくれる。
特Ⅱ型駆逐艦
七番艦『朧』
八番艦『曙』
十番艦『潮』
特Ⅲ型駆逐艦
一番艦『暁』
二番艦『響』
三番艦『雷』
白露型駆逐艦
一番艦『白露』
二番艦『時雨』
三番艦『村雨』
海風型駆逐艦
四番艦『涼風』
そして、紅魔館の異変まで青年を支えてくれた艦たちも。
重巡洋艦5名、軽巡洋艦4名、軽空母1名、駆逐艦16名。
これが、今の青年に与えられた力。
「おかえりなさい」
この責任から、逃げることは許されない。
たとえ神が許そうと、己自身が許さない。
「ただいま」
初めて。
心の底から、彼女たちと向き合えたような気がする。
どうやら、カード化はカードの状態で浴場に入渠させた時に、強制的に解除されたらしい。高速修復材も併用して入渠を終えたらしく、警備に出ている艦以外の艦娘全員、その表情には晴がましいものを浮かべていた。
「そういえばカミツレさん。紅魔館に向かう途中でこんなこと言っていましたよね」
「何を?」
「一番活躍した子のいうことを何でも聞いてあげるって」
「ん? 何でもって言ったっけ?」
発言の仔細はともかくとして、確かに青年はそのような発言をしたし、青年自身にも覚えがある。が、ぽやぽやしている青年とは打って変わり、戦闘に参加した艦娘の一部からの視線が豹変した。
その視線にたじろぐ青年。くれぐれも、すっかり忘れていたなどとは口が裂けても言えない。
全ての戦闘において最も活躍した人物、あるいは最も印象的だった人物といえば……
「えっと、神奈子さんかな?」
「ズルいです! 神奈子様は神様じゃないですか!」
「あ、そ、そう?」
早苗もだが、艦娘もそれを聞いた瞬間しょんぼりとした顔になる。いくら強かったとはいえ、格が違う相手と比較されるのは少し寂しいのかもしれない。
改めて考える。戦闘において活躍した人物。早苗の弾幕による攻撃は確かに強力であったものの、最も印象的だったのは――
「なら――青葉」
「え……あ、青葉ですか!?」
「うん。レミリアさんに挑んでいくときの青葉、一人で突入するなんて肝が冷えたけど、青葉がいたからこそ異変に区切りを打てたと思うんだ。それに、あの時の青葉、格好良かったよ」
「あ、その、あの……ありがとうございます!」
まさか自分が呼ばれるとは思っていなかったのだろう。少し俯きがちだった顔は明るくなり、出会った時のように快活な笑みを浮かべている。
青葉と軋轢のあった古鷹、吹雪、叢雲もまた、嬉しそうに微笑んでいる。この艦隊において、最早彼女を縛るものはないと信じたい。
(あ……でも、記憶の限りではまだ被害者がいるっぽい)
前途多難だな、と苦笑するも、それを悟られないように青年は青葉に問う。
「それで、願い事は何かあるのかな?」
「あ、でしたら青葉――」
と、青葉はその瞬間に瞳を星のように輝かせ。
青年に近寄り、手を取りながら顔を寄せて喜色を浮かべた。
「幻想郷や艦隊のことを記す、“新聞”を作りたいです!」
場所は変わって神社内、青年の部屋。紅魔館の面々が部屋を間借りしている状態なのだが、今はそこに神奈子と諏訪子も訪れていた。
一日経てばこうも順応するのか、と思わせるほどに、紅魔館の者たちは青年の部屋でくつろいでいる。ある者は布団に寝っ転がってお菓子をつまみ、ある者は塩を味見して顔をしかめ、ある者は妹を溺愛するが故にひたすら抱きしめていた。
というか、全部レミリアであった。
「と、いうわけだ」
「……なるほど」
「理解できたのか?」
「わからないことばっかりだなあ……ぐらいには」
そんな状態でも、大事な話は場所を選ばない。話を一通り終えて、全員が全員頭を悩ませて唸り声を上げている。
紅魔館で発生した異変に関して、深海棲艦と化した各々が体験したことの全てを話してくれた。だが、話を聞けば聞くほど、想像からかけ離れた事実に首を捻らざるを得ない。
「全ての記憶はあるし、自分の意思で戦っていた、ですか……。本当ですかレミリアさん?」
「ええ。少なくとも、私にはあなたたちが敵に見えたわ」
「咲夜さんのことも?」
「私を裏切ったんじゃないか、ってね」
少しばかり寂しげに、レミリアは答える。
曰く、こうである。この異変の際に深海棲艦と化した人たちは、全員記憶を有している。そして、同じく深海棲艦となった人物以外に対しては、強い敵意を抱くようになるのだという。
これは深海棲艦化、“深海化”による影響の一つであるといっても間違いないだろう。
特に、艦娘を見た時に込み上げる激情は我を忘れてしまいそうになるほどであるという。実際に、深海化した後に自分の意思で話せなかった者はその最たる例であるらしい。
しかし、深海棲艦そのものについて、海については何も知らない。自分の能力以上に湧き上がる力を振るうために、ただただ敵意を振りまく。
まさしく、深海棲艦の意思に“乗っ取られた”と言えよう。
レミリアやフランドールのように、特殊な深海化の事例も存在する。紅魔館は幻想郷内でも北側に位置するため、ひとまずこの姉妹の深海棲艦を『北方棲姫』と呼称するとして、今後同様の事例が発生しないことを祈るばかりである。
「パチュリーさん。弾幕の航空機化についてはどうでしょう?」
「何もわからない。そもそもコウクウキとかいうのも朧気にしか覚えてないわね。紅魔館の地下の図書館は無事のようだから、また調べてみるつもりよ」
「そうですか……。わかりました」
パチュリーが口惜しそうに顔をしかめるも、青年は首を横に振る。一つでも情報がほしいのだから、役に立たないなどということはない。
最終的な回答はまだ遠いのだろうが、今はわかることを少しずつ整理していくしかない。
と思っていたとき。
ふと神奈子が思い出したように諏訪子に話しかける。
「そういえば諏訪子、あの話はどうする?」
「あ、そっか。――カミツレ君、ちょっと引っ越しをお願いできるかな?」
守矢神社の近く、諏訪湖と呼ばれていた湖の畔へ一行は到着する。紅魔館ズもついてきており、レミリアやフランドールは日傘をさして日の下に立っていた。
これから諏訪子が、この畔に艦娘たち用の建造物群、“鎮守府”を建設する。承認したはいいものの、青年はどういったものを作るのかあまり聞かされていない。
紅魔館に使用する予定の赤レンガを作る練習とは言っていたが――。
「じゃあ、始めるよ」
諏訪子が身に光を纏い、宙に浮いて静かに両手を広げる。
――瞬間、大地が雄叫びを上げた。振動する大気。歪む空。張り詰めるような雰囲気の中、宙から現れた大量のレンガは自ら意思を持ったように組み上げられていき、徐々にその形を表に出し始める。
5分も経った頃だろう。青年たちの目の前には、自身らの方を向いて宙に浮く諏訪子と、その背後には大きなレンガ造りの建造物がそびえ立っていた。
しかも一つではない。大きさも形も違う建造物が4棟、そしてそれを囲う大きな塀が建っていたのだ。
「ふむ、衰えたな諏訪子」
「妖怪の山からの信仰しかないからね。神奈子だって、紅魔館の時の話を聞く限りじゃ全盛期の足元にも及ばないみたいじゃん」
「ぬかせ。私は本気を出していないだけだ。明日から本気出す」
「そういう神はずっと本気を出さないままだって私知ってるよ」
「私はやればできる神なんだよ」
一様に驚く一同をほったらかしにして、神奈子と諏訪子はじゃれ合うように互いを罵る。最早、言葉など出しようもない。
口を開けて呆けていれば、諏訪子が小馬鹿にするように青年を見つめる。
「何、カミツレ君。もしかして惚れ直した?」
「え、えっと、まあ、惚れ惚れするというかなんというか」
「とりあえず、施設としては生活させるための“艦娘寮”、艤装の整備をする“工廠”、大人数の治療もできる浴場と食堂を内包した“入渠場”、資料の保存や指揮を行う“司令部”の4つね。何か足りないものあるかな?」
「……あの、十分すぎます」
つくづく神とは恐ろしい。5分で巨大建造物を4つ作っておきながら、とぼけるでもなくまだ足りないかと問うのだから。
更に、神奈子と諏訪子が生活設備を整える。あっという間に、大きな洋館の完成である。
諏訪子から持ち掛けられた相談はこうである。
艦娘の数が増えすぎて、カードの状態でなければ全員を神社に収容できない。増える原理はともかく、今後も増えてもいいように“鎮守府”を作ろう、と。
