(小说断更及作者失踪)提督が幻想郷に着任しました 序章 東方風神録
大家好,我是wewewe今天开始本人开始搬运东方x舰c的同人小说:提督が幻想郷に着任しました
作者:小说:水無月シルシ
视频:イコ(同一人)
为生肉小说,熟肉有谁可以翻译的可以再开一个帖子,谢谢
作者已经失踪,无法联系作者
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幻想郷に“海”が現れた。
外の世界。孤児院で育った潜水士の青年は帰郷した際、幼い頃に大好きだった神社を訪れると、唯一とも呼べる友人、東風谷早苗と再会する。
守矢神社の遷宮に巻き込まれ、幻想入りする青年。海と共に出現した異形の怪物を前に、早苗の能力によって『艦娘を指揮する程度の能力』に覚醒した。
行方不明となった博麗霊夢、押し寄せる深海棲艦、そして深海化異変。容赦なく降りかかる争いに対し、艦娘と幻想郷の住民は過去と未来を幾重にも織り紡いでいく。
いつか、平和な幻想郷が戻ってくることを願って。
艦これ×東方(幻想入り)の小説です。オリ主ですが、艦娘と幻想郷の関わり合いや戦闘など、クロスならではの話を書いていきたいと思います。時系列は風神録の手前からです。
拙い文章ですが、どうぞよろしくお願いします。
序章 東方風神録
001 賢者の憂鬱
青々と茂る植物と抜けるような青空、そこにまたがる大小の雲。木造の家屋が地上に立ち並び、均された土道を人々は笑顔で行き交う。
吹き抜ける風、木々の香りが鼻腔をくすぐる。柔らかな日差しと爽やかな空気。早朝、数多の眼を覗かせるスキマから八雲紫が見下ろすのは、自らが最も愛する景色であった。
「ふふ……ステキ」
誰に聴かせることもなく、紫は呟く。
ある者にとっては路傍の石のように気にしないモノであるが、紫にとってはどれも格別で、ずっと特別で、永遠に飽きることのないモノ。
トレードマークの一つとも言える日傘をずらし、太陽に対して手をかざしながら微笑む。あの太陽が幻想郷の全てを視ているように、紫も幻想郷のありとあらゆる景色をその手中に収めていた。
その景色は“異変”によって、何度も容易く蝕まれる。だが――
『紅霧異変』では、とある巫女が全ての者の運命を変えた。
『春雪異変』では、誰にも死が訪れることはなかった。
『永夜異変』では、解決に薬は必要なかった。
そして、閻魔の関わった『六十年周期の大結界異変』。巫女は異変に対して審判を下す。
博麗の巫女。幻想郷への愛情と共に、紫は心から抱擁するかの如き愛情を、彼女へ抱いている。億劫そうな眼も喝の入った叫びも、幻想郷を彩る一つの景色。紅白の衣装と彼女の微笑みも、守るべき宝の一つ。
だが今――巫女はその姿を消した。
「どうして……どこへ行ってしまったのかしら」
誰に視られているわけでもないのだが、口元を隠すように扇子を開く。その瞳は少しばかり悲しそうに。
(博麗大結界はまだ残ってる。死んだわけではなさそうだけれど、心配する方の身にもなって欲しいものだわ)
一人、想いに耽る。扇子を持つ手は僅かばかり震え、唇を噛み締めるように固く結んで。
彼女の不在は、他ならぬ紫本人が最初に突き止めた。しかし、それは少なくとも彼女が霧雨魔理沙と最後に出会ってから5日後のこと。
3日前に発生した『異変』。それに対応すべく博麗神社を訪れたが、そこに彼女の姿は見当たらず、現在霧雨魔理沙を中心として捜索が行われている。
が、現在においても見つからず、依然としてその消息は不明。移動した形跡や足取りさえもつかめず、“消えた”と表現するのが正しい、としか言いようがない。
そして今も、その『異変』は継続中であった。
「……ああ、こんなにも青いのに」
眼前に広がる――幻想郷に突如として現れた“海”。
これまで幻想郷には存在しなかった、足りなかった青。空に負けず劣らず、むしろ重なり合って美しいコントラストを主張する。
潮風の香りは嫌いになれない。幻想郷に新たなエッセンスを与えたように、青々とした緑との対比による絵画的な艶美さを描き出していた。
だが、代わりに霊夢は消える。
霊夢の捜索期間はひとまず1ヶ月としているが、その間に見つからなければ次世代の博麗の巫女の育成・選定を行う必要がある。
紫としても、あまり長い間博麗大結界の管理者の座を空席にしておくわけにはいかない。
それでも。
あの少女の安否を確かめたい、彼女の笑顔をもう一度見たいと思うことは、過ぎた願いなのだろうか。
(私は幻想郷の管理者……ここを守る義務がある)
目の前に広がる海を前にして、紫は海岸線ギリギリの位置でスキマに座って監視という名の展望と洒落込んでいた。突如として海が現れたものの、ただそれだけ。
不思議なことに、この海の上の空は飛ぶことはできない。どういった原理かはわからないが、誰が飛ぼうとしても海へ落ちてしまうのだ。
『境界を操る程度の能力』。幻想郷の結界に穴を穿ち、夢と現実の境目を打ち消す、あらゆる事象事由を覆す、紫の能力をもってしても。
村などに被害が出たわけでもなければ、怪我をしたとか行方不明になったというような報告もない。妖怪の山から流れる河の水が流れ出る先に、三途の川の流れる先に、その他人里や小さな川が流れる先に、突如として現れただけ。
(早く戻ってきなさいよ。これじゃあ、宴会だってできないでしょう。海と月を肴にした晩酌っていう、最近では稀に見る贅沢を私に我慢させているのに)
瞳を閉じて、久しく姿を見ない博麗の巫女の苦笑した顔を思い出す。物憂げでありながら快活さを感じさせる彼女のあの顔がたまらなく愛しい。鬱屈とした溜め込みを吐き出すことでしか、心の安定を図れなくなっていると気づいているのに、それがどうしようもなく心地いい。
(帰ってきたら……たまにはお賽銭でもあげましょうか)
どんな顔をするだろうか、どんな反応をするだろうか。顔を見ることができない今では、虚しく想像するしかないのだが。
「あら?」
ふと、酷く陰湿な空気が潮風に乗って流れてきたのを感じた。それに気づいた紫は扇子を閉じ、スキマを閉めて宙に浮いた。遠くからは、八雲藍が慌てた顔で飛んできているのが見える。
(やはりこれは……異変。それも相当厄介な)
姿形はまだ見えない。しかしそれでも、陰湿な空気は増大した。やがてそれは怨念のような、憎悪のような、悲愴のような負の感情。その結晶とも言うべき――黒い感情の塊の数々。
紫は直感で理解する。これはマズい、と。
自らの愛する幻想郷に関わらせてはいけない。あれは争いの種に過ぎない。そしてもっとわかりやすく簡素で簡潔で、単純なものだ。
今の幻想郷には、この感情は必要ない。
守らなければならないだろう。博麗の巫女に代わって。
「藍」
「はい」
九尾狐がすぐそばに控え、恭しく頭を垂れる。
しかしそんな時、海を正面とした背後、『妖怪の山』から、ただならぬ気配が漂い始めた。それは博麗神社と似通っているようで、何処か違う感覚。
紫の頬に、汗が一滴流れる。藍も珍しく尻尾の毛を逆立たせているが、彼女は鋭い双眸を山に向けたまま口を開いた。
「私は山の様子を見てきましょう。紫様、無理はなさらぬよう」
「わかっているわ。それにあなた、私を誰だと思っているの?」
「それは勿論、長命でありスキマを操る妖怪の賢者、我らが八雲紫様ですよ」
「老婆と言ったかしら?」
「八意殿に耳を診てもらってください」
それだけ言うと、藍はわずかに笑みを浮かべて妖怪の山へと飛んで向かっていった。
「さて、異変が二つとは、なかなかやってくれるじゃないの」
スカートがふわりと浮き、髪が風に揺れる。景色を見つめていた時ほど瞳は慈愛に満ちておらず、そこに覗かせているのは底冷えするような冷たい感情。
宙に浮く彼女の周りに、手のひらほどの光の玉がいくつも浮かび上がる。それは十や二十どころではなく、幾百もの群れとなって彼女を守るように立ち塞がっていた。
そして、彼女の手元には充血した目玉の模様をしたスキマが一つ。
睨みつけるように、その感情の塊と対峙した。思いの丈をぶつけるかのように、彼女は苛立ちにも似た殺気をあらわにする。
「私の幻想郷に、土足で上がれると思わないことね」 2 / 46
002 少年の思い出、青年の景色
一体、どれだけの時を過ごしたのだろう。自分は一体何という名前だっただろうか。
そんなことを思いながら、一人の青年は生まれ育った懐かしき土地を訪れた。
緑溢れる山々の中、清らかな河のせせらぎと吹き抜ける柔らかな風が耳に染み渡る。青年にとって、この自然はかけがえのない大切なものであった。
この自然だけ。
とある場所でその青年は、人生を共にしながらも、憎々しく思っていた養父に殴られる。
「金は送れ。お前の顔は忘れた、もう来るな」
「きっと、二度と会うことはないでしょう」
幽霊・妖怪、森羅万象、人知を超えたあらゆる存在を“視る”ことのできる青年は不気味と評され、長きにわたって肉体・精神共に追いやられてきた。
決別は、ようやく成されたのである。
9月のある日。
頬をさすり、スーツケースを転がしながら、青年は持ち前の穏やかさを身に滲ませながら、鬱蒼とした森の中を歩く。セミの鳴き声もあまり聞こえなくなったのだが、代わりに風の音が際立って美しい。
(懐かしいなあ、この景色)
時刻は夕方。予約したホテルに寄る前に、懐かしい場所に、子供の頃に唯一好きだった場所――とある神社に、久しぶりに訪れてみようとしたのがきっかけである。
風に揺れる針葉樹と、その隙間から溢れる木漏れ日。湿った枯れ葉を踏み、時折道を塞ぐ木の枝を避け、壊れかけた石畳の道を行く。
一歩一歩を記憶と照らし合わせ、当時のささやかな幸せを噛み締めるように。
(でも何だろう、昔と違う……ような?)
子供の頃はこの道を走って神社までよく行ったものである。昔も今もあまり景色は変わらないはずなのだが、どこか違和感を感じさせた。
(……参拝客が一人もいないんだ)
昔はそれでも、一度参拝道を往復するだけで必ず年老いた老人の一人は見かけたものだ。が、今では誰ともすれ違わないし、参拝に向かう者も見かけない。
森の中でさえ、子供の頃はあれだけ不思議な感覚に包まれていたというのに、今では景色が変わらないだけのただの森のようである。
(成長したからかな? いや、ただ感性が鈍くなっただけなのかも。なんだか寂しいや)
感受性の違い。子供の鋭敏な感覚とは違い、大人になると鈍くなってしまう。そしてそれは、自身がそれだけ成長した証でもあり、老衰した証ともなる。ただ、ここに来るといつも満ち溢れていた、“力”のようなものが感じられなくなったのは確かなのだ。
無論、ただの勘違いかもしれないが。
「うわったた」
上ばかり見上げて歩いていたからか、石畳の隙間に躓いて転んでしまった。スーツケースから手を離し、両手をついて姿勢を立て直す。
(ん、これは?)
地面についた両手。その右手の部分には、ちょうど手のひらに収まるように何かが落ちていた。
(写真……。なんだろう、軍艦かな?)
手に握っていたのは、古めかしいモノクロの写真。カラー写真に移行している現代では、もうあまり見られなくなった代物である。
写真には、大きな船体と艦橋。滑走路と思しき真っ直ぐとした船の形。青年も詳しくはなかったが、第二次世界大戦時の写真であり、航空母艦と呼ばれる軍艦であることだけ見当がついた。見当はついたが、それ以外はさっぱりわからない。
(誰かの落し物かな? まあいいや、神社に置いとけば気づくだろうし)
そうして、青年はその写真をポケットへしまい、足を進めたのであった。
(さて、到着。ホントに懐かしいな)
鳥居前にて礼、そこをくぐると、子供時代と何ら変わりのない神社があった。
広い境内、整えられた石畳に、大きな社。モミの木からなる4本の柱が立てられ、厳粛な空気に包まれている。予想通りに、人の気配は全くない。
手水舎で手を清め、財布から小銭を取り出した。残念なことに五百円玉が二枚のみとは、一体どういう使い方をしてしまったのだろう。
青年は躊躇うことなくそれを取り、賽銭箱へと放り込み二礼二拍手一礼。何かを願うべきかとも考えたが、今日この日に解決されたばかりなのだ。願うことなど特にない。
失礼とは思いながらも、賽銭箱へ上がる石段のところで青年は腰を落ち着けた。寝転がるように体を投げ出し、空を見上げる。
(貯金200万全額の支払いで縁切り。安いもんだ)
夕日が射す思い出の神社。境内は橙色に染まり、飛びゆく鴉が泣き喚く。耳に流れる風の音が、お祝いをしてくれているかのように心にまで響いた。
石段は硬いが、いつまでもここで横になっていられそうあった。目を瞑れば何も見えない。その代わり、沢山の自然が耳から頭の中に入り込んでくる。このまま寝入ってしまえば、翌朝まで熟睡すること請け合いだろう。
(でも、もうここにも来ることもない……か)
自身は既にこの街から、忌まわしい土地から解放されたのだ。ただそれだけのこと。子供時代を過ごした場所を失ったところで、何の問題があろう。
誰かにとっては心の拠り所かもしれないが、誰かにとっては疎ましいだけの記憶でもある。ふるさとなど、千差万別の捉え方があっていいはずだ。
ただ、気がかりがひとつだけ。人との関わりを持とうとしなかった青年にとって、気になることがひとつだけ。
(あの子、どうしてるのかな)
子供の頃、この神社でよく見かけた少女がいた。髪が長く、目が眩むような美しい緑色の髪をした少女。天真爛漫で、気味悪がられていた自分にさえ話しかけてきた不思議な子供。
友人を持たなかった青年にとっての友人を挙げろと言われれば、一人だけ。神社を訪れた時にたまに見かけたあの少女だけだろう。
最後に見たのは、青年が最後に神社を訪れた中学校の卒業式の日。その日を境に青年が神社に参拝することはなくなったため、それから出会うことはなかった。
最後に交わした言葉。今となっては、青年を縛る鎖にさえなっている。
『また、ここに来てくださいね! 約束です!』
もう、今となっては会わせる顔もない。
年齢は自分より下だっただろうか。髪に蛇と蛙の髪飾りをした少女。真面目で明るく、そして素直。
何より、幽霊含む色々と見える体質のせいで、何か不思議なものが見えるなどという痛すぎる超常現象パフォーマンスを、神社で行ってしまった自分にさえ話しかけるような子だ。
どこかネジが一本外れていたのだろう。最後は懐いていたぐらいである。
しかし思い返してみれば、少女にも不思議なところはあった。青年が神社に参拝した際、社の前でボソボソと神社の本殿に向かって何か喋っていたことがあった。それだけならまだいい。
神社に立てられているモミの木の柱に向かってだとか、手水舎で泳いでいたアマガエルに向かってだとか。果ては、少女自身が蛙のような動きで参拝道を跳ねながら降りていったりだとか。
とにかく、不思議な少女であった。
ぶっちゃけ、自分より痛かったんじゃなかろうか。
(今となってはいい思い出……かな?)