鎮守府とは簡単に言うと、軍にとっての本拠地とも呼べる場所である。様々な機能が集約し、全ての指揮運営は鎮守府で行われる。
青年は自身の持ちうる戦力に対して、過剰とも呼べるほどの建造物を拝領した。これすなわち、自身への期待と受け取ってもいいのだろうか。
はたまた、自身への投資と考えるべきなのだろうか。
胸を押し潰すような感情は、何もプレッシャーからくるものばかりではない。
完成した鎮守府を前に、神奈子が青年を見つめて口を開く。
「工廠だが、昨日のうちに河城にとりと契約を結んでおいたから頼るといい。食料はこちらからも提供するが、自分たちで調達する方法も考えてくれ。それから――」
「これだけ大きいと、塀の入口の所に門番が必要だな」、と。
何気なく呟いたような神奈子の発言の後に、その場にいた全員の視線が美鈴へと向かう。
「え? み、皆さん、どうしましたか?」
「……確かに、美鈴さんがいてくれれば心強いですね」
「カ、カミツレさん!?」
昨日、鍛錬中の姿をチラリと覗いた程度だが、美鈴の実力は青年の素人目にもかなりのものであるというのは十分にわかる。そしてそれは、深海化した美鈴と戦った艦娘たちもよく理解しているのか、特に天龍と龍田は強く頷いていた。
不敵な笑みを浮かべた神奈子がすうっと眼を細くする。
「――中国、と言ったな?」
「いえ紅美鈴です」
「悪いが、鎮守府の門番を頼まれてはくれないか? 艦娘を擁するとはいえ、不測の事態が起きないとは限らない。そしてそんな事態には、お前たちのように幻想郷に詳しい者が必要なのだ」
「ええと、私には紅魔館を守るという使命がありまして……」
「レミリアとか言ったよね? 悪いけど、その本みりんとかいう子をこちらに貸し出してもらえない? そうじゃないと紅魔館直してあげないよ?」
悪い顔で、神奈子と諏訪子が紅魔館の面々に相対する。敵意こそ示していないものの、その薄ら笑いは身内である自身らから見てもドン引きものである。現に早苗もげんなりとした顔で咲夜に対して小さく手を合わせていた。
紅魔館の主はレミリア。その命令は絶対的なものであり、一度決定したことはまず覆らない。つまり、その判断一つで未来が変わるというものだが――
「そんな脅しをしなくとも、むしろこちらから美鈴をお願いしたいわ」
意外にも、神々の戯れとも呼べるような交渉はあっさりと受け入れられた。が、その瞬間美鈴は口をあんぐりと開けて目尻に涙を浮かべる。
「美鈴。深海化した状態だっとはいえ、あなたは門番としての役割を果たせず、カミツレたちの侵入を許してしまった。そうよね?」
「うう……はい、申し訳ありません」
もう何も言うことはないとでも言うように、レミリアは一つ息をつく。
美鈴に門番をしてもらうこと自体は非常にありがたいのだ。戦力としても期待できるし、先ほど神奈子が言ったように幻想郷特有の何かしらの事態に巻き込まれた場合、近くに幻想郷に詳しいものがいた方が断然良い。
だが、こうも考えてしまう。美鈴を手元に置くということが、それこそ神社と紅魔館組との間に生じる信頼に対して、ひびを入れてしまうのではないかと。
レミリアの様子はどうだろうか。動じることなく、むしろ澄ました顔で神奈子と諏訪子、そして自身を睨むように見つめている。
彼らにとっての家族とはそれっぽっちのものなのか。あるいは、それがレミリアの選択した“運命”なのか。
しかし、フランドールが舞うように美鈴の前に躍り出た時、その考えは殴り捨てることになる。
「美鈴よかったね。お姉様はあんな言い方だけど、堂々と守矢神社と艦娘たちの情報を手に入れるチャンスだよ」
「……え? そ、その……え? え、ええっ!?」
今更気づいたのか、とでも言いたげに、レミリア、咲夜、パチュリーがため息をつく。
美鈴を連れてくるというのは青年の提案ではない。だが、功罪合わせて盲点であったことは不動の事実。
どうでもいいから切り捨てた、などとはいえない。信用しているからこそ大切な役目を任せ、送り出したのだろう。
神奈子と諏訪子は少しばかり眉をひそめる。特に神奈子は、驚きを浮かべた青年の様子を一瞬だけ伺ったかと思えば御柱を出現させようとするのだが、寸前で諏訪子に止められる。
「気持ちはわからなくもないけど、神奈子にしちゃそれは早計だね」
「……すまない、忘れてくれ」
一瞬だけ場が殺気立ったものの、諏訪子により場は再び静まった。
諏訪子も一瞬だけ青年の様子をチラリと伺ったが、特に何を言うでもなくレミリアに対して向き直る。
「まあ、情報が欲しいなら好きなだけ持っていきなよ。私たちは何も敵対したいってわけじゃないんだから」
「物騒なモノが見えたけれど、まあいいわ。協力関係を築くことを了承しましょう」
身長のあまり変わらない2人が、互いに歩み寄ってその小さな手を握り合う。美鈴は苦笑しながら人差し指で頬をかくも、仕方ないといった表情であった。
レミリアもフランも、他の紅魔館の面々も、特に不満はないらしい。青年としては、勝手に進む事態に右往左往するものの、とりあえず収まったようで一安心である。
「というより、それならやっぱり紅魔館に住まわせても良かったのでは? 霧の湖からも海に流れる川はあることだし」
「それはダメだね」
「ああ、ダメだな」
「絶対にありえませんね。カミツレさんは守矢一家なんですから」
「そ、そう?」
咲夜から聞き覚えのある提案をされるも、早苗たちの笑顔による一蹴ですぐに取り下げられる。
なんともむず痒い感覚に苛まれるが、青年自身もはにかむことでその場における解答としたのであった。
しかし、気になるのは神奈子である。守矢神社に住み始めてからというものの、2柱、特に神奈子は自身のことをよく気にかけている。決して自惚れや勘違いなどではなく、普段の態度からそう感じ取れるのだ。
例えばあっさりと神社に住まわせたこと、例えば風呂場で心配されたこと、例えば必要以上に紅魔館を破壊したこと、例えば追い出される時に唯一反対したこと。
そして、慧音の家で思い出した、早苗と出会う前の神社での記憶。
もし自身の予想が正しければ、神奈子の目的はひょっとすると――
「あの、神奈子さ――」
「ッ! 提督!」
突如、背後にいた鳳翔が切迫した声を上げ、全員の視線が集中した。
「大変です! 警備に出ている五月雨ちゃんと夕立ちゃんから連絡で、沖合に深海棲艦が現れたとのことです!」
「深海棲艦? 情報を」
「数は5、水雷部隊と……“戦艦”が確認された、と」
重巡洋艦の更に上をいく火力を有する、重装甲重武装で大口径の主砲を備える大型の艦種、戦艦。当時においては、現在でいう核と同等の存在を有するが如き強靭さを持つ。
紅魔館の異変が終わったとは言え、海は依然としてそこにある。自身や艦娘は、油断の一つもしていられないのだろう。
しかしそれも、守矢神社を守るためと思えば――。
「戦闘準備! 五月雨と夕立は戦闘を行わずに偵察のみ、陸に引きつけでも構わないと打電! それから――お願いです! どなたか力を貸してください!」
戦える。
胸の内に秘めたる想いは、絶望などではないのだから。
周囲に頭を下げて戦力を望み、青年は意気込む。
神奈子から送られる、少し寂しそうな眼差しには気付かないまま――。
着任
特Ⅱ型駆逐艦七番艦『朧』
特Ⅱ型駆逐艦八番艦『曙』
特Ⅱ型駆逐艦十番艦『潮』
特Ⅲ型駆逐艦一番艦『暁』
特Ⅲ型駆逐艦二番艦『響』
特Ⅲ型駆逐艦三番艦『雷』
白露型駆逐艦一番艦『白露』
白露型駆逐艦二番艦『時雨』
白露型駆逐艦三番艦『村雨』
海風型駆逐艦四番艦『涼風』
目前着任:序章:特Ⅰ型駆逐艦一番艦『吹雪』
特Ⅰ型駆逐艦五番艦『叢雲』
特Ⅱ型駆逐艦九番艦『漣』
特Ⅲ型駆逐艦四番艦『電』
白露型駆逐艦六番艦『五月雨』
天龍型軽巡洋艦一番艦『天龍』
司令長官『茅野守連』
第一章:天龍型軽巡洋艦二番艦『龍田』
夕張型軽巡洋艦『夕張』
青葉型重巡洋艦一番艦『青葉』
古鷹型重巡洋艦一番艦『古鷹』
古鷹型受巡洋艦二番艦『加古』
青葉型重巡洋艦二番艦『衣笠』
鳳翔型航空母艦『鳳翔』
球磨型軽巡洋艦一番艦『球磨』
第二章:白露型駆逐艦四番艦『夕立』 025 鎮守府近海を攻略せよ!
結論から言えば、戦艦を含む深海棲艦の撃退は成功した。
神社から出撃したのは軽空母の鳳翔をはじめとして、特Ⅲ型駆逐艦の暁、響、雷、電、軽巡洋艦の球磨、白露型駆逐艦の白露、時雨、村雨、の9隻。さらにそこへ、敵艦隊を発見した夕立と五月雨が合流し、
空符『空母機動部隊』
――軽空母『鳳翔』
駆逐『暁』『響』『雷』『電』
闘符『水雷戦隊』
――軽巡『球磨』
駆逐『白露』『時雨』『村雨』『夕立』『五月雨』
このように二個艦隊を編成したのである。
機動部隊を後方に配置し、水雷戦隊をその護衛として前方へ。航空戦力は両軍合わせて鳳翔しかいないことは確認済みであり、既に空は鳳翔のものだ。
結果。制空権を確保した自軍は、鳳翔の艦載機による航空攻撃で幕を開けたのである。
艦上の構造物へ打撃を与える爆弾を投下する“艦上爆撃機”。
喫水線下へ打撃を与える魚雷を投下する“艦上攻撃機”。
戦艦1、雷巡1、軽巡1、駆逐2を含む敵艦隊であったが、対空砲火さえくぐり抜けた鳳翔航空隊の前に避けることすら叶わず、開幕から既に戦艦を小破、軽巡を撃沈という戦果を挙げたのだ。
この時の鳳翔、
「命中率が80%、といったところですか。いけません、訓練が足りないようです」
との発言に、帰還後に彼女の艦載機の妖精さん達は顔を青白くさせていた。
航空攻撃後、敵艦隊が接近したことで、空母を守るために水雷戦隊は前進した。敵戦艦の射程距離内だが艦隊は前進し、戦艦の至近弾により白露と村雨が小破してしまう。
負けじと鳳翔も第二次攻撃隊を発艦させ、雷巡と駆逐艦1を撃破した。
そんな時、一つの電文が鳳翔の元へと届く。その連絡を受けた彼女は、水雷戦隊を後退させ、戦艦の射程外へと退避させた――瞬間、
禁忌『クランベリートラップ』
陸へと引きつけながら戦っていたのが功を奏して、海辺で待機していたフランドールの射程に入り、全方位から追尾する弾幕が敵艦隊を襲った。残る駆逐艦を撃沈させ、戦艦すらも中破に追いやったのである。
だが、彼女の放った弾幕量に対すれば、戦艦の被害は軽微といっても差し支えなかったのだろう。ほとんどの弾幕が、その分厚い装甲によって阻まれていたのだから。
これはまずいとして、青年はあらかじめ待機させておいた重巡の鳥海、古鷹、加古、青葉、衣笠の艦隊と、軽巡の夕張、天龍、龍田の艦隊を、敵戦艦の左右から挟撃させる。が、やはり戦艦の装甲は侮り難く、ほとんど被害を与えることができなかったようである。
そこへ、予想外の展開が訪れる。後退する水雷戦隊を率いていた球磨が単身で反転し、全速で戦艦へと肉薄。巡洋艦隊の砲撃に気を取られている敵戦艦の横っ腹に対し、魚雷を一斉射したのだ。
立ち上った水煙が消える頃、大破しながらも戦艦がその後姿を現し、球磨へ反撃。直撃が文字通り球磨の体を“吹き飛ばし”、球磨は一撃で中破へと追い込まれてしまう。
そして――その瞬間。
弾幕が思うように通用しなかったことへ青筋を立てたフランドールが能力を使用し、敵戦艦は大きな手で握り潰されたかのように四散したのであった。
(勝てる戦いだったのは間違いない。でも、あんまりヒヤッとする戦いは見たくないし……あ、そっか。そこをどうにかするのが僕の仕事だ)
艦隊は諏訪子により生み出された鎮守府へと帰還し、弾薬の補給、入渠等を行っていた。出撃していなかった艦娘は鎮守府を使いやすくするために、掃除や片付け、整理整頓に励んでいる。
今回新たに加わった艦娘は以下の二名。初春型駆逐艦の『初霜』と、球磨型軽巡洋艦の『北上』である。この二人への当艦隊についての説明は吹雪へ一任し、青年は現在鎮守府内を見回っていた。
「全く、どうして私がこんなこと」
「レミリアちゃん、ちゃんとお掃除するのです!」
「そんなんじゃ、私みたいな一人前のレディになれないわよ!」
「そ、そうなの? なら仕方ないわね。手伝ってあげるわ」
見なかったことにしておこう、ということで。
青年は足を進める。
「何? 何か用?」
「はは、随分とご挨拶……」
まず、艦娘寮。一部屋あたりに何人も暮らせるようになっているが、艦娘たちは同型艦ごとに部屋を割ることにしたらしい。それでも部屋は余っているのだが。
部屋を一つ訪れるとそこは特Ⅱ型、綾波型駆逐艦の部屋であり、曙と潮、朧が掃除を行っていた。漣はサボってどこかへ逃走したそうだ。
窓の外からは美しい諏訪湖が見える絶好のロケーション。和室から見られる山々の景色は、中々に風情があるのではないだろうか。
「漣から聞いたけど、本当に態度が悪いんだね、曙は」
「それが何? まさか、自分は尊敬されて当然とでも思ってるの? このクソ提督!」
「これでも結構悪口には敏感でね。悪意のこもった悪口には特に。だけど……」
曙から放たれる『クソ提督』という呼び名。上手く運用できていないであろう自分にはピッタリかもしれないな、などと自嘲しつつも、青年は曙に笑ってみせた。
「本当に嫌われてるって訳じゃないみたいで、ちょっと安心したよ」
「な――何よ! そんなこと言って、私たちが沈んだところでどうでもいいとか思うんでしょう!」
「いやあ……それは泣いちゃうかもね、ホント」
「ふ……ふん! 大人の男がめそめそ泣くところなんて、気持ち悪いから見たくないわ!」
「はは、ありがとう。えっと、曙に朧、潮かな? 君たちは漣の同型艦だったね? 改めて、艦隊を指揮する茅野守連です。これからよろしくね」
そうして各部屋を回り、一人ひとりの顔と名前を覚えつつ艦娘寮を後にしたのであった。
次に訪れたのは工廠。
主に艦娘の艤装の整備や保管を行う場所であるのだが――
「うっひょー! この艤装、こんな仕組みになってたんだ! あ、よだれよだれ」
「携帯電話から電信機を複製するなんて! もっと幻想郷の技術について勉強しないといけないわね!」
「もっと大きな砲弾も作らないといけないのかい? 盟友は私を試してるのかな? できるに決まってるじゃん!」
「何これ、光学迷彩? とんでもないモノあるじゃない!」
一転して、夕張とにとりの遊び場になっていた。
「おや、盟友じゃん。今日から本格的にお世話になるよ」
「う、うん、それはいいんだけど……」
「いやー、嬉しいね。確かに私も自分のラボが欲しいと思ってたけど、まさかこんな大きな場所が手に入るなんて思わなかったよ」
「そ、それは何より」
「それもこれも全部盟友が頼ってくれたおかげだよ! 本当にありがとう!」
と言って、にとりは青年に抱きつく。慌てた青年と、にとりを引き剥がしに掛かる夕張。頬ずりし続けるにとりが離れたのは、それから十分後のことであった。
「それで盟友、何か用があったのかな?」
「ああ、うん。今でも十分お世話になってる訳だけど、整備をこのままにとりさんに甘えてしまってもいいものなのかと思って」
「別に気にしなくていいじゃん。私は機械いじりがしたい、盟友たちは艤装の整備をして欲しい。お互いにいいこと尽くしなんだし。素直に甘えなよ」
「……ありがとう。なら、お願いしようかな。こちらとしても最大限、にとりさんに協力するから」
「お安い御用さ。差し入れにきゅうりさえ出してくれれば言うことなしだね」
鎮守府内できゅうり栽培でも始めようか、などと青年は苦笑しつつ考える。
工廠を後にする際、「次はカミツレに実験台になってもらってブツブツ……」と聞こえたのは、聞かなかったことにするとして。
そして、食堂と浴場を擁する入渠ドックに向かった青年。
食堂では、鳳翔が厨房に入って様々な仕込みを行っている。それに協力するのは、叢雲、涼風、天龍、龍田の4名。何せ、艦娘全員の食事を賄わなければならないのだ。人数も多くなれば、厨房に立つ人数も必然的に多くなる。
「叢雲ちゃん、お野菜切ってくれる?」
「わかったわ鳳翔。ああ涼風、お米炊くの終わったわよ」