と、苦笑するぐらいには青年も成長していた。
否、それはただの諦観に過ぎないのだろうが。
その時だった。神社の本殿の方から、わずかに耳に届くほどの小さな声が聞こえてきたのは。
「――――?」
「――! ――――!」
どうやら、女性が二人、何か話しているようだ。神社の関係者だろうか。この神社の社務所はいつも閉まっていたために、誰も管理していないのだとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。
流石に寝転がっているのはマズいと思い、青年は体を起こす。一方で、声は社の入口にまで近づいてきていた。
立ち上がった瞬間、社の扉が開く。年代を感じさせる木の乾いた音とともに、その人物は姿を現す。
社へ入り込む風と共に流れるようにたなびく美しい緑色の長髪、その髪に飾られた蛇と蛙の髪飾り。鼻筋の通った柔らかな顔には、少し無理をしたような笑顔が貼り付く。
白い肌に細い肢体。白と青を基調にした巫女服は脇が開いており、その胸元には豊かな双丘が自己主張していた。
幼い頃と何も変わらない。いや、変わっているが、青年の中では何も変わらない。
――会えるなら会いたいと思っていた、思い出の中の少女。
少女の美しい瞳と視線が交わされた。話そうとしても、何も言葉が出ない。少女は少女で口を開こうとしたようだが、青年の顔を見てその口をつぐみ、首を捻っては不思議そうな顔をしている。
なんと声をかければいいのだろう。久しぶり、と話しかけたとしても、この様子では覚えていないようだ。初めまして、もどこかおかしい。
青年がうーん、と顔には出さずに頭を悩ませていると、少女は口を開く。
「あの……あなたは神様を信じますか?」
「……は?」
――どうやら、自分が信じた少女はやはりとんでもない少女だったらしい。
「……あー、えっと、か、神様……ですか?」
「はい、神様です!」
思い出す素振りすらしようとしないどころか、宗教に勧誘してくる少女。
自分が知っている限り、少女は素直を形にしたような性格であった。しかしどうして、それがこうも宗教にハマっているなどと信じられよう。別に宗教は構わないが、それを他人にまで振りまくような子だっただろうか。
(いやまあ、確かに会う場所なんて神社だけだったけどさ……)
幼い日のたった一つの綺麗な思い出がどこか汚れたようで、気分は散々である。それを表に出すようなことはしないが。
「神様、ね。まあ、いるんじゃないですか?」
「そんなことでは神様は姿を現してくれませんよ!」
流石にいい加減にしてくれよ、と青年は引く。
そんな思いとは裏腹に、少女は可愛らしい笑顔で詰め寄った。
「さあ、もっと神を信じるんです!」
「あー、えっと、その、いるってことでいいから」
「ちゃんと信じてください!」
「か、神様って、いるんだね?」
「声を張り上げて!」
「神様、ああ神様!」
悪ノリしているとは分かっているのだが、少女と再び出会えたことに、青年自身嬉しいやら呆れやら混じって感情が安定しない。吐きそうなのに、泣いてしまいそうな。
少女は青年の手を引き、本殿に向かって隣に並ぶ。
「さあ、一緒に叫んで下さい! 神様ぁ!」
「あーもう! えっと、か、神様ぁ」
「神様ぁ!」
「か、神様ぁ」
「神奈子様ぁ!」
「神奈子さ――誰だよそれ!」
「神奈子様ぁ!」
「か、神奈子様ぁ」
「神奈子様ぁ!」
「神奈子様ぁ!」
「うるっさいよ早苗!」
社の中から現れる、注連縄を身につけた女性。胸元には怪しげな反射光を放つ鏡を着け、その表情はご立腹である。
しかし、その美しさだけは如何とも表現しがたい。形容するに無礼であり、筆舌するに喉渇くこと間違いなし。抜群のプロポーションとキメの細かな肌、身にまとう雰囲気はまさしく――
「女神……」
他人を評価することなど、ましてややそれを口に出してしまうことなど、今までどれほどあっただろう。少なくとも、こんな美人を目の前にして落ち着けと言われても落ち着きようはない。
「そう、神様ですよ神様! 神奈子様は神様なんです! えへへ、どうですか? びっくりしましたよね!」
「早苗、私はお賽銭入れてくれた人を早く外に出してあげてって言ったよね」
気が付けば神社中が、いつの間にか謎の光に包まれ始めていた。その光に気づき、青年は周囲を見渡す。
「あの……何が起きてるんです? というかあなた方は……?」
「遷宮だよ。神社ごと」
「遷宮……?」
「神社を他の場所に移すのさ。ここじゃ信仰が得られないから」
遷宮という言葉は知っている。社を改修する際に、御神体を一時的に別の社に移すことだ。それはいい。
だが、神社ごと、というのは一体。
「私は八坂神奈子。ここの神さ」
「私は東風谷早苗です。そうですね……私はここの巫女なんです!」
立て続けに、少女を染めた宗教の御本尊が目の前にいることを理解する。
(ああ、巫女だったんだ。ならまあ、仕方ない……ような悔しいような……やっぱどうでもいいか。しかし、神様かあ……)
神と言えど、どこをどう見ても人間に見えた。確かに、飛び抜けた美しさであるとか、何故注連縄を着けているのかなど、謎は多いが。
青年も続けて自己紹介を行おうとすれば、周囲の輝きが一層眩くなる。
「……色々と話したいことはあるけど、急いでここから出た方がいいよ」
「はい?」
「もうすぐ遷宮が始まるから」
「巻き込んでしまいますから、早く出ましょう!」
「最後の参拝客だ。見送ってやるさ」
二人はそう言うと、青年の肩を掴んで押し歩く。
「あの、えと、ちょっと!」
抵抗もむなしく、青年は鳥居の前までやってきた。するとそこで、鳥居の向こうから一人の帽子をかぶった少女が神社へ入ってくる。歳は自分より流石に低いだろうか。
それを見て、早苗と呼ばれる少女と神奈子と呼ばれる女性が目を見開いて驚いた。
「あれえ、二人共一体どうしたの? その人間は?」
「す、諏訪子、あんた本殿にいたんじゃ!?」
「ミシャグジ様と一緒にお散歩してたけど?」
どうやら、この帽子の少女も関係者であるらしい。
「ねえねえ、それで、その人間は一体どうしたの?」
「ん、ああ。この世界での、我々の最後の参拝客さ」
「え、最後の? どういうこと?」
「この前話しただろう。我々は幻想郷へ神社ごと遷宮すると」
「え、聞いてない! もうこれ途中? 置いてかれるところだったじゃん!」
「たしかその時、諏訪子様はテレビを見て爆笑してましたので……」
「あー……うー」
「まあ、間に合ってよかったな」
「全くだよ、もう! 神を置いてきぼりなんて、人間のやることじゃないってば!」
「私は神なんだけど」
「私も風祝ですよ」
三人が鳥居の前で揉め合い、一向に話が進まない。しかも、帽子の少女もどうやら神であるらしく、青年は眉間を押さえた。
「あ、あの、僕はここから出たほうがいいんですよね?」
「そうですね!」
もうその言葉が聞ければ十分だ、と青年はため息をついて眉尻を下げる。
三人の顔を眺めてから、青年は鳥居の外に一歩出た。たったそれだけで良かったのか、神の二人はホッと息をつく。
「いまいちわからないけど、こんな寂れた神社に最後までありがとうね!」
「ああ、本当にありがたい。我々も、この先やっていける勇気をもらったよ」
「私たちのこと、できれば内緒にしておいてください!」
光は鳥居から内側だけで発生している。そしてその光は益々強くなり、やがて三人の姿も消えつつある。帽子をかぶった少女などは背が低いために、既に見えなくなってしまった。
「あの、よくわからないけど……神様はいるってことはわかりました。よくわからないけど……いやあのホントよくわからないけど、頑張ってください」
「うん、ありがとう。そろそろお別れだよ。じゃあね」
「もう会うことはないだろうがな。……せめて、健やかであってくれ」
そうして、神の二人の姿が完全に見えなくなる。おそらく、神社の社の方へ向かったのだろう。しかし早苗だけは、未だに鳥居の前にその姿を残していた。
「あの、そこは危ないんじゃないんですか……?」
「えーっとですね、ちょっと待ってください。今整理してますので」
「整理?」
緑色の髪が、輝きを帯びて一層眩く風に流れる。目の前には美しく成長を遂げた早苗がいるというのに、瞼の裏には確かに、子供の頃の光景がありありと浮かんできていた。
「なんでしょう。こう、おふくろの味、というか、懐かしのあの味、というか」
「は?」
「うーん、よく思い出せません! ちょっともう一度顔を見せてください!」
「え、ちょ、うわ!」
意味不明の言葉を並べる早苗。棒立ちしていた青年は突然腕を引かれ、光に包まれる神社の、鳥居の中へ足を踏み入れた。
目の前には、早苗の綺麗な顔があり、その表情は自分の顔を見た途端納得したとでも言うように笑顔に変わる。
「やっぱりカミツレさんじゃないですか! また来てくれたんですね!」
その笑顔は、最後に出会ったあの日と変わらないものであった。
瞬間、視界は完全に光に包まれる。
「思い出してくれたんだ、――さなちゃん」
言葉を紡いだ青年は、刹那の間に意識を奪われた。
茅野守連カヤノカミツレ、21歳。職業は海洋調査における潜水士。
幼き日の景色は、確かに取り戻されたのである。 003 初めまして、司令官!
どれだけ時が過ぎたかはわからない。しかし、呼ばれることのない自分の名前が呼ばれていた。
名前など、ただの記号でしかない。ただ個人を区別するために付けられたもので、そこに意味など求めてはならない。求められなかったものを、どうして今更求めるのだ。
しかしそれでも、青年の名を呼ぶ声があった。自身を呼ぶ声をほとんど耳に残したことがない、だが一人の少女の声だけは鮮明に覚えている。
呼ばれたから応えるわけではない。少女の声だったから、というわけでもない。
懐かしい記憶の中に眠る声に、ただ誠実に応えようと――。
「――――い。カミツレさん、起きてください!」
「……え、は、はい?」
いつの間に気を失っていたのかはわからない。が、滅多に呼ばれることのない自分の名前が呼ばれた珍しさから、青年は目を開く。
どうやら鳥居の前で倒れていたらしい。早苗が肩をゆすられていたが、目を覚ますと同時にそれを制する。
「えっと、もしかして寝てた?」
「気絶です」
「あ、はい」
確かに、神社の入口で眠るようなはた迷惑極まりない癖を持っていた覚えはない。と思いつつ、青年は体を起こして立ち上がる。
「ここは……さっきの神社?」
「そうなんですけど、そうじゃないんです! こっちに来てください!」
鼻息荒く、早苗が青年の腕を引く。腕を突然掴まれたことにも驚いたが、それどころではない現象が直後に起きる。
「あれ……地面」
腕を支えられながら、青年は早苗と共に本殿の上空に浮いていた。足が地面につかないという不安、体に襲いかかる体験したことのない浮遊感、それらは青年が冷や汗を垂らすに十分な恐怖であった。
しかし、そんな恐怖も吹き飛ぶ景色が目の前に広がる。
「これ、海……? こんなに綺麗な海があるんだ……」
「やっぱり、これが海なんですね! 私、初めて見ました」
山の中にある神社。当然見える景色も緑ばかり、であるはず。
だがそこに広がっていたのは目を見張るほどに澄んだ青。少し離れた位置にある、広大な海であった。
(綺麗だ、本当に。こんなの今まで見たことない……)
「あれ? あそこで誰か空を飛んでいませんか?」
「え?」
「ほら、あれです。何か、空の中で座っているような人です」
なぜ山の中にいたのに海が見えるような位置にいるのか、という疑問も解けないまま早苗が話した。
人間はそんなにポンポン空を飛べたものだろうか、と青年は割と本気で首をひねる。だがやはりそんなこともなく、理解が追いつかないままに早苗の示す方向を見た。
「……確かに何か浮いてる、かな?」
「うーん、何かがその周りにも浮いていますね。というより、あの人が何もないところから色々引っ張り出しているような……」
海岸線ギリギリの位置の上空に、確かにその人は浮いていた。そしてその周囲には、キラキラと何かが光り輝いている。青年も視力には自信があったが、そこまで細かくは見えない。精々、その人の周りで何かが光っていることぐらいである。
「どうやら何かと戦っているようですね。なるほど、あれが幻想郷の弾幕ですか」
「あ、う、うん? そうみたいだね」
「でも、相手は一体……。海の上にいるみたいですね。あれは生物でしょうか? 随分と真っ黒で、グロテスクな形をしているようですが……」
「えっと……うん、そうだね。いやお見事、全くもってその通りだよ」
「ちょ、流石に適当すぎですよ!」
容赦なく突っ込まれ、、ばつが悪そうに青年は押し黙る。そんな青年を見て、やれやれといった風に早苗は苦笑した。
「その何に対してもどうでも良さそうなところ、変わっていませんね」
「……さなちゃんこそ、昔と何も変わってないじゃん」
「あは、久しぶりにそう呼ばれました。あ、私がそう呼ぶようにお願いしたんでしたっけ?」
青年も苦笑し、頬をポリポリと掻く。青年自身、中学までは早苗のことをそう呼んでいたが、大人になった今では少々気恥ずかしい。嫌がられるのではないかという思いは、どうやら杞憂に終わったらしい。
しかし、二人がそうして海を眺めて昔の話を持ち出したところで。
「動かないで下さい! あなたたちは何者ですか!」
空を飛んで、獣耳と尻尾のついた白い髪の少女が現れた。その尻尾の毛が逆立っていることもそうだが、その少女の強面な形相を見る限りでも、あまり友好的な出会いではないようであった。
(え、剣? 本物? 尻尾も生えてるけど……)
この少女も空を飛ぶのか、と青年は複雑な気持ちになるも、剣と紅葉の模様が描かれた盾を持っているのを見ると、そうも言っていられない。
「ここを妖怪の山と知っての行動ですか? 警告します、今すぐ立ち退いてください!」
険しい顔つきの少女。何が起きたのか、何が起きているのかわからない青年にとしては、最早状況に流されるしか選択肢はなかった。そもそも動いたところで空の上である。
「随分と物騒な挨拶ですね。それが幻想郷のやり方ですか?」
「無礼なのはそちらです。勝手に我々の山に入った挙句建物まで持ち込むなんて……!」
「それは失礼しました。では、あの敷地は我々守矢神社がいただきます。で、いいですよね?」
「ふざけているんですか?」
「大真面目ですよ」
軋む音と共に、白い髪の少女はその剣を握り直す。
「引く気はない、と?」
「私たちも生き延びるためにここへ来てますから」
それに応えるかのように、早苗は自身の周りに光り輝く球体を浮かべた。あら綺麗、なんて呑気な感想を浮かべていたのも束の間。
「では、実力行使と行きましょう――!」
瞬間、青年の視界がぶれる。白い髪の少女が勢いよく迫ってきたかと思えば、早苗が空中を高速で飛翔し始めた。
――青年の腕を掴んだまま。
「痛い痛い痛い! 腕ちぎれるって!」
「カミツレさんも男の子でしょう! 我慢してください!」
「無茶言わない! 降ろして!」
急制動、急加速、三次元空間を余すことなく変幻自在に移動する早苗。移動する傍ら、青年にGがかからないように細かく調整しているようだが、青年としては地に足がつかない状態で高速で空中を振り回されているのだ。たまったものではない。
目を覚ましたら山の中にいると思っていたのに海が近くにあって、人間が空を飛んで、ほかの人も空を飛んで。挙句の果てにはジェットコースターもびっくりの空中機動。
あえなく、青年は頭と一緒に目を回す。
「ごめ、吐きそ……」
「ちょ、カミツレさん! わかりました、降ろしますから吐かないで!」
慌てる早苗の声が聞こえたかと思えば、頭を叩かれた。
(え、なんで叩かれたの!? ていうか叩いた瞬間さなちゃんの手が光ったけど!? なんで僕ドキドキしてるんだろ……もしかしてこれって……!)
ただの動揺である。
何をするんだと問い正そうとしたその瞬間、再び青年は浮遊感を味わった。
――自由落下という名の絶望が、全身にまとわりついて。
「うわあああああああああああぁ!」
高度にしておよそ15m。何ができるわけでもなく、青年はそのまま落下していく。
(あ、ダメかも……)
高速移動中に突如放り出された青年は、体中に伝わる空気の圧力にさらされ、そして死んだという確信を伴って落ちていく。
――深い滝壺の中へ。
衝撃音と共に高い水しぶきが上がり、青年は滝壺に吸い込まれる。
仕事柄というべきか職業病というべきか。青年は目まぐるしく転換する状況の中でも、水面が近づいた時には既に着水する姿勢を取っていた。
滝壺に潜った青年は水中でその眼を開き、滝の底にぶつからないように動き、流れ込む水に身体を持っていかれないよう泳ぎ、体勢を立て直す。
(し、死ぬかと思った)
水中で辺りを確認したが、どうやらそこそこ大きな滝壺らしい。落ちた先に水がなければ、そしてそこに深さがなければ――。
もしくは、早苗はわざとここに落としたのだろうか、とも考えるが。
(おや……?)
ふと視線を向けたところで、青年は滝壺の中に怪しげな影を見つける。
青緑色の物体、ギラギラと光る眼。不思議な姿勢で青年を見つめているそれについて、青年は見覚えがあった。
(やばいやばいやばい、逃げないと!)
かつて故郷の河で遊んでいた際に青年だけが見たことのある影。
足を引っ張られて水中に引きずり込まれかけたこともある。その泳ぎは速く、河から出るまで追いかけられ、凶暴な声をあげていた河の主。
(なんでこんなところに“河童”がいるんだよ!)
青年は急いで方向を変え、水の流れる方向へと全速力で泳ぎ始めた。
(冗談じゃない、最悪だ! 何なんだよ次から次へと!)
脳の情報処理など追いつくはずもない。人生で大一番の山場であるとしか判断できない頭の出来の悪さが嘆かわしい。
ならば、体だけは動かすしかないだろう。と、無意識に思った青年は、川の流れも相まっておそらく人生で最高速のクロールを体現していた。
(追ってきてるのか? いつ追いつかれる?)
息継ぎなど忘れてひたすらに脚を、腕を動かす。肺が酸素を求めている。脳がもう動かないと叫んでいる。
それでも、恐怖の対象としかなりえない河童に捕まるよりはマシだと、必死に水の先を求めてもがく。
しかし、その速度にも終わりは来る。
体はまだ動くというのに、河の流れが弱くなる。水の後押しは徐々になくなり、最後には青年が自身の力のみで泳いでいた。
「っはあ、は! あれ、海に、河口に出てる……?」
そろそろ限界だと感じ、青年は顔を上げて呼吸を整える。立ち泳ぎに移行して気づくが、水は海水に、周囲は一面の青景色に変わっていた。
そして、海にたどり着いてから、先ほど早苗と話題にしていた人物がすぐ近くの空中に浮いている。
「人間? まだ海には立ち入らないように警告がなかった?」
年の頃は青年より上だろう。フリフリとした帽子とスカートを着用し、彫像のように整った美しい顔立ち。
その視線は鋭かったが、青年を見るとわずかにその雰囲気が柔らかくなる。
「コ、コスプレか何かですか?」
「違うわよ……ん? あなた、あの神社の関係者なのかしら」
「え……は、はあ。神社にいましたけど」
「何しに来たの? 幻想郷の支配? それとも私の力が目的?」
「いや、実は僕もよくわからないんです」
「おかしなことを言うのね」
一人で勝手に納得したように不敵に微笑むその女性。近づいてみてわかったことだが、早苗と同じように体の周辺に光の玉が浮いていた。
そしてひときわ目立つのは、女性の周囲に複数存在する空間の裂け目。更に、そこから覗く幾百の目玉。
「事情は後で聞くとして、人間さん? 何もできないなら、危ないから早く陸に上がった方がいいわ」
「え?」
女性がそう言うと、突如女性の目の前に現れたのは謎の黒い塊。
――否、鯨のようなイルカのような、黒い生物。
口を大きく開き、眼光は怪しく光り、海を割って移動する。人間の数倍の大きさがあり、口の中には大きな筒のような物も見える。
驚きの声を上げる間もなく、女性の周囲に浮かべていた光球がその怪物へと向かった。
「あら、おカタいのね」
刹那――耳をつんざくような轟音と、体中をビリビリと伝う衝撃波。
光の玉はその3分の1ほどが怪物の甲殻に弾かれてあらぬ方向へと飛んで行くが、残りはその甲殻の表面にぶつかった瞬間、爆発した。そして、怪物は生気を失ったように海に崩れ落ちる。
光球によるダメージを負った部分から謎の液体を噴出させた怪物。偶然にも、あんぐりと口を開けていた青年の口の中にその液体の一部が入ってしまう。
「ちょ、何が――おえっ、なんだこれ……って、海水?」
何度も味わったことのある味。仕事が仕事であるだけに、間違えようもない。
「なんなんだ、一体何が――っ」
悩む暇など与えてはくれない。その怪物と同じ形の別の個体が、次は青年のすぐ目の前に現れる。
女性を振り返ったが、先ほどの個体を興味深く眺めており気づいていない。
口を開けている怪物。その勢いは止まらない。その大きな体ごと海面から跳ね上がり、青年を海中に引きずり込むように飛びかかる。
今度こそ、青年も命を諦めた。泳げば済むとか、陸に上がれば問題ないとか、そういう話ではない。
恐怖で足が動かないのだ。理解不能な出来事に、頭どころか体すら反応しないのだ。
(ああ。最後までもう……ついてないな)
もう少しマシな人生だったら、何か変わっていただろうか。
心より望んだ普遍的な生活は、得られていただろうか。
孤独に生きた青年の声に、応える者など在りはしなかった。
なかった――はずなのに。
「司令官、危ない!」
突如、青年のポケットが輝き出す。それとほぼ同時に、叫ぶような声と鳴り響く爆音。耳をふさぐ暇もなく、メラメラと大気を揺らす火炎が目の前に広がった。
怪物は空中で停止したかと思えば、そのまま海中に落下。青年に向かってその大きな体が襲って来ることはなかった。
そして、突然目の前に現れた、背を向けているこの少女。
歳はまだ若く、小学生か中学生だろう。セーラー服を着ているために中学生かも知れない。顔立ちも幼く、体も華奢で小さい。
しかしその小さな体で、煙突のようなものが立ったエンジンと思しき機械を背負い、腕には小さな大砲のようなものを、脚には何かが装填されているらしい機械を装備している。
「たす……かっ、た?」
風になびくセーラー服とショートカットの髪、その全身を浮かび上がらせている謎の靴。
チラチラと白い下着のような物が見え隠れしていたが、この状況でそのようなことを気にするほど青年の神経は図太くない。
火薬の匂いが混じる潮風が、青年の頬を撫でていく。
少女はやがて振り返ると青年の顔を見て、怪我をしているかどうかだけ確認してから、安心したかのように息を吐いた。
「お怪我がなくて何よりです!」
「あ、ああ……ぁあ?」
「あ、自己紹介が遅れました!」
少女はその場で姿勢をただし、直立する。
慣れ親しんだような仕草、あたかも呼吸をするかのように右腕を曲げ、手のひらを伸ばし、顔の横に据える。
命の危機を脱した青年。落ち着く暇などなく、瞳を見開いたまま少女を見上げていた。
光球を浮かばせていた女性は宙に浮きながら、遠目に青年と少女を見て扇子を開き、目を細める。
敬礼をした少女は唇を震わせていた。しかし、ギュッと唇を結んだ後、緊張した面持ちで青年を見て、意を決したように口を開く。
「初めまして、吹雪です! よろしくお願いいたします!」
着任
特Ⅰ型駆逐艦一番艦『吹雪』
搬运者:今天先到这里,明天继续 004 守矢会談
思い出の中に留まる懐かしき神社、その板張りの廊下を青年は歩く。先導して歩く早苗についていくように。
ニコニコとした笑顔とは打って変わって、早苗の表情には落ち込みが見られる。かといって自身も、余裕のある表情をしているわけではないが。
「あの、さなちゃん」
「なんですかカミツレさん?」
「僕って、本当にここ歩いてもいいのかな」
「神奈子様が許したんですから大丈夫ですよ」
それまで一般人であった青年。しかし、たった30分にして、人生最大の山場を迎えていた。
どこで何を間違えたのだろうか、いやそもそも何で神社にいるのか、うわ神社の中っていい香りなどなど、気になることが多すぎるのである。
「これから……何するんだっけ?」
「神奈子様と諏訪子様、それと、幻想郷の八雲さんという方とお話です。八雲さんが、私たち守矢神社が幻想郷に来た理由について聞きたいそうですから」
「あ、そうだった」
そうだった、ではない。八雲さんって誰だ、幻想郷って何、など不思議は様々。
そして最も留意すべきは、なぜその場に自分も加えられることになっているのかという疑問である。
「あのさ、僕ってその話し合いに必要なの? いらないよね? それどころか、僕って神社の関係者じゃないよ?」
「先方がお呼びですから仕方ないですね。神社の関係者を全て集めろ、特にあの青年は絶対に呼べ、とのことなんです」
「八雲さんって、あのコスプレの人?」
「カミツレさんから見れば私も十分コスプレだと思いますが」
「それもそうだ」
ふと、青年は自分の後ろについてくる影をチラリと見た。
ビクビクして震えながらキョロキョロと辺りを見回し、時折青年を見ては顔を固める少女。
海で自身を怪物から助けた張本人であるが、助けた時とは違って勇敢さは欠片も見えず、常に緊張した面持ちである。
「あの、さ」
「は、はい! なんでしょう司令官!」
「いや、見たところすごい緊張してガチガチみたいだけど」
「お気遣いありがとうございます! ご心配には及びませんから!」
大きな声とともにキレのいい敬礼。しかし、まるで変わった様子はない。
薄い唇も小さな肩も細い膝も、寒さにこらえている時のように震えている。生まれたての小鹿を見ているようだと青年は息を漏らした。
「えっと、吹雪ちゃん、だったっかな?」
「は、はい、吹雪です!」
「そ、そんなに身構えなくてもいいんじゃない?」
安心させようと吹雪という少女に話しかけたところで、早苗が獣耳の少女と争っていたことを思い出す。
(もしかしたら、また戦いになるのかもって心配してくれてるのかな?)
早苗に向き直ると、早苗は自身の考えを見透かしたように答えた。
「大丈夫です。ひとまず八雲さんの式神の八雲さんという方の仲介で、お互いに一度矛を収めましたから」
吹雪は一瞬だけほっとした表情を見せるも、やはりどこかぎこちない。
どうしたものかと考えるが、それどころでもない。当の青年すら、自身が置かれた状況を一分も把握していないのだから。
「それでも……」
「ん?」
「それでも何かあったときは、私が司令官をお守りします!」
「……う、うん」
勿論、吹雪のことも含めて、である。
なぜ突然現れたのか、なぜ自身を司令官と呼ぶのか、考えるだけでも、謎は深まるばかりであった。真面目なのだろうということは、ひしひしと伝わって来るのだが。
「素っ気ないですね」
「ほっといてよ」
「本当に心配してる訳じゃなくて、他人に興味なんてないから、当たり障りのないことしか話せないんですよね?」
「6年も経てば、考えも変わってくるよ」
「その割に、吹雪ちゃんに対する話し方、昔の私に向けてのものにそっくりですよ」
早苗の言葉に、青年は少しだけ唇を尖らせる。その様子を見て早苗がわずかに微笑んだのを見て、吹雪も理解しているのかいないのか口角を上げて首をかしげた。
話しながらも、三人はひとつの部屋の前に到着する。
「さあ、この部屋に八雲さんがいます。こちらは私と神の二柱、それからカミツレさん、吹雪ちゃんのお二人です」
「改めて、色々と説明もしてもらえるんだよね?」
「それはもちろん、お任せ下さい」
そう言いつつ障子に手をかけたところで、早苗はもう一度振り向き、青年に対して口を開く。
「先に、カミツレさんに言っておかなければならないことがありました」
「…………僕も、その言葉を一応聞いておきたかったかな」
「私たちの都合に巻き込んでしまって、本当にごめんなさい」
畳が微かに香る部屋の中、7人は座る。
上座に神奈子と諏訪子、その横に早苗。対面するように座るのは八雲紫と、少し間隔を空けて青年と吹雪。
重苦しい、場が揺らいでいるかのような雰囲気の中で、最初に口を開いたのは八雲紫であった。
「外の世界で信仰が得られなくなりそうだったから、この幻想郷に来た。これについて何か間違いはあるかしら?」
これを受けて、神奈子が怖じけることなく、空気を締めつけるかのような低い声音で返す。
「我らにおいて、その言に偽りはない」
それに続いて諏訪子もまた、冷たい視線を浮かべたまま静かに答えた。
「私は聞いてなかったけどね」
「ちゃんと話したじゃないか! お前がテレビ見てたんだろ!」
空気は一瞬にして和やかなものとなる。
「守矢神社さんの話をまとめると、幻想郷に来たのはあくまで信仰を得て生きるためであり、幻想郷を支配しようとする意図はない、と?」
「それで構わない。全ての者から信仰を得られるならそれはそれで構わないが、私もそうは思っていないからな」
「布教を認めるなら特に争うつもりはない、と。でも――」
「布教すら拒むなら、私たちにも手段がある。……まあ、いたずらな敵意はないと思ってくれ」
紫と神奈子が視線を交差させて火花を散らしている。
青年からすればさっぱりわからない。専門用語のようなものが交わされ、意味のわからない言葉にうーむとお互いに考え込む。
一体、一般人にどう理解しろというのだろう。
「幻想郷は全てを受け入れる場所よ。海の化物みたいに、いきなり攻撃してくるような荒くれ者は勘弁してほしいけれど」
「……感謝する」
だから、青年が理解したのはここまで。
ここは『守矢神社』という神社であり、八坂神奈子と洩矢諏訪子が祀られており、東風谷早苗が巫女を務める。
外の世界において人が神を信じなくなってきたために存在することが危ぶまれるため、この幻想郷という世界に遷宮して、この地で信仰を得ることにしたのだという。
「ただし、今神社があるここは妖怪の山。ここに神社を置いていいかどうかは、山の者たちと交渉することね」
「心得ているさ」
どうやら話がまとまったらしく、二人の間で柔らかくも不敵な笑みが交わされる。その心の内は、青年の知るところではないが。
「さて、では次は彼についていいかしら」
「……ひゃい? あ、えと、僕ですか?」
自身に話を向けられるとは思っていなかった青年。
油断した時に紫に話しかけられたために、加えて紫と神奈子の見目麗しさに見とれていた部分もあり、青年はなんとも間抜けな返事をしてしまう。
「……ゴホン、失礼しました」
「とって食うわけじゃないんだから、普通に話してちょうだい」
気恥ずかしさを覚える。神奈子と早苗はわずかばかり口元を歪ませ、諏訪子に至っては既に座るでもなく寝転がって腹を抱えていた。
ただし、吹雪だけは未だに正座したまま、緊張した面持ちで警戒しているが。
「あなたと、そちらの彼女に聞きたいことがあるのだけれど、いいかしら?」
「……僕に答えられることであれば。吹雪ちゃんは?」
「はい、大丈夫です!」
「そう、わかったわ」
紫は一瞬だけ青年に対して目つきを鋭くするが、すぐに優しい瞳へと変わる。
「なら、まずはあなたのお名前から聞きましょうか」
「僕は……茅野守連カヤノカミツレです」
「そちらの子は?」
「ふ、吹雪です!」
「茅野吹雪さん?」
「いえ、吹雪です!」
その質問に対して吹雪は恥ずかしそうに手を横に振った。青年としても、なんとも申し訳ない気持ちになり心の中でため息をつく。
その一瞬だけ、再び紫が青年をじっと見つめたが、青年がそれに気づくことはなかった。
「では、あなたたちはどうしてここにいるのかしら?」
「僕は、この守矢神社が幻想郷……でしたっけ? ここに遷宮? する時に一緒に巻き込まれました」
と、言ったところで、神奈子と早苗が非常に申し訳なさそうな顔になる。
「それについては、うちの早苗が本当にすまなかった」
「カミツレさん、本当にごめんなさい」
「……いえ」
実のところ、これについては青年も答えを出していない。
というよりは、出せないのが現状である。状況を把握しきれておらず、数々の非現実に対する脳の処理が追いついていない。
何より、幻想郷に迷い込んだということを、まず理解していないのだから。
「ふうん、それで、カミツレさん。あなたは外の世界に戻りたいのかしら?」
「…………」
「あら、答えは?」
「戻ることは……できるんですか?」
「私なら送ってあげられるわ」
「…………」
「何か、考えることがあるみたいね」
スッと、一歩引いた紫。だが、この態度を青年は知っている。紫という人物、どうやら自分の内面を見極めたいのだろう。
誰とも目を合わせずに、青年は一人黙り込む。
それを見た紫は、ふーんと小さく頷いてから吹雪へと視線を移した。
「じゃあ、次はあなたよ、吹雪さん」
「は、はい!」
「あなたはどこから来たの? 私の覚えている限りでは、いきなりカミツレさんの目の前に現れたようだけど」
覗くような紫の視線を受けて、吹雪はやはり緊張した表情を更に固くさせる。
そこから出てくる言葉もやはり緊張気味なのかと青年は考えていたが、予想外の話を聞くことになる。
「私は……特Ⅰ型駆逐艦のネームシップ、吹雪です」
との言葉に、神奈子以外の全員が訝しんだ。
「私には……砲撃音、火薬と硝煙と油の匂いが染み付いています。波間をかき分けて進んで、戦いに身を投じて。それから……」
「……それから?」
「水の中に沈む身体と、静かな……海」
一体その言葉が何を示しているのかなど、青年にはわかりようもない。
駆逐艦が何か、ぐらいはわかる。軍艦だ。旧軍においては正確には軍艦ではなかったらしいが、今の世の中の海軍は多くを駆逐艦が占めていた。
どんな回答を想像していたのかはわからないが、紫の驚いた表情を見る限りではこれは予想外であったらしい。
「寒くて、震えて、でも戦って、そんな中で私は大きな音とともに痛みを覚えて、そして動けなくなりました」
「……それだけ?」
「気づいたらこの身体で、司令官……カミツレさんの指示に従うよう、頭が覚えていたんです」
「それは……誰かに命令されて?」
「違います。でも私にとって! あの時あの場で突然目が覚めたのは、間違いなく――」
司令官を助けたかったからなんです! と。
紫は考え込むように顎に手を添える。神奈子は先程からあまり反応がないが、吹雪という存在にある程度の目星をつけているのだろうか。
青年としては、ますます頭を悩ませる種が増えてしまったが。
「あ、あのさ、吹雪ちゃん」
「はい司令官、なんでしょうか!」
そうして青年に振り向く少女、吹雪。その目には一点の曇りもなく、ただただ真面目に青年の言葉を一字一句逃すまいとでもするような意思が伺えた。
「どうして、僕のことを司令官って呼ぶの?」
「それは、私の所有者だからです」
「は?」
危ない発言に、部屋中からの視線が刺さる。
しかし、青年にはもちろんそんな趣味はない。
「えっとね、僕は君に会うのは今日が初めてだし、君に何かした覚えももちろんないよ?」
「はい、私も司令官に会うのは今日が初めてです!」
「あ、あの、誰かに何か教えられた? もしかして孤児院からついてきたの?」
「いえ、違いますよ?」
「……司令官って呼んでるけど、その理由は?」
「私を従わせる立場にあるからです! さあ、ご命令を!」
再び、青年に対して冷たい視線が突き刺さる。心なしか、早苗からの視線が特に強い。
「さて、放っておいても面白そうだけど、ここは一つ私の話を聞いてもらえるかい?」
やれやれとでも言うように、最初に口を開いたのは神奈子であった。
吹雪をじっくり観察するように全身を見てから、神奈子は話す。
「この子、存在としては幽霊になるね」
「……は?」
「あら、やっぱりそうなの?」
口を空けて呆然とする青年。に対して、紫は納得したとでも言うかのように眉を下げる。
初めて幽霊を見た! などと青年は言うつもりはない。超常現象を認識してしまうという好ましくない体質上、これまで幽霊など山のように見ている。
しかし、吹雪のような例は初めてであった。実体がはっきりとあって、物にもしっかり触れて、あげく会話が可能な幽霊。
これまで体験してきたものとは、明らかに一線を画している。
「自分の知識にはなりますが……幽霊にしては、かなり存在がハッキリとしているようですが」
「まあ、ほとんどの幽霊が弱々しいのは間違いない」
「じゃあ、なんで……?」
「この吹雪って子は、この子個人の意思の幽体ってわけじゃなくて、沢山の人の意思が宿って一つの存在を形成しているから、強力な実体としてはっきり見えるのさ」
今一度、吹雪を見る。可愛らしく微笑むので青年も頬が緩んだが、いかんいかんと首を振って神奈子の方へと向き直った。
「付喪神という可能性もあるのでは?」
「付喪神は肉体には憑依しない。あくまで彼女自身は多くの思念の集合体、それが形を成したものってことだ」
「……ほほう」
(全然わかんない)
神奈子による説明を聞いた青年。自分自身理解できているのかどうか怪しいがとりあえず相槌を打っておく。
「私って幽霊だったんですね! 初めて知りました!」
「その反応もどうなのさ……」
自身のことであるというのに、吹雪は目を輝かせて話を聞いていた。
「もう一つ付け加えるよ。吹雪が持っている装備、今は本殿の方で保管してるけど、その装備の方には可愛らしい小さな付喪神が憑依していた」
「……あながち予想も間違っていないんですか」
話をまとめれば、神である神奈子の観察眼が間違っていないものであるとすれば、吹雪自身は思念の集合体で構成される魂。
そして、吹雪の扱うあの装備は付喪神ということになる。
「そしてこれが最後の情報。比較的新しい闘争のニオイがする。ああ、人間の基準ではじゃなくて、数千年数万年数十万年と生きる神の基準でね」
「え? 神奈子さん今何歳なん――」
「あぁん?」
「え、えっと……第二次世界大戦でしょうか?」
「吹雪の中にある思念はおよそ数百。当時でその数の人員を動員して動かす、加えて海の上で動くものといえば?」
「なるほど、それで軍艦……。艦魂とでも言うんでしょうか?」
「そんなところじゃないか? こんなナリだ。“艦娘”とでも呼ぶ事にしよう」
青年にとって、体に電流が走ったかのような衝撃。
こんな少女がフネの魂、それどころか第二次世界大戦当時の軍艦の魂であるなど、少なくともにわかには信じ難い事実である。
吹雪の表情はパッと見は笑顔である。が、心境は複雑であるのか、嬉しそうな顔もすれば悲しそうな顔もする。それを見ている限りでは、ただの一人の女の子のようにしか感じられない。
「というより、なんで女の子なんでしょう? 軍艦って女性禁止って聞いたことありますよ。特に昔は」
「それは知らないけど、船の代名詞は昔から『彼女』が使われてたから、その関係じゃないか? 私も山奥にいたから、艦魂なんて見るの初めてだし」
それならばまだ吹雪が少女の形を成していることにも頷ける、と青年は納得した。
しかし、やはりまだどこか信じられない部分はある。
「カミツレ君だっけ、一ついい?」
「はい、えっと、諏訪子様?」
「諏訪子でいいよ。様なんて堅苦しいのは早苗だけで十分だから」
「私堅苦しいですか!?」
「えっと、じゃあ諏訪子さん?」
「よろしい」
それまで寝転がりながら黙って話を聞いていた諏訪子が、突然青年に対して話かける。
見た目少女であるこの神様をどう呼んでいいかは青年も迷った。さすがにちゃん付けは叱られそうである。
「君のさ、ポケットに入ってるソレ。何? ずっと気になってたんだけど」
「ポケット? ……ああ、これですか」
取り出したのは、参拝道で拾った一枚の写真。先ほど水に浸かったために青年は一度着替えたのだが、不思議と写真は濡れていなかった。
古ぼけた写真であることには変わりないのだが、自分はまたもや不思議なものに遭遇してしまったのだろうか。
「守矢神社に行く途中で拾ったんですよ。参拝客の落し物かと思って、神社に置いておこうかと……もしかして」
「まあ、君の想像通りだと思ってもらってもいいんだけど、少し待って」
すると諏訪子は、青年ではなく悩んでいる様子の早苗に対して帽子を向ける。
「ねーさなえー。カミツレ君にさ、能力使ったでしょ?」
「……イイエ、別ニソンナコト」
「嘘ついてるのはすぐわかるからね。早苗嘘つくと額に蛙の模様が浮き出るようにしてるから」
「え、嘘、いつの間に!」
すると、早苗は咄嗟に手で額を覆う。それを見て、諏訪子はニッと笑いをこぼした。
「嘘だよ。だけど、マヌケは見つかったみたいだね」
「は、謀りましたね!」
イタズラが成功した時の子供のように、諏訪子は早苗を指差して笑う。そんな諏訪子に、早苗は頬を膨らませて上目遣いに訴えていた、
「諏訪子様ひどいです!」
「言いつけを守らなかったのは早苗だよ? いつ使ったの?」
「えっと、幻想郷に来て空を飛んで、白狼天狗と戦闘してカミツレさんを逃がそうと思ったときに、カミツレさんを叩いて発動させました……。そりゃあ確かに能力は使いましたけど、カミツレさんだから仕方なく……」
「奇跡を起こす力だ。何が起きても不思議じゃないんだよ? ……まー、話には聞いていた彼だから、早苗の気持ちはわかるようんうん」
諏訪子の最後の一言に、早苗が冷や汗ダラダラに慌てる。
神奈子はニヤニヤとした表情で早苗を見ていたが、青年と吹雪は首をかしげるばかりである。
「さて、問題が解けたよ。実はね、その写真は守矢神社、というより神社のあった土地と少なからぬ由縁のある軍艦なんだよ」
「守矢神社と……? 少なくとも外の世界? の守矢神社は山奥にあったはずでしたが」
「名前には力が宿る。場所は関係ないんだよ。しかも、その写真からわずかながらに何か不思議な力を感じる」
青年の持つ写真をまじまじと見て、諏訪子は続ける。
「簡単に説明するとね。うちの土地と縁のあるその艦の写真を君が持っていて、そこにうちの早苗が『奇跡を起こす程度の能力』を使用した。まあ、出てきた艦娘はうちとは関係ないみたいだけど」
「……は、はあ」
続けるよ、と言って諏訪子は口を開く。
「で、カミツレ君に何らかの奇跡が起きて、吹雪ちゃんが現れる事態になった、と」
「……その筋書きにどのぐらい信憑性があります?」
「そりゃもう、神様のお墨付きだよ」
「それは……頼もしいですね」
「でしょ?」
なんだその曖昧なシナリオは、と苦笑せざるをえない。神話でさえ、もっと起承転結はっきりしているだろうに。
そんな中、吹雪が青年に対して興奮した様子で話す。
「司令官、駆逐艦って何をするかご存知ですか?」
「え、い、いや……?」
「小さい艦ですが、速さを活かして護衛や攪乱をするんですよ!」
鼻息荒く、目を輝かせて語る吹雪。しかし、そうは言われても軍事に疎い青年にとって、駆逐艦と言われてもピンと来るものではない。
が、吹雪はなおも青年に迫る。
「ですから私、司令官をお守りしますね!」
「……どうして僕にこだわるの?」
「司令官だからですよ!」
「もう少し詳しくお願いできるかな? どうして僕が……司令官なの?」
「それは……わかりません!」
ニッコリと応える吹雪。そんな笑顔でキッパリと返されても困るのだが、と青年は頬を引きつらせるも、必死に頭を回転させた。
会話が噛み合っているようでやはりどこも噛み合っていない。まるで刷り込みでもされているかのようである。
ただ――
「だから絶対、司令官と一緒に戦います!」
この言葉だけは。自身を守りたいという少女の気持ちだけは、動機はわからないものの理解はできる。
とりあえず今はそれだけわかればいいか、と青年は渋々頷いた。
「司令官、私は司令官をまも――」
と、吹雪が青年の手を取る。
突然手が触れ合ったことに慌てる青年。しかし、その手が重なった瞬間――
吹雪は、目の前から消えていた。 早速感想等頂けて嬉しい限りです!