「お、さっすが早いねぇ! じゃあ龍田の姉貴、これの味付けは任せるよ!」
「あら~よくできたわね。天龍ちゃん。ほら、これはどうかしら?」
「この魚の塩焼きッ! 肉厚の身からほとばしる脂と塩だけの味付けなのに、すだちを加えることで深みが引き出されて……いやいやいやいや! 俺にも料理させろよ! なんで味見役になってんだよ!」
皆、楽しそうで何よりである。特に、鳳翔はそうやって楽しそうに料理をする3人を微笑ましそうに見て、とてつもない包容力を有するような雰囲気を醸し出していた。
しかし、それでいて生き生きとしており、その調理場に立つ優しそうな笑顔は――
(お母さん……? いや、お艦って感じかな。母親がどんなものかは知らないけど)
ともあれ、調理は順調に進んでいるようで何よりである。生活については艦娘に全て任せると言ってあるため、あえて口出しをする必要もない。
料理の邪魔だけはしないよう、青年はその場をそっと後にした。
場所を変え、浴場施設に足を運んだ青年。勿論、青年の目的は入渠中の艦娘の覗きなどではなく、施設がきちんと利用できるかの確認である。
そう、これは確認なのだ。断じて覗きなどではない。
「あっ提督だ! もしかして覗きに来たの!?」
「あの白露サン、お願いだから大声でそんなこと言わないで。僕の信用が轟沈しちゃうから。ね? ね?」
「そ・れ・で? じゃあ、一緒に入る?」
「村雨サンも頼みます……」
ちなみに、青年は原則として日中しか鎮守府には来ない。ちょうどいい機会なので青年も鎮守府に移住しようかと考えたし、むしろその方が艦隊運営上も都合がいいだろうと思って諏訪子に提案したのだが、帰ってきた回答は、
『早苗が泣いてもいいならね』
殺すぞ、と言われては青年も首を横に振るしかなかった。
まさかそんなことで早苗は泣いたりしないだろう、とあの場で口にしようものなら、即刻指の一本でも折られていたに違いないと感じさせる覇気であった。
と、いった経緯があるために、青年が鎮守府内の浴場を使うことは、少なくとも日常的な可能性としては全くない。何かしらの緊急時はどうか知らないが。
ノックをしてから脱衣所の中に入る。被弾した3名のうち、白露と村雨は先ほど入渠を終えた。
ここに球磨が浴場内にいると知った上で、青年は浴場のガラス戸に背を向けたまま、それをノックする。
「クマぁ?」
「僕だよ」
「提督ー? 下着でも盗みに来たクマー?」
「僕ってそんな風に見られてたんだ……」
「案外むっつりそうだクマー。 下着じゃないなら、一緒に入るクマ?」
「白露や村雨といい、勘弁してください……」
わざとらしく咳をつき、それが原因で若干むせそうになるのを球磨に心配されながらも、青年は口を開いた。
「球磨、戦艦と戦ってくれてありがとう。球磨があそこで前に出てなかったら、挟撃に向かってた部隊が返り討ちにあってたかもしれない」
「……ああ、提督は球磨のケアでもしにきたクマ?」
「う、うん」
「それは嬉しいクマー」と言って、跳ねる湯の音が聞こえる。ガラス戸越しに、湯船に浸かっているであろう球磨は恥ずかしがるでもなく言葉を続けた。
「戦艦と戦うのは怖いクマ。少なくとも、球磨は刺し違えてようやく倒せるぐらいだと思っていたクマー」
「……どうして前に出たの? 僕に何かミスがあったなら言ってもらえれば――」
「提督は関係ないクマ。提督には感謝してるクマ。昔は輸送任務ばっかりしてた球磨に、戦艦と戦うなんていう晴れ舞台をもらえたクマ。軍艦としては、怖い一方で嬉しさもあるんだクマー」
「大丈夫、なのかな? 本当に大丈夫?」
「……提督は心配性クマー。そこまで球磨のケアをしたいなら――」
突如、大きなお湯の音が聞こえた。そして、勢いよくガラス戸が開いたことに驚いた青年は思わず振り向いてしまい、胸元までバスタオルで覆っている球磨の姿を目前にしてしまうのであった。
今まで、艦娘をどこか兵器とだけ思っていた部分が全くなかったとは青年も言わない。
だがそんな思いも、こんな少女ながらも扇情的な姿を見せられれば吹き飛ぶというものである。
「さ、撫でるクマ」
「いや……ちょ、え、あの――どこを?」
「頭を撫でさせてやるクマ。紅魔館で青葉がMVPなら、さっきの戦いはほうしょ……いや、球磨がMVPクマ。MVP権を行使するクマ」
「ちょちょちょ、ま、まずは服を――」
「怖かったクマー。球磨は戦艦と戦って心に深い傷を負ったクマ。これを癒せるのは提督のナデナデだけクマー」
「ちょ、待つクマ! 撫でるにしても入渠が終わってからにするクマ!」
「撫でられながら浸かるお湯は最高だと思うクマー。さあさあ――」
「て、提督にも心の準備があるクマ!」
「提督……優しく撫でて欲しいクマ」
このあとめちゃくちゃナデナデした。
そして、最後に司令部。その執務室において、青年はいつの間にか用意されていた執務机に備え付けられていた、これまで座ったこともないようなフカフカの椅子に恐る恐る腰掛ける。
時刻は夕方。執務室の窓から見える景色は一段と美しい。山の端に沈みゆく夕日と、それを鏡のように映し出す諏訪湖。夏の暑さはまだ止む所を知らないが、こうして窓から入る風を受けながらぼんやりするというのは、どうしようもなく矯正的に青年の心を穏やかにしてくれるのだ。
(艦娘皆に悔しさがあって、思いがあって――勇気があるんだよな)
例えば上官であることも構わず罵ってくる曙。例えば兵器に並々ならぬ興味を持つ夕張、例えば戦艦相手に果敢に立ち向かっていった球磨。
その理由も自分にはわかる。過去を知ることが出来るというのは、彼女たちを受け入れること、彼女たちを護れるということ。
同じ時を過ごす覚悟を、確かに噛み締めることなのだから。
(萃香さんとの約束……守らないと)
この艦隊の当面の目標を挙げるならば、それは『博麗霊夢』の発見である。
海にいると思われる可能性がある霊夢、それを探す手段としての艦隊。
青年が何故、博麗神社、伊吹萃香の前というあの場で、苛立ちをちゃぶ台へ叩きつけたのか。それは、八雲紫にとっては青年そのものはどうでも良く、あくまで付随する能力を求めて留まって欲しいとして頼んで来た可能性が高いためだ。
仕方がないことだとはわかっている。自分には何もないし、それは自分自身が一番よくわかっている。
だが。
人の温もり、繋がりに可能性を感じて紫を信じた己は、一体何だったというのか。紫が知らないとはいえ、青年に改めて突きつけられた現実というのは、余りにも寂しいものだったのだ。
八雲藍曰く、敵ではない。
当たり前のことだろう。自分たちは霊夢を探す上での希望なのだから。仮に自分にへそを曲げられて、霊夢を探す手段が消えてしまうのは何より避けたいことなのだろう。だから、能力以外に別に魅力のない自分にだって平気で媚を売ってくるし、思わせぶりな発言もする。
(でも……これしかないんだ)
艦娘が幻想郷で生きていくには。
守矢神社が幻想郷で生きていくには。
『博麗霊夢』を発見するという、幻想郷における掛け替えのない貢献をすること。
紫がこれ以上の何かを考えているなら、もうそれは自分にはわからない。
だが、あくまでそのような立場を貫く様子を見せるのであれば。
青年には、それに乗っかるという手段しか残されていないのだから。
(……でも、どうする? 霊夢さんを探すとしてもまずは近海からだけど、その為に必要なのは――萃香さんにも話した、“制海権の確保”)
ひとまず、鎮守府近海。幻想郷の陸地と接する箇所を全て抑えるにしても、海域内のあらゆる敵を撃滅する突破力、打撃力が必要となるし、倒したあとも海域を維持する艦隊を組まなければならない。