005 艦娘の出撃
(えっ……?)
動揺さえも自覚せず、青年は瞬きを繰り返した。
吹雪が消えた代わりに、手元には一枚の――カードのようなもの。
そして――
(なんだ……これ)
頭の中に流れ込んでくる膨大な情報。戦いの映像が螺旋を描いて、フラッシュバックするかのごとく脳裏に焼き付いた。
特型駆逐艦、第四艦隊事件、太平洋戦争、第十一駆逐隊、鼠輸送、サボ島沖海戦、アイアンボトムサウンド……。
響く轟音、宵闇の海、冷たい水、遠くなる光……。
これが吹雪の戦争なのか、と理解する。この記憶は吹雪の記憶、そして戦争の記憶だろう、と。
世界最先端の駆逐艦として生まれ、開発当初は駆逐艦としては異常な性能を誇る。
開戦時には既に旧式であったものの、同型艦の活躍も目覚しく……。
「カミツレさん、何が起きたんですか!?」
「……あ、え……さなちゃん?」
「しっかりしてください! 今何をしたんですか!」
「あ、れ、吹雪ちゃん……吹雪、は?」
頭の中に溢れる情報に埋もれながらも、青年は早苗の声にふと我にかえる。
「今、何が起きたの?」
「カミツレさんに触った吹雪ちゃんが、突然そのカードに変わったんです」
未だに続く情報の流入。それに意識を傾けながら、早苗の声を聞く。
もう一度、手元のカードを見た。左上に『駆逐』、左下には『吹雪』と書かれ、中央に吹雪が写っているカード。
早苗も事態に慌てているのか、神奈子にその焦った表情を向ける。
「神奈子様、これは……」
「ああ。さっき諏訪子も言っていたが、どうやらカミツレには早苗の奇跡が起きたとみて間違いないだろうね」
「奇跡……?」
「『能力』に目覚めたんだろうさ」
能力。一般的には個人個人の技能や習熟度を指すことが多いが、おそらく神奈子の言う能力とは、漫画のような特殊な能力。
無論、青年も自身が幽霊をよく見る体質であることは十分に理解している。
それを能力と呼ぶのであればそれは構わないが、これ以上面倒事を増やすことは青年にとって望むことではない。
「能力……ですか」
「断定はできない。おそらく、吹雪に関わるものだろうけど」
そんなことが聞きたいのではない、と青年は心の中で一人ぼやく。
厄介事などもう沢山であった。いかに吹雪という少女が真っ直ぐであろうと、戦争に関わる記憶から生み出された魂である。
ようやく孤児院から解放されて、第二の人生を見据えていたというのに、再び面倒なことを抱えることなど青年には御免であった。
だから、先程の紫の言葉が突き刺さる。
『あなたは外の世界に戻りたいのかしら?』
わからない。
正直であればいいのなら、戻る必要はある。仕事も休みを取っているだけであり、孤児院から帰れば再び仕事に赴かねばならない。
やっと見つけた、孤児院以外の安息の地。例え同僚や他の従業員から不気味に思われようと、仕事となれば割り切る者も多い。かつての孤児院に比べれば、明らかに過ごしやすい環境であったのだ。
これといった趣味もなく、浪費グセもなかったために高給は望んでいない。かといって、愛着があるかと言われれば、こと人間関係においてはそんなものはない。その愛着だけで言うのであれば、生まれ育った街の方が上かも知れない。
加えて、外の世界にはまだ、やり残したこともある。
(あんな院長でも……約束したから)
孤児院への最後の仕送り。これを済まさねば、青年は孤児院に永遠に囚われることになる。
不器用なことは青年自身理解している。幻想郷というこの世界に留まるならば支払う必要がないことも知っている。
それでも、青年の中の理性とでもいうべき形容しがたい何かがそれを拒むのだ。
幻想郷に留まるとしても、右も左もわからない。この世界でどのように生きていくべきか、またどのように人と接していくべきかなどまるで想像もつかない。
加えて、謎の能力ときている。このまま留まるのであれば、その能力とやらに付き合っていかねばならないことは間違いないだろう。
外の世界に戻る必要はある。だが、残っても良い。
外の世界に戻る必要はない。しかし、とどまる必要もない。
不器用で優柔不断で、そんな自分が情けなくて、腹立たしくて――嫌いだ。
考え込んでいた青年に対し、紫は思い出したかのように胸元から何かを取り出す。
「そういえば、私もそれと似たものを持っているわ。あの海の化物を10体ほど倒したのだけれど、その時に海に浮かんでいたわね」
そう言われ、青年が渡されたのは4枚のカード。それぞれ駆逐と書かれており、叢雲、漣、電、五月雨と表記されている。今の吹雪と同じような状態なのだろう。
そして、触れたときは吹雪と同様、各少女の記憶とも言うべき情報が青年の頭の中に流れ込んでくるのだ。
いずれも、最後は冷たい水と暗い空間に沈んでいくものであったのだが。
「そのカード、幻想郷で扱っている“スペルカード”に少し似ているのよ」
耳慣れない言葉である。青年は眉をひそめた。
「カミツレさん。貴方の目の前で、私が光の球を沢山操っていたのは見ていたわよね?」
「え、ええ。それはもちろんです」
「それで、その光の球、それに限らずあらゆるものを並べ、閉じ込めたものがこのカードになるの」
そういって、紫が更に胸元から取り出したのは真っ白なカード。
しかし青年にはどこか不思議な感覚を覚える。幽霊が見えるという体質がそれを感じさせるのか、確かに吹雪たちのカードに似た雰囲気は感じられる。
「まずカードに閉じ込めるという発想がよくわからないんですが」
「あら、幻想郷で常識に囚われてはいけないわ」
「……ではその通りだとして、このカードにはやはりこの子たちが封じられているという認識でいいんですね?」
「ええ、その通りよ」
(うーん、虐待かな?)
いかに思念の集合体とはいえ、5人とも少女の形をとっている。封じられているという話が本当ならば、あまり青年もいい気分にはなれない。
青年にとってこの少女たちをどう見るか。厄介事の塊とか、ただの少女なのか。その答えも、簡単には出せないだろう。
「スペルカードというのは、カードそのものには力はないわ。でも、概念的な武器というか、象徴ではあるわね」
「象徴?」
「人それぞれ違うけれど、共通点がある。カードによる力は、その人自身の力が具現化したものであるということ」
「僕はこの子達と何のつながりもないんですが。というよりこの子達が僕の力って、おかしくはないですか?」
「そこはほら、さっき話していたじゃない。吹雪さんに触れてスペルカードのような状態になったとすれば、それが貴方の能力ということではないの?」
紫は青年の瞳を見つめ、一度目を伏せる。そこから口を開き、語りだす。
「幻想郷というのは、この守矢神社のように外の世界で忘れ去られたものが流れ着いてくる世界。その子達もおそらく、外の世界で忘れ去られたのではないかしら」
「……確かに、僕のいた世界に、旧軍について本当によく理解している人はおそらく相当少ないでしょう。それこそ、一般人の中では忘れ去られたといっても過言ではないかもしれません。僕なんて授業で習った以外は全く知りませんし」
「そう、忘れ去られた魂が流れ着く。それとね、幻想郷には、今まで海なんてなかったのよ。海が突然現れたのも、守矢神社が来るほんの少し前」
「……あれだけ綺麗な海、というのは外の世界では珍しいです。美しい海も忘れ去られ、幻想郷に流れ着いたというんですか?」
だとすれば、あまりにも寂しいではないか。結果や形、風評はどうあれ、彼女たちが守ろうとしたものの一つが、外の世界から失われてしまっていたなど。
「そうかもしれないわね。私も幻想郷に海があればいいとは思っていたけれど、こんな形で来るなんて予想外だったわ」
「こんな形、というのはあの怪物のこと……まさかあれも……!」
「海と一緒に流れ着いたのでしょうね。そしておそらく、そのカードの子達も」
だんだんと何かがつながっていく気がした。
美しい海、現れる怪物、自分を慕う少女。カードに触れた瞬間に流れ込んでくる艦の記憶、そして、拾い物の航空母艦の写真。
「さっき吹雪ちゃんに触れた時、僕の中に何か記憶のようなものが流れ込んできたんです。他のカードの子も……」
守矢神社の存在していた土地に縁のある名前の、不思議な力が宿っている航空母艦の写真。それを持っていた青年に対して早苗が奇跡の能力を発動した結果、青年に何らかの能力が目覚めた。
少女の形をした軍艦の魂が現れ、それは青年を司令官と呼ぶ。つまり、ここから考えられることは――
「軍艦の……記憶? を読み取る能力があるとでも言いたいんですか?」
「指揮命令系統があるのでしょう? なら、ひとまずは……そうね。『艦娘を指揮する程度の能力』とでも言いましょうか」
誰がそんなものを欲しいと願ったのだ。なんて、僅かにでも思った自身に渋い表情を浮かべる。あの時吹雪が現れなければ、今頃自身は生きていなかっただろう。
いっそ、あの時死んでいた方が、全ての煩わしさから解放されていたかもしれない。死にたがりではないが、無理に生きたいと思うほど己に期待してもいない。
たとえ。
たとえ早苗に再会した今でも、だ。
突如として、紫が天井を向く。いや、天井ではなくただ上を見上げただけ、とでも言うべきだろうか。その眼差しには冷徹さも含まれている。
「藍から悪い知らせよ、どうやらまた来たようね。丁度いいからカミツレさん、その子達が本当に軍艦の魂であるか、確認してみないかしら?」
「また怪物……。あの子達を戦わせる、と?」
「軍艦は戦ってこその存在でしょう? 戦わなくて済むならそれはいいのだけれど、そうもいかないのが今の幻想郷なのよ。特に海の方面はね」
「軍艦かもしれないですけど、カードを見る限りは女の子です」
「私もオンナノコなんだけど?」
「……ああ、はいそーですね」
色っぽく、唇に指を当ててウインクする紫。仕草こそ大変素敵であるが、怪物を圧倒していたことを忘れてはならない。
「でも空を飛ぶなんて反則じゃ……」
「飛べるのは海岸線までよ。しかも敵は、口の中から金属の塊みたいなのを飛ばしてくるわ」
「危ないですね。尚更」
「とりあえず吹雪さんを呼んでもらえる?」
吹雪のカードを手に持つ。が、呼ぶとは一体どうすればいいのだろうか。紫を含め期待のこもった瞳を注がれるのはまだいいのだが、せめて使い方ぐらい教えてくれてもいいだろうに。
なんてことを考えながら、吹雪の姿を思い浮かべると――
「お疲れ様です、司令官」
突然輝きだしたカードに驚き、青年は手を離してしまう。
しかし次の瞬間には、目の前に吹雪が立っていたのである。
「し、司令……官?」
返事をしない青年を心配したのか、吹雪が顔を覗き込むように見つめる。
青年はカードがどういったものかようやく理解し、吹雪の声に気づいた。
「あ、ああ、えっと吹雪……ちゃん。さっきの怪物は覚えてる?」
「はい! あのぐらいなら何度でも戦えます!」
したり顔の紫を尻目に、違う質問を青年は行う。
「あの装備があれば、海の上を立ったまま進めるんだよね?」
「はい、私は軍艦ですから!」
「腕に付けてたあれは……大砲?」
「もちろんですよ!」
「怪物から金属の塊? が飛んでくるみたいだけど……」
「私たちには装甲があるから大丈夫です!」
聞き捨てならないことを聞いた気がする、と青年は冷や汗を垂らす。
「えっと、どういうことかな?」
「背中に背負っていた艤装です。あれは靴のスクリューを動かすのとは別に、様々な衝撃を緩和する機能が付いているんです。これが装甲ですよ! ……私のは薄いですけど」
詳しい話を聞く限りでは、背中に背負っている軍艦としての装備、艤装を装備することで、主砲・魚雷・機関・装甲といった各機能を稼働させることが可能となるらしい。
その装甲というのはいわゆる『バリア』に近く、吹雪の場合は完全に弾き返すことはなかなか難しいが、それでも大抵の衝撃を緩和することはできるとのことである。
声も上げられない青年。
神奈子や諏訪子、紫は吹雪の説明を理解したようだが、青年はこの中ではあくまで一般人。わからないことの方が圧倒的に多い。
「ねえ、カミツレさん? 驚いているのはわかるけれど、とりあえず化物が現れた場所へ向かってみないかしら?」
「……そうですね」
実際に見た方が早いだろうと思い、青年は頷く。自身の目で見るのならば、まだ信じられるだろう。
女性は想像していたよりずっと強いんだなあと、呑気ながら改めて青年は気づくことになったのであった。
抜けるような青空に、心地の良い波の音が響くサラサラとした砂浜。
空も海も、それぞれ同じ青でありながら異なる青。水平線で変化する景色は、青年が最も好むものであった。
触れる潮風がなんとも心地よく、この砂浜に倒れ伏すことさえ厭わないだろう。
――遠目に彼の怪物さえ見えなければ。
「いるみたいですね」
「一体だけではないわよ。他にも数体見えるわ」
「……僕にはそこまで見えませんよ」
青年の目には黒いものが点々と海の上に浮かんでいるのが見えるだけである。
しっかりと視認できている早苗といい紫といい、原住民もびっくりの視力を持っているらしい。否、紫は幻想郷では原住民のオンナノコであった。
「じゃあ、今回は吹雪ちゃんたちに任せるということでいいんですね?」
「ええ。私も全て確信しているわけではないけどね。あと、彼女たちの働き次第で貴方の処遇も大きく変わるわ」
「……どうなっても知りませんよ」
海に来るまでの間に、話はつけられていた。
紫の観察眼によると、吹雪たち艦魂が怪物に対する非常に有効な戦力になるのではないかという結論が出ているらしい。早計ではないかとも思うが、吹雪が怪物を倒した姿は、他ならぬ青年が一番間近で見ているのだ。可能性としては十分に考えられる。
「一つ、聞きたいことがあります」
「あら、何かしら?」
「幻想郷は全てを受け入れる場所と言いましたよね? 神社の皆さんを受け入れたように、彼らは受け入れることはしないのですか?」
「いい質問ね。そう、私も最初は対話を試みようとしたわよ?」
「……で、攻撃されたと?」
「話が通じないというより、話ができないといいましょうか。彼らは言語を使用できないみたいなのよ」
「それで問答無用で鉄の塊を飛ばして、海の中に引きずり込んでくるんですか。まあ、確かにそれは危ないですね」
「でしょう? 私みたいな“か弱い乙女”が怪我したら大変なのよ」
「……ああ、はいそーですね」
「“か弱い乙女”を守るために頑張って頂戴。“か弱い乙女”のために」
妖艶に微笑む紫に、青年は苦笑しながら目を逸らす。
神社の中で話をしていた時から、青年はこの紫という人物を苦手としていた。
果てしない美貌、彫像の如き整った顔立ち。それは確かに認めているが、どこか心を見透かされているような、全ての行動が監視されているような気がして油断できないのだ。
「今のところは幻想郷にとっての敵ね。海岸線も長くて監視しきれないからどこも危険だし、目的が不明で暴力的な方に土を踏ませるわけには行かないわ」
「幻想郷がどんなところかは知りませんが、ひとまずそのように理解しておきます」
「幻想郷の住民任せでもいいでしょうけど、彼らを上陸させたら嫌な予感がするのよ。これは私の独断だから、責任は全て私に被せなさいね」
「まるで幻想郷の管理人のようですね」
「それは勿論よ。伊達に長くは生きていないわ」
「……じゃあ、長生きな“か弱い乙女”の八雲さんが言うとおりにすればいいんです……よね?」
「カミツレさんも中々酷いわねぇ」
頬をぷくぅっと膨らませる紫を尻目に、青年は海に浮かぶ怪物に目を向ける。
青年の外の世界での仕事は、自然好きが高じた『海洋調査員』。その中でも実際に海中での作業を行うための潜水士の資格を有している。
もちろん、視界に入っている怪物は今までに見たことなどない。図鑑や資料などでもさっぱりである。
しかし、あえて彼らの姿形を今の知識で表現するならば。
(深海魚みたいだ。グロテスクで不格好で、だけど深海魚より気味が悪い)
青年が海洋調査員として働いていたのは3年間。
その間に得られる知識には当然限りがあるが、深海魚については潜っても一緒に泳げないのが悔しいという理由から一定の知識があった。
ただ、深海魚は水面に浮かんでも活発に動くことはできないし、水圧の差でその体に支障をきたす。そのため深海魚ではないだろう。
そして、紫や吹雪が倒した個体から流れ出していた体液――海水。
物体としての確かな質量を有していたにも関わらず、海に沈んだあとは海水に溶けていく場面を青年は見ていた。
深海魚のような怪物には実体があるようでない。これではまるで――
(……断言はできないし、考えても仕方ないか)
早苗も神奈子も諏訪子も、とりあえず紫の意見を聞くことにしたようである。
が、神があまり神社から出るものではないと考えているのか、海についてきたのは早苗一人であった。
早苗と紫が背後で見ている中、青年は砂浜のギリギリまで近寄り、5枚のカードを手に持ち、呼吸を整えて目を瞑る。
彼女たちの記憶が、魂が、青年の心に流れ込む。
知らないはずなのに知っている。経験などありはしないのに、青年はその景色を知っている。
「なんだ……これ」
導符『初期艦』
――駆逐艦『吹雪』『叢雲』『漣』『電』『五月雨』
重ねた5枚のカードが輝き、青年は一瞬だけ視界を奪われる。
やっと見えるようになったかと思い、瞬きを繰り返しながら青年は周囲を確認する。そしてそこに――海の上に彼女たちは立っていた。
「みんな、準備はいい?」
「あんたが司令官ね。ま、精々頑張りなさい!」
「綾波型駆逐艦『漣』です、ご主人様。こう書いてさざなみと読みます」
「電です。どうか、よろしくお願いいたします」
「五月雨っていいます! よろしくお願いします」
腕に主砲、足に特殊な靴と魚雷発射管、背中には煙突のようなものが生えたエンジンと思しき機械。そして、やる気満々の自信に溢れる表情。
「吹雪ちゃん、本当にいいんだね?」
「はい、私たちならあれを倒せます!」
「……怪我はしないように」
「任せてください!」
あの怪物が何者なのか、誰にも何もわからない。
現時点で幻想郷に害あって利を成さないものということであり、敵対の意思があるため反撃しないわけにもいかない。
そして、都合よく現れた青年と、青年を守るように現れた軍艦の魂。
これは果たして偶然だろうか、と紫は考えているらしい。
青年は別に戦いたいわけでも、幻想郷を守りたいわけでもない。かと言って、右も左もわからない状況で自分の意思を示すには、青年の心は弱すぎた。
外の世界に帰りたいか、それとも留まるかなど、まだ判断することはできない。
だから、今自分が最も望んでいることは何なのだろうか、ひとまずどうしたいのか、と自分自身に問いかけるのだ。
自分自身が今どこに在るのか、見失わないために。
(……それにしても、幻想郷の海ってホントに綺麗だ。外の世界の海とは比べ物にならないや)
「怪物のいない……青い景色見てみたいなぁ」
「えっ……?」
「あ、や、ご、ごめん……独り言」
「……いえ。司令官のお気持ち、確かに受け取りました!」
「え?」
青年自身が心を整理するために発した一言。そこから吹雪がどう受け取ったのかはわからないが、吹雪は今までで一番の笑顔を見せていた。
「司令官の最初のご命令、絶対に果たします!」
「あ、いや、命令とかじゃなくて――」
言葉を言い終えないうちにも、吹雪は既に他の少女たちに声をかけ、全員海の上で一列に並んだ。
それぞれが青年に対して敬礼をして、吹雪を先頭に沖合へと隊列を維持したまま滑るように海の上を航りゆく。
「みんな、私についてきて――」
遠くで、吹雪の張り切った声が聞こえた気がした。その艦隊の出撃は、見る者全てを引きつけていたに違いない。
それほど。
惚れ惚れするほど――美しい航行であった。
「あの水平線に、勝利を刻みましょう!」
着任
特Ⅰ型駆逐艦五番艦『叢雲』
特Ⅱ型駆逐艦九番艦『漣』
特Ⅲ型駆逐艦四番艦『電』
白露型駆逐艦六番艦『五月雨』 006 然るべき結び
青い空の下、吹雪は駆けるように群青の海を割って進んでいく。
自らを旗艦とした、駆逐艦5隻による編成。吹雪の背後には、縦列で同様に移動する4人の少女の姿があった。
「吹雪、敵艦捕捉よ。2体の駆逐艦を確認したわ」
「ありがとう、叢雲ちゃん」
「ねえ、どう戦うの? 敵の火力も速力もわからないのに」
「数の上ではこちらが有利です。このまま陣形を維持しつつ、集中砲火で倒します!」
「わかったわ」
気の強そうな表情を浮かべる叢雲は唇を引き締め、その長い髪を潮風に揺らしながら頷く。
遠くに見える黒い怪物を睨みつけながら、吹雪は自身の上官であるカミツレとの会話を思い出していた。
『ですから私、司令官をお守りしますね!』
『えっと、どうして僕にこだわるの?』
砲火を交え、荒々しい波を越え、時には物資を運び、時には大型艦を護衛する。自身がどういった経歴を辿ったか、そんなものは理解している。
理解しているからこそ、吹雪は青年との距離を測りかねていた。
誤算だったのは、青年が自身の記憶を知ることが出来ること。
吹雪にとって、軍艦としての記憶は自身の生涯そのもの。しかし艦魂として時代を過ごす中で、自身らにどのような評価が下されたのかは知っている。
悔しかった。守りきれなかったことが。
嘆いた。国のためと戦いながらも、ただの犯罪者としての烙印を押されたことを。
無論、戦争の最中に望ましくない行動があったことは知っている。だが、守りたいという意思すら否定されたような気がして、吹雪は目を瞑って眠りについたのだ。
カミツレという青年に誤解を持たれたくはない。目覚めの形は自身が想像していたものとは大きくかけ離れていたが、この役目が変わることはない。
青年はおそらく、戦争について何も知らない。だから尚更、先入観からではなく正面から向き合って欲しいのだ。
人格を与えられ、まるで生まれ変わったような気分の今なら、自分がどういった艦であったかを伝えられると思うから。
吹雪が青年に従う理由。それは確かに、青年が持つ能力による部分もあるが、それは吹雪にとって昔も今も変わらない。
しかし、従う理由として。否、守りたいと思う理由としてはもう一つ。
青年が吹雪の記憶を知ることが出来るように、“吹雪もまた青年の記憶を知ることができる”のである。これは自身だけではなく、他の艦娘も同様。
その中身たるや、幽霊が見えるという理由による周囲からの白い目線、それをきっかけに始まる家庭内――孤児院内暴力、学校における他の生徒との遠い距離と、顔をしかめるものが多い。
戦時中ならばもっと悲惨な子供は沢山いた。しかし、時代を経て裕福になった世の中での出来事だ。少なくともいい顔はできない。何より、これもまた自身らが招いた未来の一つとして考えると、決して無視など出来るはずもなかった。
その中で一つだけ、優しい色をした記憶があった。それは、吹雪も会話したあの緑色の髪の少女、東風谷早苗との思い出。
子供時代に青年が唯一笑顔を見せた少女であり、神社で、山で、河で一緒に過ごす記憶は他の記憶とは明らかに一線を画していた。
中学を卒業後はアルバイトを始めた為に会わなくなり、その後は再び笑わなくなったようだが、少なくとも青年の記憶の中では最も輝いているもの。
そして今、青年はその少女との再会を果たした。
(司令官は……もっと自分の気持ちに素直になっていいよね)
そう、吹雪は守りたいのだ。
青年に対するあらゆる悪意から、敵対心から、攻撃から。上下関係など関係なく、吹雪という少女としての願い。
今の自分は軍属であって軍属ではない。この行動は、青年を守りたいが故に。折角この身体を手に入れたのだから、自分の手の届く距離にあるものを守って何が悪いのか。
交戦距離まで近づいた吹雪たちは主砲を構え、その目つきを一層鋭くして怪物を見た。旗艦としての吹雪の指示にも、より気合が入る。
「みんな、対水上戦闘用意、両舷全速! 目標2隻、方位30度! 主砲、撃ちー方――」
青年の記憶を知ることはできても、感情を知ることはできない。そして、吹雪自身も少女のような人格しか持ち合わせておらず、小難しいことを考え続けるのも苦手だ。
だから、軍艦の魂である自分に出来ることは戦うこと。青年を害するモノと戦い、守ること。
守りたいものを守るために今度こそは、と吹雪は息をつく。
「始め!」
遠目に見える少女たちの背を見ながら、青年は不安とも焦燥ともとれない自身の心に揺さぶられていた。
送り出したはいいものの、距離が遠いために何も見えない。今こそ目覚めよ我が能力、などと恥ずかしいことを思ったとしても、見える景色は変わるはずもなかった。なんて融通の効かない能力だろう。
スイスイと水上を駆っていくのをただ見ているだけの自身に腹が立ちそうになるも、どの道何もできないことを知っているために、やりきれない気持ちが青年を襲う。
砂浜で立っていると、後ろにいた紫と早苗が青年の隣に近づき、同様に少女たちのいる方角を見ていた。
「……二人は何か見えるんですか?」
紫は顎に手を当てて目を細めており、何かを呟いているが聞き取ることはできない。代わりに、早苗が青年に対して口を開く。
「見えますよ。吹雪ちゃんたち、かなり優勢ですね」
「誰かが怪我をしているとかは?」
「えっと、話していた通り、飛んできた鉄の塊――どうやら砲弾ですね。砲弾が体に当たるより前に、障壁のようなものがそれを弾いています」
「……ならよかった」
懸念していた一つの事項。少女たちが怪我をするのではないかという不安はひとまず解消された。
いくら幽霊だろうが軍艦だろうが、見た目少女の彼女たちが傷つくところなどは青年も見たくはない。
「ねえ、カミツレさん」
「ん、何?」
唐突に、早苗が青年に対して向き直る。改まってどうしたのかと青年も不思議に思うが、青年も海を気にしながら早苗に向き直る。
「今話すべきことではないかもしれませんが、さっき、吹雪ちゃんと話していた時に、“孤児院”と言っていましたよね。私、初めて聞きましたよ?」
「…………。ああ、うん……言ってなかった?」
「昔ですら聞いてません! ……それで?」
「……言う必要はあるかな?」
「私は知りたいです」
何を聞かれるかと思えば、と青年は身構えていたのだが、自身の失言についてであることに頬をかく。
青年は早苗に孤児院育ちであることを話していない。もちろんそこでの暮らしも。あくまで近所の子供の一人のように接していた。
何かを聞かれてもはぐらかし、誤魔化し、名前以外のことを教えなかった。早苗が信用できないとか、嫌いだからとか、そういう問題ではなくて。
もっと単純で、教えるのが恥ずかしく、恥であり、己の情けない部分を晒したくはなかったから。それは紛れもなく、友達に恥ずかしいところを見せたくないという気持ちがあったからこそのものなのだ。
早苗は目を逸らし、寂しげな表情で吹雪たちのいる方向を見た。
「カミツレさん……幻想郷に残らないつもりですね?」
「……どうしてそう思う?」
「カミツレさんってものぐさですからね。面倒事からは逃げようとしますし。……神社に来なかったのは、私のことが鬱陶しかったからなんですか?」
「……それは絶対に違うよ」
「なら……良かったです」
心底安堵した、といった風に早苗は口元を緩めた。何か憑き物が落ちたかのような穏やかな表情であるが、それもすぐに元の顔へと変わる。
「そっか。幻想郷に残っても、カミツレさんには暮らす手段がないですね」
「うん、そこはどうしようもないから、僕は戻るよ」
自身の中で、一応の区切りはつけておいた。それは、全ての出来事から目を逸らし、外の世界へ送ってもらうこと。
残るとしても衣食住を満たすことは現状見通しがつかない。そして、残るとなれば面倒事のオンパレード。
ならば外の世界に戻り、夢を見たということにして元の生活に戻ったほうがストレスにはならない。ただでさえ面倒事の多い人生だというのに、それを避けようとして何が悪いというのか。
嫌なものからは逃げればいい。それが何であれ、自身の精神を一時は落ち着かせるのだから。
早苗はもう一度自身に視線を合わせようとする。しかし青年は、早苗と交代するように吹雪たちの方を向いた。自身の目では、何も見えないというのに。
「建前じゃないんですか?」
「怒るよ?」
「じゃあ例えば、神奈子様と諏訪子様を私が説得して、守矢神社に住んでいいということになればどうですか? 住む場所と食べるものについては保証します」
「ただでお世話になるわけにはいかない。一人暮らしの方が気楽でいいし」
「家族のように過ごすのも楽しいですよ?」
「家族じゃないし、同意はできない」
「……もしかしてカミツレさん、孤児院暮らしが嫌だったんですか?」
「……どうしてそうなるの?」
「さしづめ、色々と見える体質のせいでそうなったと考えるべきなんでしょうね。周りから色々言われたんじゃないですか?」
的確な推測に、青年は声を出すことを忘れてしまった。口をパクパクと鯉のように開いて閉じて、無表情を装おうとしても頬が引きつる。
自身の心に早苗がズカズカと乗り込んでくるのはいいのだ。今も昔も、それが早苗であり、それが心地よかったのだから。だが、静かな憤りを覚えるのはなぜだろうか。
それはおそらく――自分には“何も”なかったから。
「失礼なこと聞いてるってわかってる?」
「反論しないんですね」
「何が分かるのさ」
「私もいろいろ言われてきた身ですから」
「…………っ」
更に、驚愕。あれだけ笑顔を振りまいていた早苗が、まさか自分と同じような目に遭っていたと、どうして信じられよう。しかし、青年が否定しようとする事実を裏付けるような事実はすぐ傍にある。
東風谷早苗は守矢神社の巫女である。巫女は一般に神に仕える人のことを指し、大昔では神と対話することができるなどと言われていた。
神と呼ばれる神奈子と諏訪子の為人を知り、そして早苗が巫女となれば、想像することは不可能ではない。
早苗もまた、色々と神妙不可思議な事象を認識することができるのだと。
「ただ、私には神奈子様と諏訪子様がいました。学校では色々と言われましたけど、お二人が傍にいてくれたから私は今こうしていられます」
「……そっか」
「カミツレさんに、そういう人はいませんでしたか?」
「……いなかったよ。強いて挙げるならさなちゃん“だった”」
「え!? えっと、それは、その、お気持ちは嬉しいですが」
支えてくれる人はいただろうか、と青年は自問自答する。孤児院で、学校で、自身を理解してくれる人はいただろうか、と思い返す。
社交辞令のように話しかけてくる人はいた。しかし、自身を非難するために近づいたのではないかと追い払ったのは他ならぬ自分自身。
高校に入学してからはそれまでより比較的人と話す機会は増えた。しかし、アルバイトに追われ、人との付き合いを諦めていたために距離を置き始めたのは他ならぬ自分自身。
だがもしも、若き日の青年がまた違う選択をしていたならば。諦めることなく人との付き合いを求めていたならば。
また違う人生が、送れていただろうか。
人との付き合いを求めていた、温かさを望んでいたことなど、神社で早苗と遊んでいたことを考えれば自明の理であるというのに。
「情けない人生送ってたんだなあ……」
「い、いきなりどうしたんですか?」
「いや、気にしないで。もしやり直せたなら、って考えてただけだから」
どれだけ考えても仕方のないことである。
人生の道筋は一つしかなく、仮にやり直したとしても、その時点の自分は同様の思考で同様の選択をするのだ。
孤児院の子供たちに罪はない。青年と同様に未熟であっただけなのだから。
院長にも罪はない。得体のしれない子供を正常に見ていられなかっただけなのだから。
同世代にもはない。日々の中での安寧を求めるが故に、異常性を排除しようとしただけなのだから。
なら、一体何が悪かったというのだろう。
彼らの醜い感情を呼び起こしたのは誰なのか。彼らの外側にいながら、彼らの中心にいたのは誰なのだろうか。放射状に伸びる影は、きっと一つにはなりえなかったはずなのに。
自分自身に憤りを覚えるが、あとに残るのは虚しさだけ。
だから、人生をやり直したとしても、何が変わることはない。同じ思いを抱き、同じ境遇を選択し、同じ時間を過ごす。
自分の人生に意味を求めるなど、そもそも間違いなのだから。
「あの、カミツレさん。やり直しはできませんし、私がカミツレさんの痛みを共有することはできません。同じように、カミツレさんにも私の苦しみはわからないと思います」
突如語りだす早苗に対し、青年はようやく早苗と瞳を交わし、訝しげな表情を浮かべる。
「私が幻想郷に来たのは、神奈子様や諏訪子様が信仰を得て生きられるようにするため。もちろんそれもありますが、それだけではありません」
「……それは?」
「私は私で、幻想郷に新しい人生を求めてやってきました」
「それ、建前じゃないの?」
「逃げるつもりはありません。私は私らしくあるために、ここで生きていきます」
強いな、と青年は目を伏せる。
少し不思議な少女だと思っていたが、それは最早思い出の中に消えた。この目の前にいる少女は、少なくとも自分より余程しっかりしている。
「ですからね、カミツレさん」
早苗が青年の手を包み込むように両手でとる。突然のことに青年も振り払おうとするが、早苗の真剣な眼差しにたじろぐ。
「あなたは――どうしますか?」
「……考えておくよ」
優しさを、そして慈愛を含んだその瞳から目を逸らし、青年は早苗の手を乱暴に振り解く。