艦娘を毎日働き詰めにしてしまうわけにもいかない。休養を見込んでローテーションを組むとして、青年の素人考えでも海域の広さに対する必要な維持戦力はギリギリであるし、何より再び戦艦クラスの敵が出た場合に、被害を減らしながら有効打を与える方法が思いつかないのだ。
そもそもが、知識もない自分の頭で艦隊運営について考えるなどという時点で無理があるのだが。
(いや――待て)
ところが、青年は一つ見逃していた。
先ほどの戦いにおいて、倒した敵戦艦からもカードを入手していたということを。
「私が戦艦長門だ、よろしく頼むぞ。敵戦艦との殴り合いなら任せておけ」
腰まで届こうかという漆黒のストレートに真紅の瞳。ヘソを晒したミニスカート姿であるにも関わらず、引き締まった肢体と薄ら割れた腹筋とが、色気と共にどこか格好良ささえ感じさせてくれた。
大日本帝国海軍、連合艦隊旗艦を務めた象徴とも言うべき存在。
今後艦隊の中核を担うことになる、長門型戦艦一番艦『長門』は、どこか儚げな眼差しと共に微笑んでいた。
『攻撃隊発艦不可。サレド制空権確保』
『敵機動部隊ノ水雷戦隊ト交戦中』
『夕張指揮下駆逐隊ノ朧、全敵駆逐艦ノ撃破ヲ確認』
『我鳥海、敵重巡ノ動キを封ズ』
無線越しに聞こえるのは、艦娘たちの戦いの状況と報告であった。
現在、近海を支配する最後の深海棲艦の艦隊を発見し、追撃中である。戦艦長門を迎えた艦隊は、近海において守勢から攻勢へと転じ、あらゆる敵艦隊を次々と撃破。海域のほぼ全てを手中にしたかと思われたところで、今までで最も大きな敵艦隊、空母2隻を伴う機動部隊が現れたのである。
もっとも――
『艦隊旗艦長門、敵空母ヘ砲塔指向中』
圧倒的火力を有する戦艦が、制空権を奪われた空母を射程に収める距離にまで接近したのだ。
この戦いの趨勢は決したと言ってもいい。
そうした経緯を経て、新たに艦隊に加わったのがこの艦娘。
「航空母艦、赤城です。空母機動部隊を編成するなら、私にお任せくださいませ」
正規空母『赤城』。巡洋戦艦として建造されながら、途中で設計を変更された改装空母。
当時世界最強と謳われた、第一航空戦隊の旗艦である。
長門が到着して5日、青年が幻想郷に来て10日目にして正規空母を迎え、一端の艦隊らしくなったその日。
艦隊は、鎮守府近海の制海権を深海棲艦より奪還、完全掌握することに成功したのであった。
着任
初春型駆逐艦四番艦『初霜』
球磨型軽巡洋艦三番艦『北上』
長門型戦艦一番艦『長門』
赤城型航空母艦『赤城』
目前着任:序章:特Ⅰ型駆逐艦一番艦『吹雪』
特Ⅰ型駆逐艦五番艦『叢雲』
特Ⅱ型駆逐艦九番艦『漣』
特Ⅲ型駆逐艦四番艦『電』
白露型駆逐艦六番艦『五月雨』
天龍型軽巡洋艦一番艦『天龍』
司令長官『茅野守連』
第一章:天龍型軽巡洋艦二番艦『龍田』
夕張型軽巡洋艦『夕張』
青葉型重巡洋艦一番艦『青葉』
古鷹型重巡洋艦一番艦『古鷹』
古鷹型受巡洋艦二番艦『加古』
青葉型重巡洋艦二番艦『衣笠』
鳳翔型航空母艦『鳳翔』
球磨型軽巡洋艦一番艦『球磨』
第二章:白露型駆逐艦四番艦『夕立』
特Ⅱ型駆逐艦七番艦『朧』
特Ⅱ型駆逐艦八番艦『曙』
特Ⅱ型駆逐艦十番艦『潮』
特Ⅲ型駆逐艦一番艦『暁』
特Ⅲ型駆逐艦二番艦『響』
特Ⅲ型駆逐艦三番艦『雷』
白露型駆逐艦一番艦『白露』
白露型駆逐艦二番艦『時雨』
白露型駆逐艦三番艦『村雨』
海風型駆逐艦四番艦『涼風』 026 変わる者、変わらない者、変わり者
鎮守府近海の制海権を確保したその日、艦娘に何かしらのご褒美を用意したほうがいいだろうかと思い悩んでいた青年。
ふと、咲夜の来訪により、その内容が決定する。
「異変が終わった後は宴会と相場が決まっているのよ。みんなで紅魔館にいらっしゃい」
赤い館を照らす夜の月。その館の中は、人によっては趣味が悪いと言われかねないほどに赤色が散りばめられていた。赤い絨毯に赤い壁紙、赤い調度品。真っ赤なシャンデリアなどを見たときは、流石の青年も頬を引きつらせる。
赤は情熱の色によく例えられる。だが、諏訪子によって新設されたこの紅魔館、余りにもパッションに満ち溢れすぎではないだろうか。血の気が多いどころの話ではない。どうやら諏訪子は、建築する際にレミリアの要望を取り入れたとのことであったが。
「ようこそ私の館へ。歓迎しましょう、盛大にね」
突き抜けるような広さを持つエントランスホールから、正面へと続く絨毯。その先の左右に別れる階段の踊り場で、レミリアが不敵に微笑んでいた。
「いい趣味をされてますね」
「…………? ごめんなさい、聞こえなかったわ」
「あ、いえ。この度はお招きに預かり光栄です」
「構わないわ、新築祝いよ。ちゃんと全員連れてきたかしら?」
「海も鎮守府も留守にするわけにはいかないので、最低限の人数は残しています。彼女たちには後で、僕からまた別に」
鎮守府に残っているのは、長門、鳳翔、鳥海、暁、響、雷、電の七名。長門は会を断り、鳳翔は航空戦力として、鳥海は重巡一人ぐらいはいた方がいいと断った。クジで残留の決まった駆逐隊はそれぞれ非常に残念そうな顔をしていたが、こればかりは仕方なく、青年としてもちゃんと彼女たちを気遣うつもりである。
「すぐに始めるわよ。さあ、いらっしゃい」
そうして、レミリアの案内で青年と艦娘たちは、会場となる紅魔館の広間へ通されたのである。
「あー、えー、きょ、今日はお足元の悪い中、お、お集まり頂き……」
「びっくりするぐらい晴れてたわよ」
突然宴会が始まる前に、レミリアが青年に一言挨拶しろと自分の役割を押し付けてきた。見知らぬ人たちもいる中、青年は緊張しながらも渋々と話を始めたのである。
「あ、改めまして、艦娘たちの指揮官、今は名ばかりではありますが、提督を務める茅野守連です」
と、語ったとき、わずかながらに会場がざわついたが、青年はそれに気づくこともなく、ただただ緊張しながらしどろもどろに喋っていただけであった。何で今自分は喋ってるんだろう、などと思いながら。
青年が挨拶を終えた途端、レミリアが間髪入れずに参加者に向けて叫ぶ。
「カミツレは紅魔館のモノだから、何かしようものなら私が黙ってないわよ」
かくして、宴会は大々的に始まったのである。
先程の発言を早苗と二柱にこっ酷く叱られ、「うー」と口にして涙目になるレミリアに苦笑しつつ、青年は会場を見渡す。知らない顔も多々あり、どう動いたものかと青年は呆けていた。艦娘たちもどうすればいいかわからないらしく、鎮守府組は足を動かせず。
そんな時、である。
「おー、お前、カンムスって言うんだろ?」
「チ、チルノちゃん、さんを付けないとデコ助野郎って言われちゃうよ!」
駆逐艦たちの前に、二人組の妖精が現れた。どこかで見覚えがある、と思ったが、紅魔館の異変の時に深海棲艦になっていた妖精たちであるようだ。
緑色の髪の妖精は青年に気づいたらしく、小さく可愛らしいお辞儀をする。一方で、青い髪の妖精は気づかないのか、そのまま駆逐艦たちに話しかけていた。
「アタイはチルノっていうんだ。オマエは?」
「ふ、吹雪です!」
「そっかー、吹雪っていうのか。よし、ジコショーカイしたから、アタイたちこれでトモダチだな!」
「え?」
「え、ア、アタイとトモダチになってくれないのか……?」
「と、友達です! 私たち友達ですから!」
そうして、駆逐艦たちは半ばチルノの勢いに流されてゾロゾロと妖精二人についていき、会場に消えていった。
他にも、
「むきゅ?」
「あ、あの、何の本読んでいるんですか?」
「エイボンの書」
会場の隅で本を読んでいたパチュリーに朧が話しかけたり、
「ねえ、あなた」
「ぽい?」
「折角のパーティなのよ? ふてくされてないで、もっと楽しみましょうよ」
「ぽい! 素敵なパーティにするっぽい!」
戦闘であまり活躍できなかった、と唇を尖らせていた夕立にフランが話しかけたりと、思ったより艦娘と幻想郷の面々は打ち解けるのが早いらしい。