早苗は少しだけ頬を膨らませていたが、青年の答えにとりあえず納得したようで目尻を下げていた。
「さて、そろそろいいかしら」
「わわわ、いたんですか八雲さん!」
「紫でいいわよ、守矢の巫女さん」
「てっきりいないものだとばかり思っていました」
「興味深い話が聞けたから、その失礼な物言いは許してあげる」
チラリと青年を見て紫は口角を上げ、早苗へと視線を戻す。
その一瞬の動作に、青年は恐怖に背筋を凍らせる。あれは何かを企んでいる人の目だ、と。
「あとで話はするけど、あれを見てちょうだい。どうやら増援みたいよ」
「え?」
青年は吹雪たちのいる方角へ目を向ける。すると、確かに先程より黒い点の数が増えているように見えた。
たまらず、青年は紫に尋ねる。
「ど、どうなっているんですか?」
「違う個体が現れたようね」
「ふ、吹雪ちゃん、吹雪たちは無事なんですか?」
「いくつかかすり傷のようなものがあるけれど、みんな無事みたいよ。ただ、敵の数が合わせて4体。多いわね」
紫の言葉に、青年は冷や汗を垂らす。今自分に何ができるのだろうか、と考えを張り巡らすばかり。
時刻は既に、夕暮れを迎えていた。
陣形が維持されているのを確認しながら、吹雪は指示を飛ばす。
「みんな、一旦距離をおくよ!」
「仕方ないわね」
叢雲が恨めしそうに怪物たちを睨みつけながら、吹雪のあとに続く。
吹雪たちは、当初発見された2体の怪物を倒すのには成功した。しかし、その後間を開けることなく新たに4体の怪物が現れたのである。
新たに現れた個体の中でも、一体だけ別の個体がいた。人のような上半身が這い出しているその背中に、タワーのように砲が積み重なる不気味な姿。
潮風を体全身に受け、水しぶきを上げながら針路を変更し、吹雪を先頭とした艦隊は怪物たちから距離を置く。
駆逐艦が誇るのは速度。凌波性に優れた特型が4人と、その二代後に設計された白露型が1人。どのような波であろうと、速度が落ちることはない。
「吹雪ちゃん、軽巡洋艦が1、駆逐艦が3なのです!」
「うん、わかった!」
小動物のように慌てる電の報告に吹雪は頷き、頭の中で作戦を考え始める。
あのような敵の姿でも、駆逐艦か軽巡洋艦かの区別くらいはついた。更に、駆逐艦の中でも個体によって型も違うようであるが、分類するほど余裕はない。
先ほどの駆逐艦級2体の時は戦力差から余裕をもって倒すことができた。しかし、今この状況では戦力差はほぼ拮抗状態。
相手は軽巡洋艦が1体と駆逐艦が3体。対してこちらは駆逐艦が5、まともに戦えば少なからず被害が出るだろう。
砲撃がお互いに届かない距離まで離れたところで、吹雪は振り返って様子を伺う。
(どうしよう。軽巡となると、装甲が厚いから砲撃が通らないかも)
全く通用しないわけではない。しかし、水雷戦のみを想定している駆逐艦に対して、砲撃戦もある程度はこなせる巡洋艦となれば分は悪い。
「吹雪ちゃん、どうするー? これって結構やばいのね」
先程はヘラヘラと戦闘をしていた漣だが、その表情は転じて真面目なものになっていた。桃色の髪が揺れ、不安そうに喉を震わせる。
軽巡に対する場合、少なくとも、装甲が十分に貫けない以上は一方的に攻撃を受ける可能性が高い。敵の駆逐艦からの攻撃も、当たり所が悪ければ大きなダメージとなることも十分に考えられた。
「魚雷なら、軽巡洋艦だって倒せると思います」
「問題はどうやって近づくか、だね……」
そう、こんな状況でもハキハキとしている五月雨が士気を維持できているのは、ひとえに大ダメージを与えられるのは魚雷の存在がある故。問題は、魚雷の射程が主砲より短いことであるが――。
ふとそこで、吹雪は周りの景色に気が付く。空は茜色に染まり、沈みかけの太陽が海を橙に彩る。
夕方、である。
「吹雪ちゃん。日が沈むまであと30分なのです」
「うん! 皆、相手が上陸しないように攻撃を引きつけて。攻撃は許可します。駆逐艦は優先的に狙って、砲撃戦で倒してください!」
主砲を持ち上げ、気合の入った言葉で陣形の向きを変更する。
「敵軽巡は“夜戦”で倒します!」
旗艦吹雪を先頭に、縦一列の単縦陣を敷く。
砲戦可能距離まで到達すると、吹雪が指示を再び飛ばした。
「方位330度、主砲撃ちー方始め! 敵の攻撃に注意して!」
一斉に、5人の主砲が爆音とともに火を噴く。すぐさま次弾が装填され、再び主砲が発射された。潮の香りに混じり、火薬の匂いが髪を撫でる。
砲弾は敵に命中するものもあれば、弾かれるものや、その近くに落ちるものもある。この砲撃により、怪物のうち一体が3発の砲弾を受けて海中に消えていった。
敵からも攻撃が行われる。駆逐艦からの攻撃が降り注ぐも、中たらないか、中たったとしても展開される障壁によりダメージは緩和される。
だから、気をつけるべきは駆逐艦たちではなく――。
「軽巡の砲炎を確認したわ、約5秒後に着弾!」
「回避運動!」
叢雲からの報告に、吹雪は更に指示を飛ばす。
軍艦だった頃とは違い、今は人の形をとっている。加えて駆逐艦の機動性をもってすれば、回避することも十分可能だ。その分、自分たちも攻撃を命中させることが難しいのだが。
軽巡の砲撃が吹雪のすぐ傍に着弾する。自身が撃つ砲より口径の大きなものであり、命中した際のダメージは駆逐艦の比ではない。
装甲も、おそらく貫通されてしまうだろう。
「もう一体! 照準を合わせて!」
再び、一斉射撃が行われる。砲弾は放物線を描き、一体の駆逐艦へと向かい、落ちていった。一つ、二つ、三つ、四つと着弾し、駆逐艦の怪物は海へ沈みゆく。
敵の半分を減らしたところで吹雪は一つ安心するが、その瞬間――。
「きゃあっ!」
軽巡洋艦からの砲撃が叢雲の障壁を貫徹し、その腰元を掠める。
掠めたとは言え、質量を持った高速の物体である。その衝撃は大きかったのか、叢雲は表情を歪めた。
安心している場合ではないと、吹雪は敵の様子を伺いながら叢雲に声をかける。
「叢雲ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫、至近弾よ!」
「他のみんなは?」
「わ、私が駆逐艦から一度だけ被弾したのです。でも、まだ戦えるのです!」
「わかった! 行くよ、みんな!」
被害が全く出ないとは思っていなかった。
しかし、こうして仲間が傷ついているのを見れば、戦闘を早く終わらせたいと考えるのも当然のこと。
陽が沈み、辺り一面が暗くなった。それと共に気温は下がり、肌寒くなる。しかし同時に、形成を覆すチャンスが、吹雪たちに訪れることとなった。
陣形を立て直し、吹雪は更に指示を飛ばす。
「これより夜戦を仕掛けます! 敵からの攻撃には十分注意して!」
単縦陣を維持し、闇に紛れて敵へ向かって真っ直ぐ接近する。敵は先程叢雲への至近弾により生じた波飛沫で自分たちの姿を見失ったらしく、まだ気づいていないらしい。
「おもーかーじ30度、合図で攻撃します」
砲撃戦を行っていた距離の半分ほどの距離になった時、陣形を敵に対して横に向ける。
既に魚雷の射程内であるが、確実に命中させるために吹雪は静かに機を見計らった。
静寂により、緊迫感が増す。見計らっている中で、軽巡洋艦の怪物が振り向いた。そしてそれは、吹雪の視線と交差する。
憎悪と怨恨のこもった視線。それは、吹雪に恐怖を与えるどころか戦意を高揚させた。己の中の青年への感情が、ためらいなく爆発する。
「今です! 酸素魚雷、一斉発射よ!」
艦隊から2体の怪物に対して、逃げ道を塞ぐように放射状に魚雷が発射された。そして吹雪は先頭となって、砲撃戦を行うために肉迫する。
軽巡洋艦の装甲は駆逐艦のそれより厚い。しかし、距離を詰めれば、装甲を抜けないわけではない。
そして、夜戦による奇襲。このチャンスを逃すほど――帝国海軍の水雷戦は温くない。
「目標軽巡、主砲撃ちー方始め!」
近い距離での砲撃はそれだけ命中性も高くなる。加えて、5人からの一斉砲撃により、軽巡洋艦は瞬く間に沈黙寸前となった。
吹雪は、無我夢中になって軽巡洋艦に対して砲撃を続ける中――。
「あうっ!」
軽巡洋艦の砲撃が、障壁を貫通して吹雪の頬を掠める。呆気に取られているところを、残っていた敵の駆逐艦に撃たれてしまった。
距離を近づけたということは、同様に敵の砲撃も攻撃性・命中性が高くなるということ。吹雪は駆逐艦級の砲撃を横腹に受け、痛みに歯を食い縛る。
やがて、魚雷が怪物2体に届き、水柱を上げて爆発した。鋭い光が辺りを包んだと思えば轟音が走り、2体の怪物は海の中へと音を立てて沈んでいく。
「あいったたた……」
「吹雪ちゃん、大丈夫!?」
「吹雪ちゃん、怪我はないのです!?」
「う、うん、大丈夫。結構痛かったけど」
漣と電に心配されるものの、吹雪は笑顔を繕った。
駆逐艦の装甲は特別に厚いわけではない。しかし、遠距離からの砲撃で運良く貫徹しなかったというだけで、吹雪自身に油断があったことは否めない。
だがひとまず、周囲の怪物は全て倒したと思っていいだろう。叢雲と五月雨が警戒にあたっているが、特に心配はなさそうである。
(これで……司令官を守れたよね?)
脇腹を押さえて立ち上がり、吹雪は痛みをこらえながら思う。
幻想郷というこの地で、吹雪自身も不安は抱えていた。だが、海があるならば、少なくとも自分には何か価値があるのだろう、なんてぼんやり考える。
上官である青年がどのように考えているかなど知らない。ただ、幻想郷にいようとも外の世界に戻ろうとも、吹雪の立場は変わらない。
どのような選択を青年がしようとも、吹雪は受け入れる。そして、どのような選択をしようと、自分は青年を守るだけなのだから、と。
「ねー、吹雪ちゃん」
「どうしたの漣ちゃん、って、それ……」
これから帰投の号令をかけようかと思っていたところ、吹雪は漣に声をかけられる。よくよく見ると、その手には一枚のカードがあった。
「うん、多分私たちと同じ……」
「……わかった。私から司令官に渡しておくね」
そう言って、吹雪は漣からカードを受け取った。
敵だと思っていた怪物を倒し、カードが現れた。そしてそれは、青年が持つ能力によって実体化する自分たちと同じもの。
あの怪物は一体何なのか。その不安は、今この状況を見届けた5人全員が抱いているだろう。
カードを大切にポケットの中にしまった吹雪は、拭いきれない疑問を表情に出すことはせずに、あくまで冷静に、旗艦として最後の指示を出した。
「どうやら終わったみたいよ」
「……皆は無事ですか?」
「2人、いえ、3人。いずれも軽いけがのようね」
気温は下がり、夜の海を写真のように月明かりが照らす。
夜になり、ますます見通しが悪くなった海においては、青年は最早遠目に姿を確認することすら困難となっていた。
紫や早苗は未だにその姿を確認できるようなので、その言葉から状況を把握するしかない。青年には無事を祈るしかできなかった。
「とても興味深いものを見ることができたわ。我儘に付き合ってもらって悪いわね」
「謝罪は彼女たちに。僕は何もしていません」
そう、青年は何もしていない。謎の能力によって青年が実体化させた少女たちが、曖昧な命令を受け入れて戦っただけ。
そして、その結果彼女たちは怪我を負った。しかし責任を問うとすれば、提案を行った紫ではなく、見通しの甘い青年自身。
「なんで……僕にこんな能力があるんでしょう?」
「そちらの巫女の能力の結果ではなくて?」
紫の言葉に、青年は早苗を見る。別に恨めしいとか、憎いとか、そういうことではない。
ただ、なぜ自分で、そしてこの能力なのか。なぜこの能力を芽生えさせてしまったのが早苗なのか。
早苗を責めるつもりはないのに。責めることなどありえないのに、どうにもできないもどかしさが胸の中にわだかまる。
「カミツレさん、私は後悔はしていません」
「……仮に、僕が絶対に許さないと言ったとしても?」
「あなたを助けるためでした。押しつけと思ってもらっても構いません。滝壺に落としたのは私ですが、何の能力も持たないカミツレさんを一人で幻想郷に放り出すのは、不安の方が大きかったんです」
早苗の言葉に頷ける部分もあるのだ。能力があったからこそ、海に出てから怪物に殺されずに済んだ。それはまず間違いのないこと。いや、滝壺で死んでいた可能性もあるにはあるが。
「それは……確かにそうかもしれないね。ここは変な人ばっかりだし」
「何か言ったかしら?」
「いいえ何も、“か弱い乙女”さん」
「ならいいのよ」
鋭い視線を送る紫をかわしつつ、青年は言葉を続ける。
「でも、そもそもさなちゃんが僕を引っ張りこまなければそうなることもなかったよね?」
「それは……本当に申し訳ないです」
「……まあ、僕が神社に行かなければ、写真を拾わなければっていうのもあるけどさ」
嫌味たらしく文句を垂れてしまったことを恥じ、青年は言葉を繕う。考えれば。こうなるまでの原因にも、それこそ奇跡のような偶然はいくつか重なっていたのだから。
例えば仕事先からわざわざ帰郷しなければ、例えば気まぐれに神社に行かなければ、例えば写真を拾わなければ、すぐに帰っていれば。
――早苗のことを思い出さなければ。
こうなることもまた、あり得なかっただろう。
「さなちゃんを責めても仕方ないから、別に気にしてないよ。事実、能力があって吹雪ちゃん……吹雪が出てきたから助かったわけだし」
「本当に私を憎いというなら、心の底から許せないというならどんな罰でも甘んじて受け入れます。しかしそうではないなら、その能力を――」
「彼女に感謝することね、カミツレさん?」
早苗の言葉を遮って、紫が口を挟む。突然のことに青年は戸惑うが、首を傾げて紫に言葉を返す。
「感謝なんてずっとしてますよ? 子供の頃から」
「それとは別に、能力を与えられたことを感謝した方がいいわよ? あなたを外の世界に返すわけにはいかなくなったから」
「何を……?」
その言葉には、流石に青年も困惑する。早苗はどこか予想していたかのような表情を浮かべながら、紫を見ていた。
「カミツレさん、あなたに仕事をお願いしたいの」
「それが……僕の人生を左右することであってもですか?」
「ええ、私も幻想郷の安全が関わっているから譲歩できないわ。あなたにお願いしたいのは、ただ一つ」
幻想郷に残った場合のことを、青年も十分に考えていた。そして、突如現れた海と、海上で有効な戦力を持つ自身の価値とのことも。
紫の話を信じるのであれば、幻想郷では海についての情報がほとんどない。それは、海からやってくる怪物についても同じこと。
そして、紫曰く、海の上で空を飛ぶことはできない。となれば――
「この幻想郷を守ってくださらない?」
「……僕だけでは判断しかねます」
「外の世界に戻っても能力が消えるわけではないわよ?」
「わかっています」
「大役を任せるわけだし、可能な限りは協力をしてあげるわ。幻想郷に残るとしても、外の世界で別れを済ませる時間ぐらいあげるし?」
「その……それでも」
「一晩――。“彼女たち”と、ゆっくり考えて頂戴」
青年の悩み所となっていた部分をスパスパと切り捨てていく紫。そして、“彼女たち”と言って指した先には、ところどころ怪我を負った少女たちの姿が。
思わず駆け出し、靴やズボンが水に濡れることも厭わずに海の中へ。
しぶきを上げながら水上をスケートのように滑る彼女たちは、少女でありながら勇ましく、惚れ惚れするほど格好よく、そして可憐であった。
「吹雪、みんな……」
「司令官、作戦が完了しました! 全員無事ですよ!」
怪我を負ったであろう脇腹を押さえながらも、笑顔で敬礼をする吹雪。その姿は見ていて痛々しいのに、吹雪本人はどこか誇らしげである。
「私たち、司令官をちゃんと守れました!」
自分を慕わないで欲しい。気にかけないで欲しい。優しい言葉をかけないで欲しい。甘えなど自分には許されないのだから、放っておいて欲しい。
少し前までは疎ましいとさえ思っていたのに。厄介事の元とすら考えていたというのに。
今は彼女たちの無事が、どうしてここまで嬉しく思えるのだろう。
「ああ、みんな……おかえり」
それはきっと能力のせいであり、自身のせいではない。慕ってくる吹雪のせいであり、まとめて能力のせいだ。
目尻に小さく浮かぶ液体だとか、こみ上げてくる言いようのない感情だとか、そんなものも全て能力のせいなのである。
能力のせいに――違いないのだ。
艦娘たちが砂浜に揚陸し、落ち着いた頃。
吹雪は出発前とはどこか違う雰囲気を纏っていた。ずっと他人行儀であったのだが、どこか優しい雰囲気へと。
吹雪は敬礼を解き、青年へと近づいてポケットから何かを取り出す。
「司令官、新しい仲間が来たみたいですよ」
「新しい、仲間?」
差し出されたそれを受け取ると、青年は吹雪たちとは違う雰囲気をカードから感じ取る。
(軽巡洋艦、天龍?)
第十八戦隊、ウェーク島、珊瑚海海戦、第一次ソロモン海戦、第八艦隊、探照灯、第三次ソロモン海戦、潜水艦……。
流れてくる記憶。竣工当時は世界水準を軽く上回る性能を有していたものの、開戦時にはやはり旧式となっていた。
しかし、旧式ながらに激戦をくぐり抜け、一線で活躍したという軍艦。
その記憶を知った上でカードに写る眼帯の姿を見れば、青年は情けなくも恐怖を抱いてしまった。
恐る恐る、天龍という艦魂を実体化させるべくその姿を思い浮かべる。
もしもいきなり襲いかかられたらどうしようか、などという不安を拭いきれないままであるが、青年は挨拶ぐらいしなければと天龍を実体化させた。
――5人の駆逐艦とは違う、少しだけ成長した体。より女性らしさが目立つスタイルとなっているが、最も特徴的なのはやはり眼帯だろう。
現れた時は目をつむっていた彼女だが、静かに目を見開くと、刀と思しき武器を肩に担ぎ不敵な笑みを浮かべた。
「オレの名は天龍。フフフ……怖いか?」
キリッとした表情。しかし格好つけているのがまるわかりなその態度。気分としては、アウトローに憧れる中学生を見ているようで、恐るどころかどこか微笑ましくなってしまった。
「キャー! 天龍ちゃんすごい可愛いですね!」
「バッ、な、何言ってんだよ! ホ、ホラ、怖いだろ?」
「いや、ほら、その、まんじゅう怖いと同じレベルだね」
早苗の言葉に、天龍は頬を染めながら慌て、まるで子供のように自身をアピールする。その姿がまた、より精神的な幼さを強調するので思わず吹き出してしまった。
ふと、吹雪と目が合った。やはり、先程までとはどこか違う目で自分を見ており、柔らかく微笑むその姿はひとつの絵画のよう。
ただ、自身も吹雪たちに……幻想郷に対する意識が変わっていることに目を向けなければならない。
外の世界か、幻想郷ここかを選ぶために。
着任
天龍型軽巡洋艦一番艦『天龍』 007 Main Title
ひんやりとした夜、虫が粋な鳴き声で空気を振動させる。
守矢神社の本殿の一室において青年が布団を敷いていると、廊下から足音が聞こえた。振り返ってみれば、そこにいたのは諏訪子。
「そのままでいいよ」
「すみません、部屋を貸してもらって」
「気にしないでいいって。部屋は余ってるし、もし幻想郷に残るなら、ここはそのまま君に貸してあげる」
「……それは」
「もちろん、条件はある」
何だろうか、と青年は首をひねる。無論、青年とてタダで部屋を融通してもらえるとは思っていなかったし、そうするつもりなどない。
諏訪子はい草の香る部屋の中にとすっと座り、胡座をかきながら青年が布団を敷くのを眺め始める。
「早苗はさあ、小学校まではよぉく笑う子だったんだよね。幽霊とかが見えるってことで周りから変な目で見られても、神社では笑ってた」
「…………」
「ただ、中学校に入ってから高校を卒業するついこの前まで、あんまり笑わなかったんだよね。笑ってもどこか無理したような笑い方だったし」
早苗との記憶を辿れば、確かによく笑っていた記憶しかない。
青年自身もまた、高校に入学してから6年間の間、まともに笑ったことがあるかと言えば、同様に記憶にないのだが。
「原因は君だよ?」
「僕は……お金を稼がないといけませんでした」
いい思い出のない孤児院といえど、衣食住の提供については青年も感謝していたのだ。しかし、早く孤児院を出ていきたいと思っていたのも事実。
だから青年は、一刻も早く孤児院との縁を切るためにアルバイトを始めた。そしてその給料を、ほぼ全額を孤児院へ納めたのである。
そして、高校卒業後の仕事、内緒で取得した潜水士の資格を活かしての海洋調査員。三年間勤め上げたものの、孤児院に対する仕送りにより、手元に残るのは雀の涙。
6年間でおよそ800万円にもなる金額を、青年は孤児院へ渡した。
そして、院長と最後に出会った時において、青年は貯金の全額およそ200万円を送ることで、孤児院と完全に絶縁することを約束していた。
しかし、送るより前に幻想郷へと転移。そのため、院長との約束は未だに果たされていない。
「それは早苗よりも大切なこと?」
「……いえ、わかりません。でも、僕にとってのけじめです」
「ふうん?」
「さなちゃんのこと。忘れるつもりはありませんでしたが、正直忘れかけてはいました。でも、会いたくなかったわけではありません」
「もし忘れてたなら、私は君のことを叱らないといけないけどね」
諏訪子は一瞬だけ冷徹な視線を青年に送るのだが、次の瞬間には優しい眼差しへと変わっていた。その慈しみ溢れる表情は、幼女らしい姿からは想像もつかないものであった。
「早苗はね、君のことをそれはよく話してくれてたんだよ。神社で面白い人を見つけたとか、その面白い人と一緒に遊んだ、とかね」
「お、面白い人ですか」
「で、その人が急に遊びに来てくれなくなったって言ってから、みるみる元気がなくなってね」
「……僕もそりゃ寂しかったですよ」
年下であったとはいえ、自分の理解者を失ったのは精神的な痛みを覚えたのは確かである。そしてそれは、おそらく似た境遇と言っていた早苗も同様だったのかもしれない。
「君が今日うちに来てからね、早苗がほんとに久しぶりにいい笑顔を見せてくれたんだよ。『あれが以前話していたカミツレさんです!』って」
「そんなことで……あんなに笑って?」
「そう、それだけのことでね。だから神奈子とも話し合ったけど、幻想郷に残るなら、私たちから君に出す条件は1つだけ。“早苗とこれからも仲良くして欲しい”」
「つまり今まで通り、と。でもそれは、あまりにも条件としては優しすぎるんじゃ……」
「それだけ当たり前のこと――友達と過ごす時間っていうのを、早苗は無くしてたからね。君にとって、たったこれだけの条件がそんなに悪い話に見えるのかな?」
「それは……」
住まいと食事を提供してもらう代金としては、あまりにも安すぎる対価。
本当に早苗を大切にしているから、善意で言ってくれていることは理解に容易い。しかしそれでも、己の中に疑う心が芽生えることがどうしようもなく腹立たしい。
久しぶりに再会したのだ。話してみたいことはもちろんある。だが、それでいいのかと考えれば、どうしても不思議な部分は残る。
「あ、でもね」
「……はい?」
「“また”早苗を一人にすることがあるなら――私は問答無用で君を殺すぞ」
合点せざるを得ない。青年にとっては命のかかった条件であることを、今更ながらに理解することになった。
「まあ、あんまり気負わずにさ、ゆっくりしてくれればいいから。早苗とも今まで通り接してくれれば、私たちは何も言わないよ」
「……わかりました。お言葉に甘えさせてもらいます」
「洩矢諏訪子はクールに去るぜ」と不敵な笑みを浮かべて帽子のつばを下げ、諏訪子は部屋から離れて足音もなくどこかへ行ってしまった。
布団を敷き終わり、座り込んで天井を見上げる。眩い輝きを発する電灯に目を細めながら、青年はそのまま床に倒れこんだ。
(外の世界に戻るか、幻想郷に残るか、か)
頭元を探り、重ねられたカードに青年は手を伸ばした。その中から一枚を無作為に選び、その場に実体化させる。
「何だ……戦闘か?」
現れたのは天龍であった。ほんの少し前に合流した軽巡洋艦の艦魂。戦闘を好む性格のようであり、現れた途端にこの言葉である。
「違うよ。天龍……さん、事情は聞いてるよね? 君はどうするべきだと思う?」
「提督よぉ。上官なんだから、俺たちのことは普通呼び捨てだぜ? ま、オレは戦えるならどっちでもいいんだよ。ただ、な……」
ニッコリと笑い、やる気十分な表情で言葉を告げた天龍。しかし、その言葉尻は徐々に声が小さくなる。
少し間を置いて、天龍は青年を見つめる。天龍は突然悲しそうな顔になってから涙を一滴こぼすと、涙声のまま言葉を紡いだ。
「オレは……アンタが、提督が、幸せ、に、なればそれで……う、うぅ」
「ちょ、どどど、どうしたの天龍!?」
「な、何でもない! チビたちと約束したからな、俺は何も言わないぞ!」
その時点で、何かを隠していると白状しているようなものなのだが。
「え、えっと、幻想郷に残るのも外の世界に戻るのも僕に任せるってこと?」
「お、おう! チビたちも同じ意見なんだぜ!」
「そうなの!? ずっとカードのままだったはずじゃ……」
「あ、え、いやその」
(ん、んん――?)
目を合わせない天龍の様子と、『チビたちと約束した』という言葉。
訝しんだ青年は全員をその場に実体化させることにした。吹雪の様子を見れば、少しバツが悪そうな顔。他の艦娘たちも同様である。
「んーと、吹雪。何か隠してるのかな?」
「い、いえ、司令官に隠すことなんて何もないです」
「じゃあ、その“司令官”っていうのとして聞くけど、本当にないの?」
「……す、すみません。実は……」
吹雪の慌てた顔を見ながら、青年はゆっくりとため息をつくのであった。
「じゃあつまり、君たちも僕の記憶を見ることが出来るんだ?」
「うう、すみません。あと、カードの状態でも私たちは意思疎通できるんです」
「あー、なんだか恥ずかしいや。……って、吹雪たちもそうだよね」
そう、この少女たちは青年の記憶を見て少なからずショックを受けており、更に人生の分岐路となる質問をされたためにあのような回答をしたらしい。
青年としてはその気遣いは嬉しいと思う一方で、自身の過去、それも恥ずかしいと思うような記憶をまるごと見られたのだ。
記憶を見るという点では青年も少女たちに対して可能なのだが、いざされてみればこのような気持ちになるのかと複雑になる。
ただし、答えた内容について嘘偽りはなく、あくまで青年自身の意思を尊重するというのは間違いないらしい。
「吹雪もみんなも、質問の回答としては天龍と同じなんだ?」
「は、はい、司令官が望むのであれば、私たちはそれについていくだけです」
「……君たちはどう思ってるの? 自分たちのことが、外の世界の人には忘れられてるんだよ? 僕の選択によっては、その……君たちに辛い思いをさせるかもしれない。いや、どっちを選んだとしても――」
「司令官」
ふわりと、包み込むような声が耳に届く。視線を向ければ、吹雪の柔らかな表情が心に平穏をもたらしてくれた。
「私たちの全てが過去に消えたとしても、司令官だけは覚えていてくれます。たとえ、それが早苗さんの能力によるものであっても、私たちは司令官と一緒にいたいんです」
「でもそれじゃ君たちが……。絶対、それは後悔――」
「私たちは艦娘として司令官に従う前に、司令官がご自分の人生を好きなように生きて欲しいって……そう思ってますから」
その言葉に、全員が一斉に頷く。意思は固いのか、その視線に嘘などまるで感じられない。
だから、あとは青年次第。青年がどうしたいかを、決めるだけなのだ。
「――みんな、怪我もしてるんだから今日はもう休んで。結論は必ず出すから」
そうして、少女たちが強く頷いたのを見届けたあと、カードへと戻していく。
カードを揃えて置いた青年は、布団へと倒れ込んだ。
(自分がどうしたいかなんて、今まで考えたことなかったなあ)
あるとすれば、アルバイトを始めた時と就職先を選んだ時ぐらいだろうか。
海洋調査員の仕事は、孤児院からなるべく離れた土地で自然に関わりたいと思ったから。
自分の意志など必要のない人生を過ごしてきた。それは孤児院生活であれ学校生活であれ、ほとんど意味のない生活を過ごしてきたのと同義。
しかし、意思を放棄した人間は路傍の石にも劣る。いつまでも石ころではいられないのは、青年もよく理解していた。
(何の不安があるっていうんだ、一体)
だから、今日ここで選択をすることで、生まれ変わらなければならない。石ころのような人生から、人間の人生へと。
自分の、選択で。
早朝、澄み切った空気が胸を清浄する中、青年は境内でストレッチを行っていた。
境内の中に置いたままのスーツケースには様々なものが入っている。その中でジャージを見つけた青年は、軽く運動でもしようかと思い着替え、外へ出た。
守矢神社のある場所は山頂。神社の敷地からなるべく出るなと言われていたため、青年は神社の敷地を回るようにジョギングを始める。
その途中で、外に出てきた起きがけらしい神奈子と目が合った。
「おはようございます、神奈子様」
「ん、カミツレか。ああそれと、諏訪子と同じく、私も様はつけなくていい」
「じゃあ、神奈子さんで」
「うん、おはよう」
そのまま横を通り抜けようとしたのだが、神奈子が手招きするため、青年はジョギングを中止し、神奈子の元へと近づいた。
「いやね、もうすぐあのスキマ妖怪が来るだろう? どういう結果を出したのか気になってな」
「それは……その時のお楽しみということで」
「ふふっ、そうかい。ああ、諏訪子から私たちの条件は聞いたかい?」
「ええ、もちろんです。でも、その条件は関係なく、僕が決めましたから」
「ほほう? それは楽しみだ」
背中を叩かれ、青年は再びジョギングの続きへと移る。ニコニコとした神奈子の様子は、どこか恐怖と安心を感じさせる不思議なものであった。
日が昇り、およそ午前9時頃。
境内において、神奈子と諏訪子が賽銭箱の前の石段に腰掛けて話し、早苗は鼻歌を歌いながら箒で落ち葉を集めている。
そんな中、境内の真ん中で待ちぼうけをくらっている青年は、首をかしげながら疑問の表情を浮かべていた。落ち葉の静かな香りが鼻をくすぐるが、それどころではない。
(あの人、朝の8時に来るって言ってたよな?)