艦娘の幻想郷との交流も少なからず目的としていたのだが、心配はなさそうである。
(……あ、ここでもぼっちになってしまう)
だが、社交性に優れるとは言えない青年。このままでは幻想郷に来た意味がまるでないではないか、とも思っていた。
しかし――
「やあ、少しぶりだな」
「あ、慧音さん。こんばんは」
「カミツレこんばんは。相変わらず辛気臭い顔してるねえ」
「てゐさんも。毎日高速修復材を届けてもらって、本当に感謝しています」
一宿の恩がある慧音に、永遠亭との橋渡し役となってくれているてゐ。この二人が話しかけてくれたことにより、青年は会場の喧騒に音を足すことができたのであった。
ただ毎日を一人で過ごしていたわけではない。今は周りに、多くの人が集まるようになってしまった。
これからもこの人の輪は広がっていくのだろう、と青年は確かな実感を噛み締めたのである。
もう一つ、青年の気になったことがある。それは早苗が、魔理沙、咲夜、鈴仙らと非常に楽しそうに話をしていること。
早苗の境遇も、青年と大して変わらない。学校に通う頃はその能力から気味悪がられていたと、本人の口から聞いている。
ところが、今はどうだろうか。少女たちと同じ空間にいて同じものを食べ、同じ顔で笑い、同じ時を過ごす。
青年にとって、友人であり妹のような存在であった早苗が、幻想郷に来て得た友人。彼女は彼女なりに、自分に話してくれたように前に進んでいる。
変わらないものはない。自分も早苗も、そして艦娘も。
されど、今ひとたび得られたこの幸福だけは、変わらずそのままであって欲しいと願うことぐらい、許されてもいいだろう。
宴会は時とともに進み、会場の雰囲気もヒートアップする。室温は高くないのだが、体は熱い。
その原因というのも――
「ほらほら、そんなもんじゃないだろう?」
「……ぅぷ、萃香さん。僕、酒はあんまり……」
「なんだなんだ、私の酒が呑めないのか?」
酒豪の萃香に、酒を付き合わされていたからだ。
会場に出されていた料理の中に酒があり、それをガブ呑みする萃香を見かけ、付き合い程度に一杯だけ、と青年も酒を飲んだ。少しの間は他愛もない話に興じていたのだが、あまりに萃香が呑むために少しばかり恐怖を感じ、コップを空けてその場を去ろうとした。
だが、それがいけなかった。一気に飲み干したために萃香に目をつけられ、それ以来一時間ほど萃香の酒に付き合わされていた。
「ほら、次はコイツだ。じゃんじゃん飲めよ」
「うぐ……こ、この鬼! 悪魔! ちびっ子!」
「酔っぱらいの妄言なんざ屁でもないね。飲めないなら他の奴に相手してもらうしかないな」
と言って、青年が酔い潰れそうになっていると、萃香はつまらなさそうに辺りを見回した。すると、そこへ丁度目に付いたらしいのは――
「なあそこの、ちょっと付き合ってくれないか?」
「え、あたし? いいよ。じゃあ衣笠、ちょっと行ってくる」
ああ、犠牲者が増えてしまう。それより加古は酒を飲んでも大丈夫な年なのか……、などと回らない頭で考えるが、時既に遅し。
加古は萃香から酒の入ったコップを受け取ると――それを一気に飲み干した。
「ぷっはぁ! コレいけるねぇ!」
「お、なかなかいい飲みっぷりじゃないか。飲めるやつは嫌いじゃないぞ」
と、全く怖じない加古と酒を勧める萃香が酒盛りするのを傍目に、青年は衣笠の肩を借りてその場から離脱していた。
「き、衣笠ぁ……ご、ごめ……おぇ」
「加古はかなり強いから心配しなくてもいいよ! それより提督大丈夫!? お酒強く……はなさそうだね」
「恥ずかしながら……」
「いいのいいの! 無理して飲むことないよ! そこ、一回座ろ?」
世界がユラユラと回る。だがそれでも、肩を支えてくれている衣笠の顔はよく見える。
気配りの出来る子だなあ、などと思いつつ、導かれるままに青年は椅子に腰を下ろした。
「お水いる? 袋持ってきた方がいい?」
「いや……大……丈夫」
自分の鼓動が非常に大きく感じられる。胃がグルグルと唸り声を上げている。
そんな状況でも、青年は会場を見渡し、艦娘たちを目で追う。ちゃんと仲良く出来ているかをこの目で確認するために。
「この詩の本、面白いですね。初めて読みました」
「……良かったら、持って帰っていいわよ。でもちゃんと返してね?」
「はい、ありがとうございます!」
まず、最も仲が良さそうにしていたのはパチュリーと朧。二人揃って椅子に座って本を読み、時折立ち上がって料理を取りに行っては、また戻って本を読む。会話こそあまりないものの、この二人の間には非常に和やかな雰囲気が流れていた。
「きゅっとするっぽーい!」
「これがギソウ? って、随分と重たいわね」
フランと夕立は、お互いの戦いについて熱く語っていた。今は夕立がフランの能力を真似してリンゴを素手で握り潰したり、フランは夕立の艤装を装備したりと、遠巻きに見ると恐ろしい。リンゴは夕立が美味しく頂いていた。
「な、なにが一番だよぉ! 白露なんか九番ぐらいがお似合いだもんね!」
「違う、白露は一番なの! 一番!」
駆逐艦組はちょっとした喧嘩こそ生まれていたものの、仲はそれほど悪くないらしい。お互いにムッとした表情になることもあるものの、ちょっとしたことですぐ仲直りもする。
更に――
「ねえねえレミリアさん、どうなんですかあ? 詳しく聞かせてくださいよ!」
「ちょ、文みたいねコイツ! 私に勝ったからって調子に乗ってるつもり?」
「そんなつもりはないですけど……青葉、運命を操るというレミリアさんに是非とも取材をと思いまして! 今ならなんと、司令官のあんな秘密やこんな秘密を――」
「へーぇ? 詳しく聞かせなさい。こら、引っ付かないで!」
青葉は早速、にとりにもらったというカメラを利用しつつ取材をしていた。紅魔館という一大勢力、それを率いるレミリアに取材というのはなかなかいい着眼点だとは思うのだが、いかんせんその取材方法には苦笑させられる。
傍で見守っている古鷹も、申し訳なさそうな顔でレミリアに会釈していた。ついでに自身にも。いやそこは止めて欲しい。
「はつしもふもふ……いいですねえ。非常に可愛いです」
「もみじもみもみ……へっ、白狼天狗もなかなかの愛らしさじゃねえかオイ」
文が初霜を、天龍が犬走椛を膝の上に乗せ、存分に愛でているのも目に入る。撫でている二人は非常に頬が緩んでいるものの、撫でられている方は少しばかり不満そうにしながらも頬を染めて恥ずかしがっていた。
そして、最も青年が目を疑ったもの。
「モグモグ、ング。ハムハムハム――」
「モグモグモグモグ、ムシャ――」
「やりますね」
「うふふ、あなたこそ」
着任したばかりの赤城と、知らない美しい女性が、テーブルの上の料理をひたすら食べ続けていたのである。可愛らしい量ではない、成人男性が束になってかかるような量を、二人して平らげているのだ。
「ううっ、幽々子様ぁ~、そのぐらいにしてくださいよぉ……」
その二人の食事スピードに負けじと、これまた知らない可愛らしい少女と咲夜が、料理をテーブルに運んできている。
(聞いたことがある……。女の子の別腹は異次元に繋がってるって。そっかあ、別腹なら仕方ない。いやガッツリ肉とか食べてるけどあれは別腹だもんな、うん)
いい感じに酔いが回っているとようやく自覚した青年は目を回し、襲い来る眠気に抗うこと叶わず、安堵とともにようやく意識を手放したのである。
衣笠は身体を硬直させていた。その理由というのも、酔いから眠ってしまった青年が、自身の肩に頭を乗せるようにして寄りかかっていたためだ。
小さな寝息が耳元をくすぐる。若干酒臭さが鼻につくものの、その寝顔はまるで少年のように幼く見え、起きている時の気を張りがちだった表情とは大違いである。
「て、ていとくー? 寝ちゃダメだってば」
と、照れを隠しながらも青年の頬をツンツンと人差し指でつつく。その感触たるや、まるで出来たての餅のごとし。
(ウ、ウソ……、青葉より頬が柔らかいなんて……)
しばらくの間、起きないのをいいことに頬をつつき続けていると、目を輝かせた早苗がやってきた。衣笠の隣、青年と挟むように隣に腰掛け、気分良さそうに笑っている。
「あははははっ、衣笠さんじゃないですか!」
「え、さ、早苗? なんだか……楽しそうだね?」
「お酒って気分が良くなりますねぇ~。気分がぽわぽわ~ってなって、すっごく楽しいんです!」
見れば、彼女の手には酒が入っていると思しきコップ。顔を赤くしており、おそらくなかなかに酔いが回っているのだろう。
彼女の住んでいた外の世界では、酒を飲める年齢も決まっていたような気がしたのだが、早苗はそんなことを考える時間も与えてくれないらしい。
「むむむ~、き、衣笠さん、そ、それってもしかして……」
「て、提督が寝てるんだけど……?」
「羨ましいですぅ! 肩を代わってくださいよぉ~」
と、早苗に涙ながらに懇願されるのだが、今の酔っ払った早苗に青年を預けてもいいものか悩ましいため、首を横に振る。
すると、早苗は文句タラタラでありながら、どこか嬉しそうな顔で青年の頬をつつき始めた。
「むぅ~、仕方ありません。カミツレさぁん? 起きていますか?」
「…………」
「あはは、ぐっすりです! 諏訪子様からカミツレさんの部屋には行くなと言われていましたから、実は今のカミツレさんの寝顔をじっくりと見るのは初めてなんですよね!」
「…………んっ」
「うふふっ――寝ている時は子供の頃に戻ったみたいです」
「そ……う?」
「返事!? 衣笠さん、返事しましたよ!」
「あ、うん」
酒の力とは恐ろしい。これほどテンションが高くなると、流石の衣笠もついていけない。とはいえ、早苗は元からこのようなテンションだった気もする。
ひょっとすると笑い上戸なのだろうか。
「カミツレさんカミツレさん! どんな女の子がタイプですなんか!?」
「ちょ、早苗!?」
「……優しい」
「優しい子! どうなんでしょうか? 私はカミツレさんのタイプなんでしょうか!?」
「さなちゃん……は」
少なくとも、眠っている青年に大きな声で話しかけることを優しいとは言わない。
「……立派、だよ?」
「……ふぇぁっ!?」
「頭……よくて。僕なんか……仲良く、してくれて。へんなとこある……けど、さなちゃん、かわいい、し……」
「え、か、可愛い……ですか?」
早苗は戸惑うようにしながらも嬉しそうに、眠っている青年の寝言との会話に夢中になっているが、衣笠としては改めて青年の過去の記憶を振り返る。
そして、如何に早苗が、青年にとって深いところに居座っているのかを、青年にとって心の拠り所になっていたのかを思い知らされることになる。
(でも、私たちもいつかは……ね?)
青年にとっての、支えになれるのだろうか。心から信頼し合い、早苗のような存在になれるのだろうか。
「カ、カミツレさん、好きな女の子とかいるんですか!? できれば教えて欲しいなー、なんて!」
「うーん……、蛙の水炊き……美味すぎる……」
「ステキです!」
と言って、早苗も酔いが回ったのか、衣笠にもたれ掛かるように眠ってしまった。
「いやあ、衣笠。ほんとにごめんね?」
「いいよ! 私も楽しませてもらったし!」
「へ? 寝てる間に何かあった?」
「う、ううん何も! ほんとに何も!」
早苗を背負い、酔いの覚めた青年は夜の道を歩いていた。忙しいにも関わらず、鎮守府で待機している艦娘たちのために咲夜が料理を用意してくれたので、帰ったら皆喜ぶだろう。
夜も更け、虫の鳴き声と少し冷たい空気とが青年を包む。雲に隠れた月の明かりで浮かびあがる砂利道に、ゆっくりと石が鳴いていた。
「うう、ん、カミツレ……さん」
「さなちゃん? 起きてる? 歩ける?」
「おん、ぶ……」
「フフ……はいはい」
起きているのか寝ているのかわからない早苗を背負いながら、青年は自然と笑顔を浮かべる。普段はあれだけしっかりしている様子を見せているのに、寝ている今は子供のような寝顔である。
(さなちゃんの寝顔、この歳になってからは初めて見るや)
おぶる際、あまりジロジロ見るものではないと思ったのだが、綺麗な顔立ちは今も昔も変わらないらしい。
「ねえ、提督」
「うん、どうしたの?」
「早苗とはさ、どうやって仲良くなったの?」
「そう、だね。僕の記憶からはわからないかな?」
「わかる……けど、提督の口から聞きたいもん」
非常に興味深そうに、上目遣いで見上げる衣笠。どう答えたものかと思うも、青年は早苗を背負い直して思い出しながら語った。
早苗と出会ったのは青年が小学四年生の夏、早苗が小学一年生だった頃である。早苗と出会うより前から神社への参拝は続けていたのだが、神社を訪れて同年代の子がいることなど滅多になかったために、特別青年の記憶に残ったのだ。
「最初はね、話しかけたりもしなかった。目立つし気になる子だったんだけど、僕自身もほら、変なものが見える体質があったから、どうせこの子も僕を嫌うんだろうなって思うと、どうしても話しかけられなくてね」
「うん……それで?」
「結果的に、話しかけてきたのはさなちゃんが先だった。僕が神社の隅っこに座って宙に浮いてる人魂みたいなのを見てたら、『何か視えるんですか』だとさ。気持ち悪がるでもなく、本当にキラキラした瞳でね。今でこそ理由もわかるけど」
あれは拍子抜けしたな、と苦笑しながらも青年は続ける。
「で、僕も恐る恐るだけどそこから少しずつ話すようになって、仲良くなりましたとさ」
「ちょ、それ適当すぎじゃん!」
「ま、まだ話す?」
「そのぐらいは記憶見ればわかるもん! じゃあ、一番印象に残ってるお話教えてよ!」
青年も気恥ずかしさがあるために、あまり過去を語るような真似はしたくないのだが、艦娘には記憶を知られているので今更である。とはいえ、話に食らいついて興奮気味の衣笠はまだまだ許してくれそうにない。
「……出会って、二年ぐらい経った頃かな? 二人で遊んでると、さなちゃんが転んでケガをしたんだ。捻っちゃって、歩くのが痛かったみたい」
「ふんふん」
「それで、さなちゃんをおんぶして神社まで送ったんだよ。丁度今みたいに」
あまりにも早苗が泣くものだから、仕方なく背負って帰ることになったのだ。背負った途端、早苗がすぐに泣き止んで笑顔に変わったのは今でも覚えている。
「神社とは別の場所で遊んでたもんだから、僕がさなちゃんを背負ったまま参拝道を登ることになってね」
「うわあ、それはキツそうだね」
「ううん、むしろ楽しかったんだ。確かにまだ身体も小さかったから体力的にツラい部分はあったけど、後ろから応援があったから」
「早苗から?」
「うん。さなちゃんの応援で神社にたどり着いた時、二人して大笑いしたんだ。不思議と笑いが止まらなくてね。それまで抑圧されてたものがお互い溢れたというか」
感情までは記憶から知ることはできない。そのため、衣笠は理解しきれないのか小難しそうな顔で首を捻っていたが、青年は今でも鮮明に思い出せる。
『いけーカミツレさん! どんなみちもへっちゃらです!』
『わ、わ! さなちゃん、あばれないで!』
『カミツレさん! じんじゃについたら、わたしが“よしよし”してあげますね!』
『さっきからバタバタしてるさなちゃんの足はもう“よし”じゃないの……?』
『もうちょっとですよカミツレさん!』
『うん! がんばるよ!』
『とうちゃくです、えへへ! カミツレさんありがとう、だいすき!』
(大好き……。また神社に行くっていう約束も守らなかったし、言いつけも守らないし……僕って最低だな)
思い出は美しいから、現実は霞んで見えてしまう。それでも、早苗と過ごした日々と、早苗と過ごす日々は、そのどちらも青年にとっては宝物だ。