既に1時間が経過しており、青年は時間を間違えただろうかと心配していた。そんな様子を見かねたのか、神奈子と諏訪子が手招きする。
「カミツレ、あんたもこっち来なって。あんなババアほっとけばいい」
「カミツレ君こっちで座っとこうよー。掃除してる早苗の腋がよく見えるからさー」
「え、私って、嘘!?」
とは言うものの、待ち合わせに座って待つのもどうかと青年も悩んでいた。いや、そもそも遅れている時点で座っても仕方ないのかもしれないが。
「カ、カミツレさん、座っていてください」
「いや、でも失礼になると思うし」
「いえ、そこで立っていると掃除の邪魔ですし……あと腋は見ないでくださいね」
「あ、えっと、ごめんなさい?」
照れた顔の早苗からやんわりと注意され、青年は大人しく石段に向かおうとした。
その時である。
「ごめんなさい、遅れたかしら?」
およそ1時間の遅れで、紫が到着した。寝ぼけ眼を擦りつつ、あくびをしながら境内の真ん中に突如現れる。
「いつ起きたんです?」
「つい10分前よ。私にしては早起きだと思うの。化粧もしないで出てきてしまったわ」
「いえ、もういいです」
「そんな、怒らないで、ね? ほら、可愛いポーズよ~」
頬に人差し指をあて、ニッコリと微笑む紫。すっぴんのくせに化粧した時と全く顔が変わらず、しかもなまじ可愛らしいだけに、青年も頭を痛めながら怒る気をなくしてしまう。
大事な話をするというのに、これではまるで自分が馬鹿ではないかと青年も呆れてしまった。
「さて、それで、意思は決まったかしら?」
「はい。昨晩、布団に入ってから考え始めて、眠りにつくまでに考えた結論です」
「え、えっと、それってどうなの?」
「あ、それと僕、早寝早起きなんです。寝付きもいいですよ」
「……遅れてごめんなさい。って、それ期待していいのかしら?」
今度は紫が呆れと苦笑を織り交ぜた顔で、頬を引きつらせながら青年に答えた。
結論を考える上での条件を出すまでは長かった。しかし、早苗の気持ち、紫の頼み、神奈子と諏訪子の条件、そして艦娘の願いを考えれば――答えなど、自ずと決まっている。
ふとまわりを見れば、守矢神社の三人が緊張した面持ちで青年を見つめていた。
「なら、その結論を聞かせてもらいましょう」
「はい、僕は――」
6年ぶりに守矢神社に参拝してからのことを思い返す。早苗と再会し、神奈子や諏訪子と出会い、巻き込まれてこの幻想郷へ来てしまった。
白い狼の少女に追われ、滝壺から下流へ。紫に遭遇し、怪物に遭遇し、吹雪が現れる。そして、新たに迎えた5人の軍艦の魂。
情けない心根で暮らしていた頃に比べれば、夢のような時間であった。
人の視線に怯え、人の言動に震え、人の行動に竦む日々に比べれば、なんと非日常的でオカルティックな一日だったことか。
抑圧され、逃げ惑う日常に比べれば、なんと刺激的で生命をかけた一日だったことか。
しかし、夢は夢。現実を見なければ、人は前へ進むことはできない。
現実を認識しない人間は、理想の反対方向へ全力疾走することしかできないのだ。
だから青年は、今まで理想を掴むことはできなかった。
「幻想郷で……暮らします」
ならば、現実を受け入れよう。夢から覚めて、目の前の現実は現実であると、理想などどこにもないと認識しよう。
幽霊のように朧気で姿のあやふやな理想を求めてはならない。現実に起きていることを現実として受け止めなければならない。
でも、幻想のような理想を抱いてもいい。叶えられない目標に手を伸ばしもいい。
だが、矮小な現実に絶望はしない。自身の可能性も否定しない。定められたレールを敷くことなどもってのほか。
一本道の人生であると諦めたくはない。やり直しができないと思い込む意味はない。路傍の石で満足することなど、自分自身で許せない。
他ならない自分の人生は、自分で決めろ。
「幻想郷で暮らします」
求められた助けに応じてみせよう。自身にその力があるならば最善を尽くさねばなるまい。
良き縁を手離すな。悪しき縁は捨てろ。
一新の後に、新たな場へ向かうならば身を粉にして。
そう今――この瞬間までに。
至誠に悖るなかりしか。
言行に恥ずるなかりしか。
気力に缺るなかりしか。
努力に憾みなかりしか。
不精に亘るなかりしか。
「だって、ここは“僕”を受け入れてくれるみたいですから」
現実と付き合う時が来た。幻想郷は幻想ではないと。理想は遠いようで近きにあるらしい。
やり直しは――既にこの手の中だ。
「これからよろしくお願いします、皆さん」
面倒事も厄介事も全てを受け入れた心をもって、青年は勢いよくお辞儀する。
静寂が境内を包む。誰も何も発しない。緊張感が伝う場には、虫の鳴き声が響くだけ。
「いい返事をもらえて良かったわ」
そして、八雲紫がふんわりとした笑みで口を開く。
「了承してもらえなかったら、どんな手を使おうか考えていたところよ」
「……その候補には一体どんなものが」
「そうねえ、恐怖で支配するか、弱みを握るか、色仕掛けかしら」
「じ、実際に使われることがなくて安心です」
「私が帰さないと言ったから、留まることにしたのかしら?」
「いえ、違います」
「あら、嬉しいわね」
扇子を開き、紫は満面の笑みを浮かべていた。
その様子に一つ息をつくと、次に話しかけてきたのは神奈子。
「じゃあ、私と諏訪子の脅しが原因かい?」
「……いえ、それも違いますよ。ていうより酷いですよあの条件。僕とさなちゃんが友人関係ってことを知ってるなら、あんなの帰るってことは問答無用で殺されるってことじゃないですか」
「そこまではしないが、ま、脅しだよ脅し」
バレてしまったか、と神奈子が高らかに笑い、諏訪子もニコニコと微笑んでいた。
それを尻目に見ている早苗が、箒を持ったまま青年に話しかける。
「あの……じゃあ、カミツレさん」
「うん、嵌められたのは腑に落ちないけど、これからお世話になります」
目を輝かせた早苗。そして朗らかに笑みを浮かべると、元気の良い快活な返事でもって答えてくれた。
「はい、私がお世話しますから!」
ポケットにしまっている吹雪たちのカードをチラリと見る。カードに映る写真は変わらないはずなのに、どこか微笑んでいるようにも見えた。
外の世界での生活に別れを告げ、青年は幻想郷で生きていくことを決めた。
全てを受け入れるのが幻想郷ならば、自身はきっとやり直せる、人間らしい幸せを追い求めることができるはずであると。
与えられた条件など関係ない。自分が幻想郷ここがいいと思うから選ぶのだ。
後悔が全くないかと聞かれれば、素直に頷くことはできないだろう。外の世界でのやり直しを図ることもできたのではないかという懸念は拭えない。
それでも、青年は幻想郷で生きていくことを決めた。そしてこれは逃げではなく、より現実を、より理想を、より幻想を求めたが故の小さな前進。
路傍の石は自我を持っていることを自覚し、ようやく動くことを覚えたのである。
紫が妖艶に微笑み、青年に向けて口を動かす。
その言葉を、青年はおそらく忘れはしないだろう。
「歓迎するわ。ようこそ、幻想郷の提督さん」 008 求めた理想郷
銀行を出た青年は、アスファルトの地面を踏みしめた。澄み渡る空の青さは幻想郷と変わるものではないが、車通りの騒がしさだけは、ここが今まで生きていた世界だということを教えてくれる。
歩き出して、数歩。肩元に紫のスキマが現れ、声のみが届いたため、青年は銀行の壁に背中を預けて携帯電話を耳にした。
「あら、それ電話? 私とお話がしたいのかしら?」
「携帯もなしに喋ってたら、独り言を呟く変な人に見られますからね」
「それで、もう終わったの?」
「ええ。振込はおしまい、残高は全て募金、口座も解約しました。財布にちょっと残ってるぐらいですね。紫さんは?」
「あなたの荷物、言われたものは全部守矢神社に運び込んでおいたわ。辞表とかいうのも、ちゃんと会社に置いてきたわよ」
「これで、もう僕は文なし職なしの男になってしまいました」
ははは、と乾いた笑いがこぼれる。幻想郷での未知の体験はまるで夢のようであったというのに、外の世界、今まで過ごしていた世界で何もかもを失ったことで、ようやく実感を得た。
ああ、自分は本当にこの世界からいなくなる――忘れ去られてしまうんだな、と。
フッと、視線を街中に移す。生まれ育ったこの山の中の街。就職する時、自分から街を出ようと思ったときは、何の気持ちも芽生えなかったというのに。
(どこかで……帰りたかったのかな)
名残惜しさが胸を刺す。己の空虚な心に甘えが残っていたのかもしれないとぼんやり考えるのだが、なぜ帰りたかったのかなどわかるはずもない。あれだけ遠ざけようとしたふるさとであるというのに、もう二度とこの景色を見ることができないのだと思うと、ふと心に影がかかった。
だが、これでいい。
過去は消えないが、今になってようやく心の整理ができた気がするから。
「ねえ」
守矢神社だけが消えた山を遠目に眺めていると、紫から声がかかり、
「今ならまだ、ここに残れるわよ」
スキマから、白地に桜模様という若者向けに作られたワンピースをまとった紫がヌッと現れた。肘まで伸びる白手袋が、紫の上品さを際立たせる。
妖艶でありながら明らかに服装とミスマッチであるその蠱惑的な体躯に、青年は表情を変えないまま携帯を取り落とす。
「うわキツ」
「は?」
「あ、いえ。紫さんにはもっと大人の魅力を感じさせる服のほうが似合いそうだなーと思いまして。似合わないというわけではないですよ、うん、ええ、はい」
「あらそう。私としてはこれ以上なく似合ってると思ったけれど」
かつて、これほど殺気を感じた場面があっただろうか。薄目に微笑む紫であるが、その雰囲気に穏やかなものは感じられない。
冷や汗を滝のように流しながらも、青年は言葉を続けた。
「それで、さっきの話ですが……」
「幻想郷に連れて行くまでなら、まだここに残るチャンスぐらいあるわよ。これが最後の機会ね」
「全部の手続きが済んだあとでそれを言いますか……で、残ってもいいんです?」
「ダメに決まってるじゃない」
無茶苦茶だなと思いつつ、頬を引きつらせる青年。言動の整合性がその服装ぐらい取れていませんよと言えるだけの勇気は、流石に持ち合わせていない。
色気たっぷりに微笑み、紫は唇に人差し指を当てる。
「生憎と残らせる気はないわ。カミツレさんはどうあっても幻想郷に連れて行く。もし残りたいなら、私をどうにかしてみなさい」
「どうにかって……例えば?」
「力づくでねじ伏せるとか、説得するとか? ん、愛の告白でもいいわよ?」
「は?」
「ここで一緒に暮らそう! なんて面と向かって言われたら、3秒ぐらいは考えてあげてもいいわ」
「いえ、僕は遠慮しておきます」
「つれないわねえ」
ぶーたれる紫。そのまま背を向けて街中を歩き始めたので、青年はそのあとを同様についていく。
取り立てて目立つようなものは何もない。都会ではないが、とんでもない田舎でもないというこの風景。離れていたのは数年であるというのに、その数年でさえも変わるべく変わっていた部分は散見された。当たり前のことであるというのに、変わったのは自分だけではないらしいと今更気づく。
眺めながら歩いていれば、同様に街中を見渡していた紫が口を開いた。
「ここがカミツレさんたちの街なのねえ」
「ええ。いい思い出はそれほど多くありません、が……二度とこの景色を見ないとなるとやはり」
「ふうん? 良くない思い出って、例えば?」
紫が興味深そうに、首を傾げて自身の顔を覗き込んできた。動作の一つ一つがたまらなく美しいというのに、なぜ服装はこうなのだろう。
良くない思い出など、指の数では足りないぐらい青年の記憶にある。その一つ一つがげんなりさせるほどには十分であるというのに、
『幽霊だと? いるわけがないものをまだ信じているのか!? 気持ち悪いから外でそんな話を絶対にしないでくれ! 孤児院の体裁が悪くなるだろう!』
『どうしてお前を育てようと思ってしまったんだ……。ああ、不気味で仕方ない!』
『おい、今月の給料はまだか。育ての恩を忘れているんじゃないだろうな?』
どうして今は、思い返しても涙の一つも出ないのだろう。
「そうですね……例えば、子供の頃。家を追い出されたことがしばしばありまして」
「ふむふむ」
「野垂れ死ぬわけにもいかないので、サバイバル技術を身につけざるを得なくなったこととかでしょうか」
「ふむふ……ふむ?」
「食べられるものと食べられないものは学校の図書館で調べて、野生動物の捌き方とかも自分で考えましたねえ。あ、意外と虫っておいしいですよ? 火起こしの方法はまず基本として、植物を使った寝床のつくり方とか雨のしのぎ方とか。流石に冬場の雪はキツかったですが」
「た、たくましいのね……。アナタ、人里でも十分やっていけそうよ……」
なぜか、今度は紫が顔を引きつらせてしまった。虫の話がダメだったのだろうか?
「ち、ちなみに、そういった食材の中で一番美味しかったのは何かしら?」
「一番おいしいもの? 蛇は淡白で味気ないし、蛙は鶏肉っぽくてなかなかイケますが……個人的にはクモがチョコみたいで一番美味しかったですね」
「へっくしょい!」
「んだ、風邪かヤマメ?」
「いやー、誰か噂してるみたいでさー」
ちゃんと答えたというのに、紫の頬の引きつりが激しくなっていた。
虫がダメだなんて案外乙女なところあるんだな、なんて心にもない考えが浮かぶ前に、紫は一瞬のうちに街の景色に表情を変え、目を光らせて小走りをした。
足を止めて振り返ると、はしゃぐように紫がブンブンと手を振る。
(あれは……カフェか。何だかオシャレなところだなあ……)
着飾ったり気取ったりすることに興味のない自分でも、店の外観やガラス越しに見える内装から、静かでありながらきらびやかな店であることがわかる。そして、
「んふーっ」
紫がこの店に入りたいのだろう、ということも。
「いらっしゃいませ、2名様でよろしいですか? こちらの席へどうぞ」
エプロンをつけた男性の店員に案内され、青年は紫と共に席につく。このような店に入るのは初めてであり、青年も緊張していたのだが、紫はまるで動じていない。
上品そうだし流石だな、と思う間におしぼりと水を出されたのだが、
「ありがとうございます」
「い、いえ!」
紫の微笑みで、男性店員は顔を真っ赤にしてそそくさとカウンター裏に引っ込んでいった。
服装とのミスマッチもあるというのに、それでいいのだろうか。
「あー、極楽だわあ」
(おしぼりで顔拭くとか居酒屋のおっさんですか……しかも化粧落ちないってすっぴんかな?)
「あ、大将オーダーいいかしら?」
(ラーメン屋じゃないですよ? テーブルの目の前に呼び出しボタンあるのに)
「店員さん? 私こぶ茶一つね」
(カフェなのにこぶ茶!? ていうかメニューにそんなもの――あるし!?)
流石は幻想郷の民。
常識に囚われない行動は、悪い意味で感嘆ものである。自分のことではないというのに、早速恥ずかしい思いをしてしまった。
「え、えっと、彼氏さんは何になさいますか?」
「は?」
「やぁね、彼氏じゃなくて旦那よ、店員さん♪」
「あ、し、失礼しました! 旦那様は何になさいますか?」
「……アイスコーヒー。とびきり冷たいやつをブラックで」
最後の最後まで、外の世界は散々な思い出に終わるらしい。
紫の表情は、イタズラが成功した子供のようであった。
顔を真っ赤にしながら店を出て、早足で歩みを進める。「ゆっくり歩いてよダーリン☆」なんて言葉が耳に届いたのだから仕方ない。
「やっぱり、外の世界の茶屋はいいわね~。雰囲気もステキだし」
(全く……。まあ、最後の思い出としては悪くない……かな? いや台無しな気も……どの道こんなもんか)
時刻は夕方。今日の朝に幻想郷で暮らす決心をしたが、その気持ちに揺ぎはない。
自分を受け入れてくれる場所を、好きになろうとする努力をしたいと思ったのだから。
「紫さん」
「ええ」
歩みを止めて、振り返らぬまま紫の名を呼ぶ。帰ってきた返事は、ふざけた意味を含む声音などではなかった。
「幻想郷はいいところですか?」
彼女がため息をついたのが聞こえた。しかしそれは、呆れを混じえたものではないらしい。
「まあ、可愛い女の子は全世界共通よ。ほら、私とか」
「いえ、僕は遠慮しておきます」
「つれないわねえ」
ガッカリした紫の声を耳にした時、ふと、目の前にスキマが開く。そこから見える景色は、上空から見える幻想郷の全貌であった。
緑が織り成す絶景の数々。夕日がそれをオレンジ色に染めることで、人里と思しき村々が徐々にその活気を落ち着かせていく様子が目に見えてわかる。そして、オレンジ色に染まるのは空と大地だけではなく、少し前に幻想郷に現れたという海も同様であった。
「どうかしら?」
「綺麗です、とても」
「これが、私の守りたい景色よ。空気も綺麗だし、都会の喧騒もないし、人と人とのつながりが確かに残ってる場所。全ての者の理想郷……」
紫が隣に立ち、慈愛に満たされた表情でその景色を共に眺めた。
「あれが人里、あっちが魔法の森で、あそこが霧の湖。春には色んなところで桜が咲くし、もうすぐ紅葉が紅く染まるわ。季節によっていろんな顔を見せるのはこっちの世界と同じだけど、違うところは――」
「忘れ去られたモノの存在、妖怪と人間の共存、ですか」
「フフ……。あなたが守りたい景色は……これかしら?」
スキマが動き、守矢神社を俯瞰するように景色が移動する。そこにうつった先には――
「さなちゃんに、艦娘の皆……」
「私の守りたいもの、一緒に守ってくれる?」
「守るだなんておこがましいことは言えません。僕には力なんてなくて、本当に何もできなくて……何か行動をするとすれば神社や艦娘のみんなです」
「そうね。でも……」
スキマが閉じられて、紫が正面に立った。口元はシニカルに歪んでいながらも、瞳には力強さを感じさせて。
「いずれあなたも、戦う時は来るでしょう」
幻想郷の賢者は、迷いなどひと欠片も見せず、そう断言したのである。
お昼時。守矢神社の一室で、諏訪子は対面に座る神奈子と共に、腕を組みながら思考に耽っていた。
考えることは勿論沢山ある。これからの幻想郷での力を示す方法、信仰を得る方法、立場は、力関係は、神としての威厳は――どうすればいいのか。
「諏訪子、お前も何か悩んでいるようだな」
「うん、外の世界で楽しみにしてた漫画、結局途中までしか読めなかったから続きが気になって」
「お前はこんな時まで……全く」
苦笑する神奈子。だが、神奈子は気づいているのだろう。漫画のことを考えていたというわけではなく、考え込んでいたことを誤魔化すために漫画という話を持ち出したということを。
神奈子とも長い付き合いである。今更ムチャやワガママの千や二千ぐらいどうってことはないが、事が事であるだけに諏訪子も慎重にならざるを得ない。
「どうすんのさ。話には聞いてた幻想郷に来たのはいいけど、あんな怪物や艦娘のことなんて、私知らなかったよ?」
「私だって初めて知った。艦娘は早苗がカミツレに能力を与えたのだから、その点は我々としても何も言えんがな」
「カミツレ君かぁ。巻き込んだのは普通にマズかったけど、今はこれで良かったのかな?」
「早苗のあんな笑顔なんて久方ぶりに見たからな。一度再会したというのに、また引き離すのでは早苗も可愛そうだ。まあ、しばらくは――」
「大人しくして、早苗のやりたいようにさせよっか。二人共積もる話があるだろうし」
百歩譲って、幻想郷に来ることを知らなかった――実際は自分が聞いていなかっただけなのだが、遷宮すること自体は認めるとしよう。だが、不確定要素であるあの青年は、神社に何をもたらしてくれるのだろう。
実利の話ではない。影響の話だ。
早苗の唯一の友人であることは知っている。早苗が小さい頃から話は耳にタコができるほど聞いてきたし、その性格や為人もよく知っている。
曰く、他人に興味がない。
曰く、自分自身にも興味がない。
(そのクセ、うちの早苗と心を許して許される関係になったなんてね。いや、6年たってるけど、“今も”そうなのかな?)
ふと神奈子の様子を見れば、不安そうな面持ちの美貌と目が合った。
そう、何もあの青年を気にしているのは、早苗だけではない。
「神奈子、やっぱり嫌?」
「まあ……な。やはり、外の世界に残らせた方が良かったかもしれないぞ。いくら我々で目を届かせるといっても、カミツレ自身に戦う力なんてない。危ない妖怪もうろついていることだし、そういった意味では幻想郷の方が遥かに危険は多いんだ」
僅かに俯き、神奈子は寂しそうに笑う。
青年の育った環境は早苗からも聞いている。孤児院で育ち、幽霊が見えるということで気味悪がられ、家庭でも学校でも疎まれてきた。しかし、本人には見えるのだから状況的にはタチが悪い。見える者にとってはそれこそが現実であり、景色なのだから。
そんな街を嫌がって、他の街に行きたくなるというのも仕方のないことだろう。
「神奈子」
「……なんだ」
迷いが見られる神奈子の視線には、ほんの僅かな苛立ちが含まれていた。
「神奈子もさ、やりたいようにしてみたら? 折角幻想郷に来たんだから、やりようなんていくらでもあるじゃん」
「いや、いくら幻想郷とはいえだな……」
「カミツレ君も大事にしないとね。だって、ここで暮らすんだよ?」
「しかし……“巻き込まれた”カミツレを我々が面倒みようなど……。あまりに無作法ではないか」
「尚更、だよ。カミツレ君のことを思うならね」
「いいのか……?」
「やだなあ、私だってここの神だよ?」
「……感謝する」
眼をパッチリ開きながらも、目元を潤ませる神奈子。その瞳を袖で拭ってやりながらも、諏訪子は「ただし」と付け加えた。
「早苗との条件が守られなかった時は――わかってるよね?」
「…………。わかっている、さ。我々は早苗が最優先だ」
「…………。ま、あとは好きにしたら?」
「個人的には、スキマ妖怪の手で外の世界に置き去られた方がどんなにいいか……。私は……どうしたらいいんだ」
「んー……とりあえず」
畳を踏みしめ、諏訪子はその場に立ち上がる。障子を開ければ、抜けるような青空が頭上に広がっていた。
振り返り、神奈子をみて一言。
「生活基盤整えよっか。私たちだって、カミツレ君にだけ構ってる余裕はないんだし」
力が落ちたからこそ、この幻想郷へ来た。
最初の目的を忘れない。ひどく現実的な提案を、諏訪子はしたのである。それはまごう事なく、守矢神社が幻想郷で生き延びていくために。
着任
司令長官『茅野守連』
ひとまず序章が終了いたしましたが、動画からの方は動画と比べていかがでしょうか? ハーメルンからの方も、何かお気づきのことがあれば遠慮なくどうぞ。
ご意見ご感想や評価等、お待ちしております。