今は嫌われてはないのかもしれない。だが、この先嫌われないという保証はない。幸せがいつまでも続かないというのは、青年もよく知っている。
だから、早苗は守ってみせる。
それが、唯一の友人への親愛の証になると信じて。
(さなちゃんは……今はどうして僕に構ってくれてるんだろう)
その口から拒絶の言葉が生まれるのが嫌いで。自分を否定され、思い出の中で心の支えとなっていた早苗に距離を置かれるのが怖くて。
怖くて、怖いから。怖いなら――聞かなくていい。
自分のことなど、いつも後回しにしてきたのだから。
「――でもさ、それってなんか、いいよね」
「うん?」
「お互いがお互い唯一の友達だったんでしょ? ずっと仲が良くて、再会して、新しい世界でまた友達になった。衣笠さん、そういうのロマンチックでいいと思う」
「……それでも。それでも、六年間。六年間離れている間に、薄れてしまうものはあると思う」
「酔ってる姿見せて、おんぶさせてるぐらい仲がいいのに?」
「……いやそれは――」
「思い出は薄れるかもしれないよ? でも、また新しく作っちゃえばいいと思うんだ」
そう言って、衣笠は笑う。
何も、自分たちに限った話ではない。衣笠をはじめとする艦娘たちにも言えることなのだろう。
新しく何かを作ること。それは、早苗が幻想郷に来た理由そのものなのだから。
「うぅん……カミツレさぁん……」
早苗を背負い直し、青年は暗い夜の道を見上げる。月を隠していた雲は何処かへ消え、ギラギラと輝く月が、青年を背後から照らすように浮かんでいた。
鎮守府へと帰った青年。衣笠は青年の護衛としてついてきたために、酔い潰れるであろう加古の介抱も兼ねて紅魔館へと戻っていった。
本来ならば守矢神社で就寝するのだが、早苗もこの状態で二柱の神も紅魔館で酒盛りしている。早苗を連れて先に帰れと諏訪子に言われたものの、流石に早苗と二人きりになるのはダメだろうと思い、鎮守府へと連れてきたのである。
「これでよし、っと」
執務室へと移動した青年は、万が一鎮守府で寝ることになってもいいようにと、備え付けられていた簡易ベッドに早苗を寝かせた。
「んふふ~、カミツレさぁん……」
眠ったまま、小動物のような仕草で寝返りを打つ早苗。その可愛らしい寝顔は見ていて飽きないものであるが、青年も待機組にお土産を渡さなければならない。
布団をそっとかけ、青年は静かに執務室を後にした。その際――
「あなたは……変わってくれますか?」
呟く早苗の声は、青年に届かぬまま。
訪れたのは食堂。紅魔館に行けないことを残念がっていた暁たちのことを、青年なりに心配していたのだが―
「ほら、どうだ! これがビッグセブンの実力だ!」
「長門、今“ウニ”と言わなかったね?」
「なっ、響それは! し、しまった!」
「やったわ! 雷様が一番乗りよ!」
「ウニ、なのです!」
「そんな、暁はレディなのに、まだこんなに手札があるなんて……」
「むむむ、皆さん強いですね。私の計算が通用しないなんて」
どうやら、艦娘たちで盛り上がる方法を見つけていたらしく、杞憂であったらしい。
厨房では、鳳翔が待機組のために料理を作っていた。青年はまず厨房へ向かい、紅魔館で受け取ったお土産を鳳翔へ渡す。
「あら、提督。お帰りなさい」
「ただいま、鳳翔さん。これ、紅魔館で出された料理だから皆で食べて」
「少し味見を……。ッ――幻想郷には、こんなに美味しい料理があるのですね」
と、オードブルを少しつまんだ鳳翔が、拳を握り何かに燃えていた。
その真面目な表情に気圧されつつも、青年は鳳翔の料理と共に、艦娘たちの元へとオードブルを運ぶ。
「皆、楽しそうだね」
「へっ!? て、提督!? 全員起立、敬礼!」
「いやいやいいよ。続けて、どうぞ。それより長門って、厳しそうなイメージしかなかったけど、そんな風に楽しんだりもするんだね」
「えっ、あっ、なっ、なっ、ななな何を――」
長門はその言葉でどうにか取り繕おうと必死なのか、頬を赤くして手を振る。
長門の普段の姿といえば、規律に厳しく、厳正な態度で、青年に対しても戦闘に対しても、非常に真面目な態度しか青年は見たことがない。
普段見せる仕草の一つとってもキビキビしているあの長門が、まさか駆逐艦たちにデレデレとした顔を見せて一緒に遊ぶ姿を想像できただろうか。いやできない。
「ちょっと長門、続きをするわよ! 次こそはレディの力を見せつけてやるんだから!」
「えっ、あっ、いや、しかしだな……」
「長門。早くしないと、君がいつもぬいぐるみを抱いて寝ていることを皆に教えるよ」
「響!? なぜそれを!」
戦艦は厳粛なのだろう、という青年のイメージが、音を立てて崩れていく。初めて姿を見た時の威厳は、どこかへ消えてしまっていた。
可愛いというよりカッコイイという言葉が似合う長門。それがまさか、子供のように見える駆逐艦たちにすらからかわれる状況を見て、青年は盛大に吹き出してしまう。
その後更に慌てる長門の姿は、なかなか忘れられないだろう。
翌朝。起きてストレッチ、鎮守府の周りのランニングとを済ませた青年は、門の入口に入る時、早くから門番として仕事をしている美鈴と出会う。
「おはようございます、美鈴さん」
「おはようございます、カミツレさん。毎朝頑張っていますね」
「まあ、日課のようなものです。美鈴さんこそ、時々武術の鍛錬を行っているのを見かけますが?」
「あはは、お恥ずかしいです。以前もお見せしたように、私もまだまだ未熟でして……」
「とんでもない。素人目に見ても綺麗でした。良ければ、時間のあるときにお手伝い程度でもいいので、艦娘の子達と演習をしてみて欲しいのですが」
「私がですか? それは全く構いませんよ。天龍さん龍田さんとも、もう一度お手合せしたいですからね」
そうして、しばらく世間話をした後に、青年は執務室へと向かう。
「起きてさなちゃん、もう朝だよ。鳳翔さんが二人分朝ごはん追加で作ってくれるらしいから食堂に行くよ」
「うーん、あと五分……お酒はもう懲りごりです……」
「ほらほら、今日は海に行くんだから」
「海……海? 海ですか!?」
執務室の簡易ベッドで眠っていた早苗は“海”という一言で飛び起き、食堂へ向けて青年の腕を引っ張りながら向かうことになった。
食堂で艦娘たちと一緒に朝食をとる。昨夜宴会に参加していた者たちは寝不足なのか、少し隈が見られるも辛そうではない。加古の姿が見えないために衣笠に尋ねたが、どうやら二日酔いでダウンしているとのこと。
朝食をとり終えたところで、青年は艦娘たちに対して声をかける。
「皆、ちょっと聞いてくれるかな?」
「全艦、傾注!」
「長門!」
「はっ! な、何か?」
「ぬいぐるみ、リラックス」
と、待機組は昨夜のことを思い出したのか、少しだけ笑いを含む。長門は長門で恥ずかしそうにしていたのだが、丁度視線が集まったところで話を続けた。
「近海の制圧、本当にありがとう。でも、まだ幻想郷に面してる海岸線で、完全に制圧できてない海域もある。決して、慢心しないように」
「慢心……ええ、してなるものですか。一航戦赤城、今度こそこの誇りをお見せしますから」
「うん、期待してるよ。ともあれ、近海の制圧ができたことだけでも本当に喜ばしい。ただし――」
青年は長門と赤城の前に置かれた、特大サイズの皿をチラッと見る。
「まだ比較的余裕はあるけど、艦隊の拡大に伴って、資源が足りなくなる危機があるのも事実。そこで、今日は皆で海に向かい――」
目に見えて明るかった早苗の顔が、僅かながら疑問を抱いたものとなる。その爛々とした瞳は、まるで子供のように純粋であったのだが――
「皆でお魚獲りに行こう」
次の瞬間には、ガックリと肩を落としていた。
長門と赤城は、恥ずかしそうにお腹を鳴らしていた。